第36話 氷上紗凪

「気をつけて、恐らくいきなり来る」


 第二階層へと向かう直前、紗凪は突然そう言った。

 そしてその言葉通り、階段を下り終えると同時に柊彩たちに向かって幾つもの矢が飛んできた。


「よっと」


 しかしそれは紫安が自分の腕で受け止めた。


「雑魚どもが、消えろっ!」


 その隙にバッドエンドが一気に距離を詰め、蹴り一つで3体の魔物を一気に仕留めた。


「紫安さん、大丈夫ですか?」


「うん、これくらい余裕だよー」


「少しじっとしてろよ」


 柊彩が刺さった矢を二つに折り、腕から引き抜く。

 すると瞬く間にその傷が塞がっていく、その間も紫安はなんでもないような表情をしていた。

 

「すごいですね、よくわかりましたね」


「Sランクの表層はAランクの深層に相当する。そしてAランク深層においては奇襲の報告が多い」


「知っていたんですか?」


「私は一度記憶したことは忘れない、『絶対記憶』を持っているから」


 紗凪は知識や経験のみならず、温度や味、匂いなどの感覚に至るまで、一度記憶したものは必ず記憶し続ける『絶対記憶』の特異体質を持っている。


「富士の樹海で迷わなかったのも紗凪のおかげだな、しかもコイツはそれだけじゃない」


 生まれ持った『絶対記憶』の特異体質、紗凪はそれを絶対的な能力にまで昇華させていた。

 紗凪が持つ無尽蔵の記憶、その中には彼女が現在置かれた状況と類似したものもたくさんある。

 それらを組み合わせることで脳内で現状を再現し、これから起きるであろう事柄を予測できるのだ。


 それこそが勇者パーティのブレインであった紗凪が持つ究極奥義、絶対記憶による『未来予知』である。

 彼らが7人で魔王軍を相手にできたのも、彼女の未来予知によるものが大きい。


「私にはこれから起こることがわかる。とはいえあくまで過去の事例からの予測、絶対に当たるわけではない」


 未来なんて誰にもわからない、前例のない事象だって起こることはある。

 

「特に今みたいに過去の例が少ないとね。でもそれは紗凪一人だけの場合の話」


「この階層は罠が多い。右が左、どっちかは足を踏み入れた瞬間魔物が現れる」


「じゃあ右に行きましょ」


「りょーかい」


 柊彩はソフィの言葉に迷わず従い、二手に分かれた道を右へ進む。

 その後も紗凪が提示した選択肢をソフィが選ぶ形で進んでいくと、迷宮に多いとされる罠に一度もかかることなく魔物を全滅させることに成功した。


「勇者様、何が起きてるんですか?」


「ソフィの勘はよく当たるんだよ」


 ソフィの持つ超感覚は五感だけではない。

 第六感、いわゆる直感も人並外れたものを持つ。

 Sランク迷宮に関する記録が少ない以上、現時点における紗凪の未来予知は不確実なものも多い。

 そこで紗凪は未来に起こりうる幾つかの可能性を提示し、その中で実際に起こりそうなものをソフィが異常にあたる勘で選択する。


 その結果的中率がほぼ100%となる、未来予知ならぬ『未来視』が完成するのである。


「マジでヤベェだろ?コイツら全然外さねぇんだぜ」


「僕たちの仕事もなくなるよねー」


 さらに進むごとにSランク迷宮に関する情報が蓄積されるため、紗凪の未来予知の精度も上がっていく。

 そして第五階層を超えた頃にはそれらを組み合わせることにより、一人でほぼ完全な未来予知ができるようになっていた。


 そうなれば迷宮の構造や生息している魔物など今そこにあるものはすべてソフィが感知し、罠や魔法によって突発的に起こるアクシデントは紗凪が予知できる。

 もはや彼らに死角はなかった。


「おにいちゃんおんぶしてー!」


「はぁ、ほら」


 戦闘のほとんどはバッドエンドと紫安の2人で終わってしまう。

 そのため柊彩、奏音、日聖の3人はいつからか後ろをついて回るだけになっていた。


「通過したら起動する罠、後ろからくる」


「わかった、奏音」


「うん、“とまって!”」


 時折背後から迫る魔物がいようとも、奏音の一言で行動を制限することができる。

 あとは柊彩がそれを真っ二つにするだけ。

 奏音を背負ったままでも問題はなかった。




「第十階層に来ましたね」


「こっからはアンタも知らないのよね」


「そうだな、大広間があった気がするのは覚えてるぞ」


「他より強いのが出る、気をつけて」


「りょーかい」


 紗凪の助言がなくとも身構えるくらいには、明らかにここまでとは違う雰囲気があった。

 先頭を行く柊彩はゆっくりと剣を引き抜きながら広間に足を踏み入れる。

 その向こうには全長が15m近くあろう八つ首の竜がいた。


「こんなのが外に来たらやべーことなるぞ」


 柊彩を視界に捉えると、竜は巨大に似つかわしくないスピードで襲いかかる。

 だがそれよりもさらに速く、自身に差し向けられた3つの首を切り落とした。


「あと5つ……ん?」


 異変を感じた柊彩が後ろに下がる。

 すると切り落とした首が一瞬で再生した。


「おいおい、戻っちまったぞ」


「コイツそれぞれの首が生きてるわ、多分全部やらないとダメね」


「富士の山に不死身の竜ってか?めんどーだな」


 あまりにも大きすぎるせいで首の一つ一つがかなり遠い。

 その上向こうも同時にはやられまいと、頭を一箇所に集めないようにしている。


「じゃあ僕に任せてよー」


 どうやって同時に仕留めようかと算段を立てていると、紫安が名乗りを上げた。


「なんか策でもあんのか?」


「不死身同士通じるものがある、なんてねー」


 紫安はポケットから小瓶を取り出し、それを握りしめて進んでいく。

 そして襲いかかってくるのに合わせて腕を突き出し、その口の中に腕ごと小瓶を突っ込んだ。


「うん、もう大丈夫だよー」


 右腕を食わせたまま言う。

 見た目はとても大丈夫そうにないのだが、既に紫安はこちらを振り返っており竜を見向きもしない。

 かと思うと、竜は突然糸の切れた操り人形のようにその場に倒れ込んでしまった。


「え、今なにしたんだ?」


「毒だよー。超強力な神経麻痺毒、飲んだりしたらもうぴくりとも動けなくなっちゃう」


 そう言いながら腕を引き抜いて帰ってくる。

 紫安の言う通り死んでるのではないかと思うほど少しも動きが見られなかった。


「お前こんな危険なやつポケットに入れてたのかよ!」


 柊彩は紫安の頭を思い切り引っ叩く。

 もしこれがポケットの中で割れてたらどうするつもりだったのか、そう思いながらひとまず八つの頭を切り落とす。


「そんな毒使ってアンタは無事なの?」


「大丈夫な量で使ってるよ、再生能力は僕の方が上だからねー」


「そう、自信があったのね」


「僕なら斬られた直後に再生できる、不死身対決は僕の勝ちってね」


 不敵に笑って紫安は言った。

 

 不死身対決を制して次の階層へと進む柊彩たち。

 第十一階層に辿り着いた先で見たのは、鬱蒼とした森であった。

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