第27話 束の間の休息

イザーク・イルナルガ伯爵が死んだ。

そしてイルナルガ夫人、娘であるエンティー・イルナルガもまた、何者かに殺された。

帝国内は、悲しみに満ち溢れていた。

天もまた、彼らの死を悲しむかのように数日間ずっと、雨が降り続いていた。

帝国は、イルナルガ伯爵らの死は暗殺者によるものとして、今もまだその捜索を続けているという。

勿論、これは世間体を気にしての話であり全くのデタラメだ。

——彼らを殺したのは、ユリーベルなのだから。

ユリーベルは、彼らの葬式に行く事は無かった。

その資格を、もう彼女は持ち合わせていないから。

ただ、伯爵邸から戻ってきたユリーベルは朝日が昇るまでずっと自分の部屋から空を見上げていた。

この時、彼女が何を考えていたのかは誰も知らない。


「今回も良くやったな、ユリーベル。」

「お褒めに預かり光栄です、陛下。」


イザークを殺した翌日、ユリーベルは王城でサルファに今回の件の報告をした。

イザークが密入していた物は全て押収され、闇オークションはサルファの命により取り壊された。

「それにしても、子供まで売る魂胆だったとはな。貴殿の進言通り、子供達はシュベルバルツ領で面倒を見るといい。」

「ありがとうございます。」

「——して。ここ最近、仕事ばかりで疲れているのではないか?」

唐突なサルファの質問に、ユリーベルは目を丸くさせる。

確かに、隣国であるオルリン陥落、姉の結婚そして……今回のイルナルガ家暗殺。

次から次へと仕事が回ってきて、休む暇無く働いてはいたものの、この国王が人の体調など心配する性分だろうか。

エンティーを失った。その痛みは決して癒える事は無い。

それでも、ユリーベルは足を止めるわけにはいかないのだ。

決められた未来を覆す為。姉の幸せの為。そして、エンティーを殺したこの帝国を壊す為。

ユリーベルがやるべき事は未だに多い。

「仕事をする事は、私の誇りでもあります。ですから疲れなどは感じておりません。」

「ユリーベルらしい返答だ。話は変わるが、先刻俺の手元にある手紙が届いた。差出人の名は、——ニール・メフィスト。」

その名前に、ユリーベルは聞き覚えがあった。


——ニール・メフィスト。


帝国が誇る、四大公爵家の一つ。

主に北部を統治するメフィスト公爵家だが、四大公爵家の中で一番謎が多い。

国事にも顔を見せず、メフィスト領でずっとその素顔を隠している。

ニール・メフィストの顔を知っている者は限りなく少ない。

「ニール・メフィストからの手紙は、ある要望が書かれていた。『ユリーベル・シュベルバルツに会いたい』という内容だ。」

「あのメフィスト公爵様が、私に……?」

「ああ。その理由までは知らん。だが、貴殿にその気があるのなら暫く暇をやろう。北部のメフィスト領を訪ねてみるが良い。」

面識も無いニール公爵が何を企んでユリーベルを呼んでいるのかは分からない。

きっと、新しく当主になったユリーベルに興味を持っただけだろう。

それなら別に、その手紙に従う必要は無かった。

けれど今は確かに、少しだけ休みたい。

まだ、心の整理もつかないまま人を殺すのは、昨日のエンティーを思い出してしまって、息苦しい。

「そうですわね……。そう言う事でしたら、ニール公爵にお会いするとしますわ。」

「そうか。なら二週間程職務の事は忘れ、気ままに行ってくるがいい。ニール公爵にはよろしく伝えておいてくれ。」

「畏まりました。お気遣い、感謝致します。」

ぺこりと頭を下げて、ユリーベルはサルファに背を向ける。

心は未だ重いままだけれど、気持ちを切り替えなくては。


与えられた二週間で、私は彼女を……エンティーを忘れられるかしら。

そんな事、できるはずも無い。そう分かっていながら、心の何処かでユリーベルはこの重さから逃れたいと願ってしまっている。

——もう何処にも、逃げ道なんてありはしないのに。




イルナルガ伯爵の葬式の日。

ユリーベルはシュベルバルツ領を後にした。

馬車にはユリーベルとハルムン、メアリが乗っている。

ここから三日かけて、ユリーベル達は北部のメフィスト領を目指す。

「メアリ、ニール公爵への手紙はちゃんと渡せた?」

「はい。昨日の昼に。恐らくもうそろそろニール公爵様に届いている頃だと思います。」

「そう。」

ユリーベルは、頬杖をつきながら流れていく景色を見る。

心ここにあらず、と言わんばかりに虚ろな瞳でぼーっとするユリーベルにメアリは何も声をかけられなかった。


……何かきっと、悲しい事があったんだわ。でも、私には何も出来ない。ユリーベル様に、何もしてあげられない。


メイドとして、何も出来ない無力さを呪う。

それはメアリの優しさだった。

けれど、優しいだけでは世界は変わらない。人を救うことは出来ない。

——ユリーベルはそれをもう、痛いほど痛感している。


山で野営しながら、ユリーベル達を乗せた馬車はシュベルバルツ領を出立して三日が経った。

そして、ようやく目的地にたどり着く。

北部は海に面している為、漁業が盛んだ。

馬車の中に乗っていても、潮風の香りが鼻を擽る。

「うわあ!見てください、ユリーベル様!海です!私、初めて見ました!」

「とても綺麗ね。シュベルバルツには無い景色だわ。」

わーっと子供のようにはしゃぐメアリの姿に、ユリーベルは微笑む。

——エンティーもきっと、こんなふうに海を見たらはしゃいでいたのかしら。

そんな、叶わない妄想をしながらメアリと共に海を眺めた。

段々と人通りの多い通りに入る。

シュベルバルツ領にも負けず劣らず活気づいている街並みは、全体的に建物が高い。

恐らく、津波の対策なのだろう。

こういう事を指示しているのも、ニール・メフィストなのだろうか。

だとすれば、中々の策士かもしれない。


「ユリーベル様、到着しました。」


兎にも角にも。会ってみれば全てが分かる。

ニール・メフィストが何を考えているのか。

全てがベールで隠されたその男の腹の中を見てみようじゃないの!

ユリーベルは勢いよく扉を開ける。

いつまでもくよくよして居られない。だからまずはここで、新しい出会いを——



「——いない?ニール公爵様が?」



威勢よくメフィスト邸の扉を叩いたまでは良かった。

……が。

まさかそのニール当人が屋敷に居ないなんて!

「ユリーベル公爵様が居らっしゃる数刻前に、ふらりと外出されまして……その、いつお戻りになるか……。」

応接室に通されたユリーベルは、執事から出されたお茶を飲みながら、話を聞く。

「いつ、戻られるか分からない……?一体どこへ外出されたのですか?」

「そっ……それが……我々にも……。」

心の中の苛立ちを必死に押さえつけながら、ユリーベルは引きつった笑顔で執事の顔を覗く。

いや、この人に怒りをぶつけても仕方ないのだけれど。

自分から呼び出しておいて、出迎えにも来ない挙句に外出!?

どれだけ自由奔放な男なのよ、ニール・メフィスト!!

「恐らく夕食までにはお戻りになるかと……。」

ユリーベル達がこのメフィスト邸に着いて、そこまで時間は経っていない。

まだ午前中ということは少なくとも五、六時間は帰って来ないという事か。

それまで用意された部屋で待つというのも……。

「ユリーベル様。それなら私達も街を散策して見ませんか!?」

ユリーベルが今日一日のスケジュールについて悩んでいると、進言してきたのはメアリだった。

確かにこのまま屋敷の中に居てもやる事は無いし、ニール・メフィストが統治する街をしっかりと見てみたい気もする。

折角の休息日だ。部屋の中にいるより、新鮮な空気を吸った方が身体にもいいだろう。

「——そうね。そうしましょう。宜しいですか、執事長。」

「勿論でございます。ごゆるりと、楽しんで来てくださいませ。」

という事で、ユリーベルは案内された部屋でドレスを脱ぐ。

シュベルバルツ領の街なら身なりを気にする必要は無い。表立って、視察という名目の元歩く事が出来るから。それに、シュベルバルツ領の民は皆ユリーベルの顔を知っている。

が、この地ではそうはいかない。

身なりのいい貴族というだけで、襲ってくる輩もいるだろう。

出来るだけ目立たない服に着替え、帽子を被る。

「なんだかお忍びで遊びに行くみたい。」

「実際にそうだろ?何処でニールとかいう男に鉢合わせするとも分からんし、顔を隠すに越したことはない。」

ハルムンの発言は、確かに一理ある。

ハルムンは普段から服装にこだわらないから、今回も特に変わった点は無い。

メアリはメイド服から歩きやすい私服に着替えていた。

「さっ、ユリーベル様!行きましょう!」


メアリのキラキラと輝く瞳に急かされるように、ユリーベルは屋敷を出る。

「そうね。行きましょうか。」

そうして、久しぶりの休暇は始まったのだ。

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