第31話 ソフィ・ブリジオン

「魔物が現れたらしい……」


 柊彩は重く冷たい声でそう言った。


「は?今なんて──」


 バッドエンドが聞き返そうとしたその瞬間、近くの屋台が吹き飛んだ。


「きゃっ!」


 それによって生じた風で、日聖が身につけていた帽子やヘッドフォンが吹き飛んでしまうが、それを気にしている場合ではない。

 巻き起こる砂煙の向こうからは忘れもしない気味の悪い雰囲気を纏い、リザードマンが姿を現したのだから。


「マジでいるじゃねぇか!どうなってんだ!」


「バッドエンド、日聖を頼む!!」


 柊彩は手にしていたスマホを放り投げ、リザードマンのもとへ一直線に走り出す。


「柊彩!くそ、あのバカ!」


「そうだ、配信を切らないと」


 日聖は慌てて柊彩が投げ捨てたスマホを拾い、配信を終了させる。

 そして顔を上げるとほぼ同時に、リザードマンはその剛腕を振り下ろした。


「ぐっ……懐かしいね、この感じ」


 ただそれが一般人に被害を及ぼすことはなかった。

 命中する直前に紫安が間に割り込み、攻撃を代わりに受けていたからだ。


「“すとっぷ!”」


 そして奏音がそう叫ぶ。

 彼女の可愛さは性別も種族も変えて通用する、相手がリザードマンといえど彼女の『お願い』に背くことはできない。

 そうして生まれた隙をつき、柊彩は強烈な蹴りが腹部は叩き込む。

 その一撃でリザードマンは地に伏せた。


「どうなってやがんだ、迷宮以外にはいないはずじゃねぇのか」


「どうやら西の方から来てるらしい、本当かはわからねーが」


「そうなのかなー、みんなパニックでわからないや」


「それに魔物がここまで来た以上、もう各地に広がっているかもしれません」


「なら片っ端からやるだけよ」


 ソフィはゆっくりとヘッドフォンを外す。


「おい、こんな状況でやったら」


「そんなの言ってられる場合じゃないでしょ」


 柊彩の制止も無視してソフィは静かに目を閉じる。

 彼女の服装はオシャレなどではない、特異体質を抑制するためのものである。


「聞こえるわ。14……いや、17ね」


 ソフィは『超感覚』の特異体質の持ち主。

 彼女はあらゆる感覚が常人のそれを遥かに上回っているのだ。

 その目は舞い散る砂の一つ一つを見極め、その肌はわずかな風の変化をも感知する。

 そして彼女が耳を澄ませたその時、悲鳴が飛び交うこの数km圏内において、魔物が発する音だけを聞き分けた。


「……っ」


 だがソフィの感覚は鋭すぎるあまり、彼女自身に大きな負荷を与えてしまう。

 そのため普段は片目を覆い、両耳を塞ぎ、素肌を晒さずにいる、そのための格好がファッションとして認知されているにすぎない。

 そんなソフィがこの場で本来の聴覚を発揮しようものなら、身体への負担も途轍もなかった。


「大丈夫か⁉︎」


 よろめきかけたソフィの両肩を持って柊彩が支える。


「ありがと、それより行くわよ!これ以上被害が広がるまえに!」


「ああ、頼む!」


「え?うわっ!」


 日聖は自分の身に何が起きたのかわからなかった。

 柊彩にお姫様抱っこされていると気がついた時には、彼らはソフィを先頭に屋根を伝って魔物の元へと走り出していた。


「魔物は17だったよな?」


「そうよ」


 ソフィは親指の先を噛み、腕に巻かれた包帯を勢いよく解く。

 居場所がわかっているのならば視る必要も聴く必要もない、彼女の研ぎ澄まされた感覚が標的を感知する。


「二手に分かれましょう。このまま真っ直ぐ行けば10体いるわ」


「わかった、バッドエンド、奏音、紫安の3人で向かってくれ」


「はーい」


「ソフィ、残りの敵の元に案内してくれ」


「ええ、こっちよ!」


 柊彩の指示で5人は二手に分かれた。

 このような状況でも一糸乱れぬ統率が取れているのは、彼らがこうした死線を幾度となく潜り抜けてきたからに他ならない。


「あのビルの向こうにいるわ、見える?」


「見えなくても問題ない、やるだけだ。日聖を頼む!」


 魔物に近づくや否や、柊彩は日聖を預けたかと思うとさらに速度を上げて進んでいく。

 魔物はビルの裏側にいたため姿は見えないが、程なくして轟音と断末魔が響き渡った。


「一人でやれる⁉︎」


「ああ!」


 少し遅れて追いつくと、柊彩の周りにはさらに3体の魔物が囲んでいたが、それすらもものの数秒で片付けてしまった。


「あと3体だよな」


「ええ、そうよ……って待って」


 異変に気づいたソフィはヘッドフォンを外す。


「反応が消えたわ、誰かが倒したみたい」


「誰か?……ああ、なるほどな」


 少しして柊彩は納得した。

 自衛隊の特殊部隊には廻斗がいるのだ、おそらくは彼が倒したのだろう。


「アイツらの方は心配するまでもないか」


「ええ、すぐ終わったみたいよ」


「そうか。それより一体何が起きたんだろうな」


 柊彩は自身が倒した魔物たちに目をやる。

 魔王を倒してから3年間、魔物が生息するのは迷宮の中だけであり、外に現れることなど一度もなかった。

 それがなぜ今になって現れたのだろうか、考えたところでわかるはずもないが、それでも考えずにはいられない。


「とりあえず戻りましょ、こんなんじゃ祭りも中止よ」


「そうだな、アイツらと合流したら今日は帰ろう」


「これからどうなるんでしょうか」


「わからない、今はただこれ以上何もないことを願おう」


 そう言って柊彩は街を一望する。

 あれだけ賑わい活気に溢れていたはずの街は、一瞬にして黒煙が立ち上り、悲鳴と悲しみに包まれる凄惨な光景へと変わっていた。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 その頃、聖教会本部にて。


「教皇様、これを。この最後に映った人物、眼帯をしておりますがこれは」


「間違いない。清月日聖だ」


「盲点でした。まさか現在日本で最も注目を集める人物の下にいたとは。しかしどうやって」


「待て、柊彩だと?それにその男、微かに見覚えがある。まさか幸村柊彩か?」


「といいますとあの死んだはずの勇者の?」


「そうだ。とはいえ最後に見たのは7,8年前、顔も変わっているので断定はできんがな」


「貴方様でも勇者とはあまり面識がないのですね」


「奴は滅多に人前に出ようとはしなかった、そもそも人類の生息権が少なかったのもあるがな。それより手筈は?」


「彼の住所を特定中です、既にある程度の目星はついているので間も無くわかるかと。見つけ次第すぐに部隊を送り込みます」


「相手は勇者かもしれぬ、相応の戦力を用意しろ。それと対象はあの小娘だけではない」


「存じております、勇者もですね」


「今の時代に旧き勇者は必要ない。既に第二の勇者が控えているのだから」


「計画は必ずや成功させてみせます」


「あと少しだ、あと少しですべてが叶う。再び我らが世界の中心となる時が来るのだ、心してかかれ」


「はっ!」

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