第8話 冷徹の王は全てを欲す


『——お前が、あの男を玉座から引きずり下ろせ。ユリーベル』


そして、再び朝日は登る。

清々しい空気が、ユリーベルの部屋を包み込む。

窓辺で一人、黄昏れるユリーベルは虚ろな瞳で庭を一望していた。

昨日、ハルムンが告げたその言葉。ユリーベルは未だに受け止められずにいた。

何故ならそれはつまり、反乱を企てろと、そう言っているのだから。

今あるシュベルバルツの地位を失うような真似は。

——お姉様を危険な目に遭わせる様なことは出来ないわ。

だからと言って、このまま自分の死を待つのみかと聞かれれば、ユリーベルは首を縦には振れないだろう。

何より、あの未来の通りに自分が死んだ後、残されたシュベルバルツ領は恐らくサルファの手によって統治される。

それはつまり、姉であるマリーベルがサルファの手の中に収まってしまう。

それが一番、ユリーベルの避けたい未来だった。

「って言っても、だからって反逆者になる訳にも……。」

重くのしかかった悩みは、ため息と共に空気に溶けていく。

思い悩んでいた最中、メイドが持ってきたのは一通の手紙だった。

そこには、帝国の紋章が刻まれており送り主は直ぐに見当がついた。


封を切り、中の手紙を一読したユリーベルは、はあ、と大きなため息を漏らす。

「すぐに、馬車の準備を。王城に行くわ。」

「かしこまりました。」

ぺこりと、頭を下げたメイドがユリーベルの前から姿を消す。

それを待っていたかのように、ハルムンがどこからともなく現れた。

「ほほーう、朝っぱらから密会の誘いかー?随分大胆なんだな、この国の王様は。」

そんな皮肉に付き合う精神力はなく、さっと受け流す。

「違うわよ。理由は知らないけれど、シュベルバルツの力が必要なんでしょう。あの男は、シュベルバルツの力を知っているから。」

「ああ。そうでもなければ、わざわざ当主でもないお前の元に手紙なんて寄越さないだろうしな。つまりは、お前の力を良いように利用されていると言うわけだ。」

一人で勝手に納得した様子のハルムンは、こくこくと数回頷いた。

——何なのかしら、この子の言葉は一々鼻につくのよね。

ユリーベルはその不満を心の中に押しとどめながら、着々と準備を進めている。

その様子をじっと傍観していたハルムンは、ソファーでくつろぎながらユリーベルに質問した。

「王城に行くんだろ?それなりに身なりを整えた方がいいんじゃないのか?」

「いいのよ。どうせ、陛下も何も言わないから。それに……。私を呼ぶって事は、面倒くさい事が待っている証だから。動きやすい方がいいでしょ?」

ユリーベルが国王に呼ばれる事など珍しくもない。

そして大概の場合、その要件は帝国に不利益な物を処分して欲しいというもの。

だから、ユリーベルの気も進まないのだ。

「そういうものなのか。でも、これからは違う。用心しろよ。お前が今から会いに行くのは未来でお前を……捨てた男だ。」

「それだけ聞くと、まるで恋仲だったみたいに聞こえるんだけど……。まあ、そうね。程々に気を付けるわ。なんせ、大賢者様からの忠告だし。」

嫌味を口にした瞬間、ハルムンはムスッと頬を膨らませた。

二日目にして、この大賢者の扱い方が随分わかってきた。

人を操る力を身につけるのは、シュベルバルツの人間として当然の事ですもの。

身支度を済ませ、ユリーベルは扉を開く。

足取りが重いまま、ユリーベルはその足を踏み出した。


「——それじゃあ、行ってくるわ。」




窓からの光は、黒いカーテンによって全て遮断され、昼間だと言うのにこの空間は薄暗い。

柱の美しい彫刻や、上質な赤いカーペットはその光のもとで輝くことは無く。

それこそがこの帝国を統べる者の城だと言うのなら、息が詰まりそうだ。

この長い一本の道の先にある、一際目を引く椅子。

そこに足を組んで座る男は、気だるげに人を見下していた。

「——帝国の光にご挨拶申し上げます。」

その男が見つめる先にいるのは、脚を折り、深深と頭を下げるユリーベルだった。

この空間に、ユリーベルと男以外の姿は無く、静寂が支配する。


「……顔を上げろ。ユリーベル・シュベルバルツ。」


男は冷たく響くその声で、ユリーベルの名前を呼んだ。

ゆっくりと顔を上げたユリーベルが、その男と目を合わせた瞬間、背筋が凍る。

同じ人間とは思えない、温度を感じない瞳。死人のように真っ白な肌。全身を黒で覆い尽くした服。

それこそ、この帝国を治める男。


——サルファ・グラッサム。


「普通、俺に謁見する時は家紋のローブを着ることが礼儀では無いか?シュベルバルツよ。」

確かに、国王との謁見では自分の家柄を知らしめる為。そして、自分の家を背負って国王に謁見しているのだと自らを縛る為に、家紋の入ったローブを着ることが礼儀となっている。

「本日の私は、姉の……当主の代理では無く。ユリーベルとして、ここにおります故。礼儀知らずをお許し下さい。」

「皮肉か、それともお前なりの冗談か。どちらにせよ、実にお前らしいな。ではこれからの時間、お前をユリーベルと。そう呼ばせてもらおう。では早速。ユリーベル。今日、お前をここに呼んだ理由を話す。」

声色も、表情も。眉を一ミリも動かさないまま、サルファは話を始めた。

その淡々と話す姿に、本当に人間なのかと疑いたくなる。


サルファ・グラッサムは冷徹無慈悲で有名だ。

何事に置いても、自分に要らないものは全て切り捨て。

逆に、欲する物は何があろうと手に入れる。

貪欲に。欲に忠実であるが故に、このサルファ・グラッサムは、その玉座に座ってから僅か五年で、この帝国を大国へと発展させた。

世界領土で換算すれば、五分の三。実に、世界の半分以上がこの帝国のものだ。

力でねじ伏せ、他を圧倒し。

そうして、帝国は僅か五年で発展し、進化を遂げた。

帝国の歴史の中でも、彼の名前は大きく刻まれる事となるだろう。

……だが。


「帝国の隣に位置する、小国を知っているか。」

「小国、と言いますと……タルサ、マグナム、オルリン、あとはサラフェイナでしょうか?」

「流石だな、ユリーベル。」

この帝国の属領とならぬ代わりに、隣国にはある条約が結ばれている。

それは、この帝国に四十パーセントの税金を納める事。

普通に考えれば、国の利益の半分程を回収されるのだから、こんな条約は誰だって認めたくはない。

が、この条約さえ守っていれば、グラッサム帝国からの攻撃を受けないのだと考えれば、各国の王は喜んでその紙切れにサインをするだろう。

そうすれば、それぞれの小国は自分達の国を名乗る事が出来る。そして、帝国からの一方的な侵攻を一切禁ずる。

それが、この条約の意味だ。

それくらい、ユリーベルでは無くとも知っている事だ。

「その一つ、オルリン王国。あの国の国王は病に伏せていると耳にした。どうやらその息子は次期国王としての自覚が足りず、国王は思い悩んでいたと聞く。あの国は傭兵を育てる育成機関も武器や弾薬も少ない。……なら、今が好機だろう。」

この場に来て、初めてサルファが笑った。

微笑む、と言うよりも企むと言った方がしっくり来るだろう。

そのおぞましい笑みに、ユリーベルはすぐ全てを悟る。

それを確信に変えるように、サルファはビシッとユリーベルを真っ直ぐ指さした。


「ユリーベル。隣国、オルリン王国を我が帝国の支柱に収めろ。」


この男は、それをさも容易いと言う表情でユリーベルを見詰めた。

成程。これはユリーベル以外の人間に聞かせてはならない。

何故なら、他の者では必ずと言っていいほど血を流すだろう。

だからこれは、ユリーベル以外の誰にも成し遂げられない命令だ。

大丈夫。もう、慣れている。

私の役目は、お姉様の代わりに帝国の為となりこの身を捧げる事なのだから。


「……かしこまりました。私が必ず、隣国オルリンを、手に入れてみせましょう。」


私の身が、帝国の為に焼け焦がれる事になっても。

私はお姉様を帝国から守る。

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