第2話 シュベルバルツ

さて。物語を始める前に簡単にこれまでのあらすじを説明しよう。

語り手はここに。読み手は君に。

全ての物語の始まりは、ある一人の少女が闇の力を手に入れた所から始まる。


——シュベルバルツ。


帝国を支える四大公爵家のひとつ。シュベルバルツ。

グラッサム帝国の東側の領地を、国王陛下に変わって納める公爵家。

他の公爵家とその在り方も立ち位置も異質なシュベルバルツ家には、ある秘密があった。

一つは帝国の栄光、その裏に隠されているものを抹消する事。帝国に仇なす者や不穏分子、重要機密情報など。国王が、この帝国に必要無いと判断した者達を抹殺し、その者の生きた証ごと消し去る。いわば、国王直属のなんでも屋のようなもの。

二つは、隠された能力を受け継ぎ、次の代に伝える事。シュベルバルツ家は一代に一人、超能力を発現する者が現れる。

この特殊能力は、『悪魔の力』だ。シュベルバルツ家の先祖に、悪魔と結ばれた者がいたらしい。その時から、シュベルバルツ家には悪魔の血が混ざるようになった。

特殊能力は、その血によるものだと記されている。

そして、この能力を受け継がれし者はシュベルバルツ家の当主になるのだ。


——そして、ユリーベル・シュベルバルツに能力が発現した。


それは、帝国歴586年。両親が不運な事故で亡くなった日。

姉のマリーベルと共に、涙に暮れた日の夜。

「……。」

窓から差し込む月明かり。柔らかな月光が、ユリーベルの部屋を淡く照らす。

マリーベルは目を真っ赤に腫らした後、泣き疲れて眠ってしまった。

そんなマリーベルを見届けてから、一人自室に戻ったユリーベルはウッドデッキに向かう。

窓を開けると、そよそよと心地の良い風がユリーベルを包み込んだ。

何も変わらない景色。けれど、この場にはもう父親も母親も居ない。

「——随分と早くに逝ってしまわれたのですね。まだ、お父様からもお母様からも、学びたいことは沢山あったと言うのに。」

その訃報を聞いた時。確かに動揺はしたけれど、ユリーベルの瞳から涙はこぼれ落ちなかった。隣で、頬を濡らす姉と違って。

それが人目を気にしたせいなのか、それとも単に泣く程の話では無いと思ったのかは分からない。

……私には、私が分からないのだから。

物心着いた時から、何となく自分が欠陥品なのだとは理解していた。

感情豊かな姉と違って、自分はいつも冷めきっていたからだ。

何をしても、心は満たされない。勉強も、剣術も、人との会話も。ユリーベルにとっては全て詰まらないものでしか無かった。

だからだろうか。ユリーベルはいつしか、自分を偽る術を覚えた。

実の両親にも、友にも、従者にも。ユリーベルは本当の顔を見せなくなった。


「本当、不出来な娘だわ。こんな私と、お姉様。これからは二人だけで生きなくちゃいけないなんて……。」


昨日までは明るかった屋敷も、今は静まり返って、とても冷たい。

「明日からはお姉様が当主として、このシュベルバルツを背負っていくのね。きっと最初は、沢山壁にぶつかるでしょうけれど、お姉様なら乗り越えていけるわ。それを私がサポート出来るかは……少し不安だけれどね。」

そんな事を一人ボヤきながら、ふと空を見上げる。

良い子は寝静まり、暗闇に呑まれる時間。そんな中で一際輝く大きな光。

その光に、すっと手を伸ばす。

「こんな時でも、月は綺麗なのね。」

それが、ユリーベルには皮肉に見えた。ユリーベルの世界がどれだけ変わろうとも、この月は明日も変わらずこうして、光を放ち続けるだろう。

ユリーベルにとって、それは明日を生きる事への絶望だった。



両親が死に、姉を守らなくてはいけない。

自分がどれ程弱くても、明日はやってくる。

——だから、ユリーベル・シュベルバルツは願った。


誰かを守る力を。明日を生きる為の力を。


そして、そんなユリーベルの願望に答えるように、月は力強く光を放つ。



月明かりに照らされて、ユリーベルの背後には闇が蠢いた。

それはこの世界にある物ならば、誰しもが持つ闇。

光があれば、『それ』は必ず存在する。


——人はそれを、闇と呼んだ。


ユリーベルの足元に現れた影は、ゆらりと揺らぐ。

今まで吹いていた風がピタリと止まったというのに、ユリーベルの影は未だにざわついていた。


「——え?」


自分の影が、ぐにゃりと歪んでいる事に気付いたユリーベルは目を見開く。

その刹那、ユリーベルは幼少期に父親から聞いた事を思い出した。

シュベルバルツの隠された秘密。先祖に悪魔と交じりあった者がいた事。

それからずっとシュベルバルツの人間は一代に一人、特別な力を持つ人間が生まれる事。

まさか、とユリーベルは思考を巡らせる。


ユリーベルの父親は、確かに特殊能力を宿していた。

そして、その父親が死んだ日。新たな後継者が現れるとしても、不自然では無い。

……嘘、でしょ?だって……私が『そう』だと言うの?


その日、ユリーベル・シュベルバルツの身に悪魔の力が発現した。

その能力は——影を操る力。


それはつまり。ユリーベルが次期当主になる資格を手に入れたという事だった。



それから暫くして、シュベルバルツ家の新しい当主が決まった。


「ではここに、シュベルバルツ公爵家新当主としてマリーベル・シュベルバルツを任命する。」


王城、玉座に座るのはグラッサム帝国の皇帝。

彼がシュベルバルツの新しい当主に指名したのは、ユリーベルでは無く、マリーベルだった。

その場にいた貴族達は、マリーベルに大きな拍手を贈る。

「おめでとうございます、マリーベル様!」

「ご即位おめでとうございます!」

そして、それらに紛れるようにまたユリーベルも祝福を送った。


「おめでとうございます、お姉様。」

「ありがとう、ユリ!……でも、本当に良かったのかしら……。」


マリーベルの言葉に、ユリーベルは首を傾げる。

どういう事ですか、と尋ねるとマリーベルは王の居なくなった玉座を見つめた。

「私は、今でもユリの方が当主に相応しいと思っているわ。だって貴女は私よりも賢いし、何でも出来るし……。」

「……お姉様。当主として必要なのは、何も賢さや器用さではありません。」

「それなら、何が必要なの?」


「——お姉様のように、優しい心を持つ事です。」


ユリーベルは、優しく微笑んだ。

誰よりも優しく、人の痛みを理解し共に分かち合う事が出来る。

「私達のお父様が、民を愛し愛されたように、お姉様もまた、民に愛される当主になるでしょう。私は、そんなお姉様の元で共に民を守りたいのです。」

優しい優しいお姉様。

やっぱり貴女が当主として、この先のシュベルバルツを引っ張っていく事が正しい道なのです。

ユリーベルは、そっとマリーベルの手を握った。

「だからお姉様、そんな悲しい事を言わないで下さい。私はお姉様が当主になる事を誰よりも望んでいるのですから。」

「ユリ……。ありがとう、ユリ。私、きっと頼りなくて不甲斐ないけれど、それでも一緒にシュベルバルツを守ってくれる?」

「勿論ですわ、お姉様!」

こうして、マリーベル・シュベルバルツは当主の座についた。

この時、十五歳。成人して最年少での公爵家当主となったのだ。


そして、それからの日々は慌ただしく過ぎていった。

遺産の管理、シュベルバルツ領の管理に視察。

貴族達への挨拶回り。

最初こそ、マリーベルが当主になる事に不満を持つものがいた。更にはマリーベルの婿となる事でシュベルバルツを我がものにしようとする輩も大勢いた。

だがそれも、次第に少なくなっていく。

「ふん。何がシュベルバルツ当主だ。ただの小娘に従うなど誰が……。ん?そこに誰かいるのか?……おい、おい、返事をしろ!誰が……うっ、う、うわあああ!!」

不満を漏らしていた貴族は、皆謎の死を遂げた。

その噂は忽ち広がり、シュベルバルツに歯向かう者には制裁が加えられると、貴族達は恐れた。

そして、その謎の死を遂げた者達は最後に口を揃えて、「悪魔を見た」と言っていたらしい。

これら一連の騒動は、他ならぬユリーベルが行ったものだった。

勿論、彼女の独断でその為、この事をマリーベルは知らない。


だがユリーベルはそれでいいと思った。

マリーベルが陽の光の中でシュベルバルツを守るなら、ユリーベルは闇の中でシュベルバルツを守ればいい。

そうして、マリーベルが当主に就任し、早三年が経とうとしていた、そんなある日。


「————!!!!!」


ユリーベルは、勢い良く飛び起きる。

その額には、汗が滲んでいた。


「——私、……私、いき、てる……?」


さて。物語の舞台は整った。

闇の中で生きる冷酷無慈悲な令嬢、ユリーベル・シュベルバルツは、ある不思議な夢から目を覚ます。

自分が悪女といわれ、帝国中から嫌われ。挙句の果てに自分の姉にすら切り捨てられた哀れな令嬢。

その夢は、果たして幻か。それとも——現実か。

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