第21話 最終講義
最後になったが、この春、石巻で一番幸せになった女の子の話をして、お開きにしようと思う。
ゴールデンウイークに入ってすぐ、原田消防士は退院した。
もう松葉杖ついて歩けるくらい回復していたのだそうだけれど、大事をとって車椅子で……と白石さんが主張して、私が迎えに行った。原田消防士は、「飢えて」いた。病院食の薄味、塩気が少ない、油気がない……に飽き飽きしたとかで、退院前々日から「脂ギトギトの不健康そうなメシを、腹いっぱい食う」ことを所望していた。石巻東消防署の同僚たちが退院祝いに宴会をやろう、と計画した。私がプティーさんの中華レストランを紹介し、塾生その他今回の恋の行方を応援してくれていてた人たちも、参加すると言い出した。それで、私が白石さんを乗せて、車で迎えにきた、というわけだ。社交的な原田消防士は、長期入院していたお爺さんや看護師さんたちと仲良くなったのたとかで、消防士のお母さんが退院手続きをしている間、中庭で彼ら彼女らと歓談していた。
車のところで待機していた私の元には、白石さんがやってきた。
「缶コーヒー、どうぞ」
トミー・リー・ジョーンズを真似、下のほうだけ持って、物思いにふけって飲んでみる。
原田消防士の車椅子ハンドルを押していたのは、中学生くらいの男の子で、首からは例の「ポッチャリ十字架」が下がっている。白石さんはニッコリ笑って、言った。
「入院中、タケヒト君と同室だった男の子です。妹さんをかばって、土佐犬に何か所も噛まれたとか。お見舞いのチョコレートスフレをおすそ分けして、仲良くなりました。なんでも、ガールフレンドにちよっかいをかけている同級生がいるらしくて、魔除けだよってプレゼントしたら、たいそう喜んでくれました」
彼の入院中、彼氏がいるのを承知の上で、ガールフレンドにラブレターを渡しに来た男子がいるんだそう。ガールフレンドはもちろん、現彼氏のほうが大事で、だからこそ「略奪愛」を仕掛けてきた横恋慕くんのことを、彼氏に包み隠さず知らせてくれたのだ、という話だった。
「ほうほう。それで、白石さんが、泥棒猫よけに、十字架を渡した、と」
「効果てきめん、みたいです。見舞いにきてくれた彼の友達が、ポッチャリ十字架を見て、その由来を聞いて……つまり私たちの恋愛攻防戦を聞いて、彼氏くんの応援をする気になってくれたって、話です。彼氏くんは、今まで単なる知合いって程度のクラスメートまで応援に回ってくれたって、喜んでました。ポッチャリ十字架の効果、まだまだすごいよーって、私、宣伝しておきました」
「ほう」
「ちょっかい出された彼女さんには、ガーリッククッキーの作り方、教えることになってます。横恋慕くんは、ニンニクとかニラとか匂いのキツイ野菜が嫌いらしくって、なら、思いっきり香味が強いのを作ろ、て提案しました。私のことが好きなら、手料理食べられるよね……と脅すっていう寸法です。ホントに偶然だけれど、ヘルシングアプローチ本来の趣旨通りにいきそうです。ニンニク嫌いな吸血鬼退治」
「原田消防士もだけれど、白石さんも全くの赤の他人と仲良くなるのが、上手だね。しかも親身に相談にのってあげるとは」
「自分の恋愛、皆に助けてもらった分、助けてあげたいんです。吸血鬼退治のエキスパート、ヘルシング・アプローチ・マスターですから」
みんなのアイドル、ミホちゃんでさえ退けられたんですから、どんな泥棒猫がきても、怖いものナシです。
笑っている白石さんに、私は言った。
「ヘルシング・アプローチ・マスターか。じゃあ、最終講義だ」
「はい」
「もう、ポッチャリ十字架に頼るのは、やめなさい」
「と、というと?」
「ヘルシング・アプローチの『ヘルシング』はブラム・ストーカーの小説に書かれたバンパイアハンターの名前から借用した話は、一度したよね。もちろん、これがワラキア地方に取材した吸血鬼伝説からの退治方法なんだけれど、吸血鬼が怖がるモノについしては、他にも伝説があるのだよ。吸血鬼が本当に怖がったのは、十字架そのものでなく、人々の篤い信仰心だって。十字架はその象徴となっていたので、苦手にしていたに過ぎないって説だね」
「……」
「白石さん。君のポッチャリ十字架にも、同じことが言えるのだよ。意匠を凝らしたポッチャリ十字架というアイテムは確かに面白かった。ガーリック入りスイーツも大好評だった。けれど、だからそれが理由で、皆が君のことを応援してくれたわけじゃない」
何より、君が一生懸命恋愛しているってとことが、周囲に皆に伝わったからだよ。白石さんがどんなに姫で、どんなにアイドルでも、原田消防士の隣に立つのは本気で恋愛している君のほうがいい……そう皆が思ったから……いや思わせたからこそ、熱烈熱心に応援してくれたんだよ」
「はい」
「その証拠っていう言い方はヘンだけれど、君が原田消防士と別れて、他の男子を横恋慕した場合、今回みたいに皆が熱心に応援してくれることは、ないだろう。一世一代の、という言い方は大袈裟だけれど、A君がダメならB君っていう、変わり身の速い女子に、そんな熱心な支持者は出ないさ。私が桜子と恋愛の神様の話、したときのこと、覚えているかい? どんなブスでもデブでも、神様は一回はチャンスをくれる。二度目は望み薄っていう話。恋多き女子では得難い応援が、純愛女子にはあるのさ」
私がグダグダ話している間、若くて美人な看護師さんが、中学生男子に代わって、車椅子を引き受けようとしていた。
「早速ヘルシング・アプローチの出番みたいだね」
困ったような顔をした中学生男子が、一生懸命白石さんを手招きしていた。
「私、行きます」
白石さんはくるりと身体をひるがえすと、一目散に彼氏の元へと駆けていった。
私は背中に向かって、叫んだ。
がんばれよ。君の恋、先生も、応援してるぞ。
(了)
略奪愛されそうな女の子のためのヘルシングアプローチ 木村ポトフ @kaigaraya
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