第13話 オタク牧場・その②

「スピーク・イージー」

「スピーク……他のお客さんの迷惑になるから、こーゆーの、やめない?」

 私が木下先生とともに訪れたのは、古き良き時代のアメリカの秘密酒場ではない。塾にほど近い住宅地にあるコインランドリーだ。壁は奥一面びっしり、洗濯機。入口があるガラス張りの対面には、背もたれのない丸椅子(足が錆ている)数脚に、腰までの高さの折り畳み式テーブルが二つ、という殺風景な場所だ。

 私たちを迎えに入れくれたのは、丸森ミホ姫の取巻き……いや、離反して新しい姫の元に集おうとしている「離反組」である。1人はノッポであとはチ……背の低い男子で、揃いも揃ってユニクロのシンプルなジャケットやパーカー姿だ。一番背が低くて老けた顔の男子が代表らしく、自らドワーフと名乗った。そして自己紹介もそこそこに、彼らは自分たちが離反組だと名乗った。

 私は最初にクギを刺した。

「ヨコヤリ君を姫に仕立てるパターンは、駄目ですよ」

 富谷さんが強力なガードを敷いていることは、既に了承しているとおもっていたけれど……。

「違います。僕らは男に萌える趣味はありません。姫を迎え入れるなら、やっぱりアイドル性のある女の子かな、と」

「ほう」

「僕らはミホ姫を見守る会の他の有象無象みたいに、姫がかわいいから、他の趣味から転向してきたというクチではありません。もともとアイドル研究会のメンバーなのです」

 ドヤァ。

 そう満面の笑みで胸を張られても、どう反応していいのか、分からない。

「庭野先生も、ご存じのように、姫を見守る会は、自作パソコン研究会が姫を姫として祭り上げた時から、スタートしました。その後、姫のカリスマ性に天啓を受けた男どもが、吸収合併という形で姫のサークルに参加していきます。一番目は自作パソコン研究会として、二番目の加入は同人誌サークル、そして何を隠そう三番目が我々アイドル研究会『肉眼の望遠鏡』なのです」

 ドヤァ。

 同人誌サークルはメンバーわずか三人だけの小所帯で、サークルごとの加入という今の方式に道筋を着けたのは、事実上、彼らだと言う。

 ちなみに、彼らグループの二つ名は、スター(アイドル)を探し出す「望遠鏡」。それもレンズ(色眼鏡)を通したのでなく、虚心坦懐にアイドルその人を見る、という意味なのだそうだ。

 再びドヤ顔で、今度は全員が顔を輝かせている。

「ああ。姫が姫であることを、いちはやく見抜き、すかさずサークルごと打って出た我々の先見の明。自画自賛なんていうチープな誹謗中傷なんて霞んでしまうでしょう? ブレない信念という点でも、我々は他の面子とは一線を画しています。漫研だのコスプレサークルだの、他に趣味があるなら、それでいいじゃないかっ。漫画描いてろよ、コスプレしてろよ、こっちくんな」

「まあまあ」

 勝手に怒って、勝手にコーフンされても困ってしまうのだけれど、彼らには興奮しているという自覚もないようなのだ。

 時折思い出したかのように、このコインランドリーには中年女性が入ってきて、洗濯物をランドリー内に放り込んだり、取り出していく。あからさまに視線をぶつけてくる人はいないけれど、モノ言いたげにチラチラと観察するのを忘れない。スーツ姿の私と、パっと見、美人の木下先生が同席していなかったら、警察を呼ばれて補導されるコトは間違いナシの胡散臭さだ。

「やっぱ、場所を替えようよ。ファミレスのドリンクバーぐらいなら、奢るからさ」

「いえ。大丈夫です。僕ら、ちゃんとコインランドリーも利用してますよ」

 彼らの指差し先では、確かにドラム回転中の洗濯機があった。細長いヒモ状のモノが、うねうねとランドリー内を泳ぎ回っているように見える。全部が全部、ハチマキ(『推し』の名前入り)で、母親や姉に頼むと、高確率で紛失されたり捨てられたりしてしまうので、自分で洗濯するのだ、と言う。

 木下先生がピシャリと言った。

「あなた方の自己紹介、というかゴタクは分かりました。でも、これくらいでいいでしょう? 私たちをこんなトコロまで呼び出して、何がしたいんです?」

「庭野先生。桜子さんを、ください」

「えっ」

 一瞬、結婚の申込だと思ってしまったのは、最近、梅子の披露宴うんぬんの話に、つき合わされてきたからに違いない。自分たちのアイドルとして祭り上げるために「肉眼の望遠鏡」に加入して欲しい、ということだと気づいたのは、少ししてからだ。

「もちろん、紅一点のメンバーとして、です。一生懸命チヤホヤします、服でも靴でもかばんでも、姫がオネダリしてくれたら、何でも貢ぎます。庭野先生がご存じかどうか分かりませんけど、姫になりたいと願う女子、全員が姫になれる時代ではありません。囲いのオタクたちには、オタクなりのプライド、というものがありますから。選ばれたコトを光栄に思って……とまで言えば、おこがましいけれど、こういうチャンスが来たら、素直に応じるというのが、正しい女子高生の在り方だと思うんだすよ」

「ウチの姪は、ガワも中身も、やたら男っぽい女子だよ。オタク君たちがビビっとくるようなアザトイ演技は無理だし、いくら君らがチヤホヤしたところで、媚びたりもしないんじゃないかな」

 木下先生が、横から口を出す。

「そもそも桜子ちゃん本人に、話は通したの?」

 皆黙って首を左右に振った。どうやら女子のことを女子と意識すると、会話が続かなくなってしまう……あるいは最初から話しかけることができない男子たちらしいのだ。

「僕ら、ピュアでシャイなんです」

「……一般的には、ヘタレの臆病者、と言うと思う」

「臆病者とは、違います。臆病者だったら、二次元とかに逃げるんじゃないんですか」

 私が何か言う前に、ノッポがドワーフの発言を咎めた。

「いや、それは違うと思うよ、ドワーフ。……二次元好きな人すべてが、三次元を諦めたから二次元オタクをやってるわけじゃないだろ」

 ノッポの発言を期に、色々と内輪揉めし出したけれど、ここは割愛しておく。

「……最初のお願いに戻りますけど、庭野先生、桜子ちゃんに、一言、お口添えを」

 私は、キッパリと断った。

「君らが直接、桜子を勧誘する分には、反対しないよ。しかし自分でそんな女衒みたいなマネ、する気にはなれないよ。第一、君らがそんなふうに童貞くさ……ピュアボーイのまんまなら、桜子がサークルの姫になったところで、お通夜みたいな陰気なサークル活動になりそうで」

 木下先生も言葉を添える。

「話は何度も戻っちゃうけど、どーして桜子ちゃんなの? てか、桜子ちゃんのどこに魅力を感じたのかな」

 ドワーフが代表して返事する。

「彼女に男の気配が全くないところ、ですよ。ミホ姫が宇宙一可愛いのは、我々も認めるところですが、男の影が少しでも感じられれば、萎えてしまうのです。彼女気どりの勘違い男というのは、一匹見かけたら三十匹はいると思え……というのが、我々、囲いのオタクのモットーでしてね。アイツラはゴキブリと同じ……というか、ゴキブリ以上に繁殖力がある。原田消防士とのツーショット写真の前にも、怪しげな噂はチラホラありました」

 ノッポが続けて話す。

「初心に戻って、やり直そうって話したんです。アイドル系のオタサーのいいところは、姫と自分たちの距離が近いところです。でも、取巻きの人数が多ければ多いほど、姫と接する時間はなくなってしまう。名前も覚えてもらえることなく、握手をすれば30秒で引きはがされてしまうっていう世界にも、それなりにいいところはあるんでしょう。でも僕たちは……」

「桜子ちゃん、好きな男子いるよ」

 ギョッとしたドワーフが、一方的な語りを止めて、爆弾発言の主を、見つめた。

「え。木下先生、それは……」

 木下先生は、容赦ない。

「一緒にお風呂入ったりもしてるって。本人から聞いたことがあります」

 ノッポが乾いた笑いで、木下先生の証言の否定にかかる。

「それは、あれでしょ。親戚の幼稚園児の男の子か何か、ていうオチでしょ?」

 木下先生は、私のほうに妙な流し目をくれながら、続けた。

「30半ばの、オッサン」

 これ以上バラされると、私の立場が危うくなる。口封じに……じゃない、桜子の学校生活を心配して、これ以上のプライバシー暴露は、ヤバい。私は抗議しようとした。でも、杞憂だった。

『肉眼の望遠鏡』の面々は、「裏切られた……」と勝手に身悶えし、落ち込み、桜子を……いや、世の女子高生全員を呪おうとするヤカラもいた。木下先生は、そんな男子高校生たちに、激高した。

「あまりにも、身勝手っ」

 大きなランドリーバッグを抱えて入ってきた親子連れが、びっくりして飛び出していった。

「そこに、直りなさい」

 木下先生の剣幕に、全員、土間に正座する……なぜか私も。

 サークルの面々は、叱られた理由が、分からないらしい。

 本人たちは、女の子を姫として祭り上げることを、完全に正しいこと=女の子たちも絶対喜ぶこと、と認識しているようだけれど、「ありがた迷惑」に思っている女の子のほうが大半だ……と木下先生は説いた。

アイドル研究会の面々は、自分たちの存在意義……というか行動原理を全否定されて、顔をひきつらせた。

「それに、他の男の影がある女の子が駄目で、純真無垢なのじゃなきゃ駄目、というのは劣等感の裏返しです。男として、実に情けない」

 木下先生自自身が、ストーカーまがいの勘違い男につけまわされた事が何度かあって、「チヤホヤすること」を免罪符に使う男子が嫌いだ……と言うことも、言った。私たちの足が痺れて、立ち上げれなくなる頃、ようやく彼女の説教は終わった。コインランドリーのお客さんの誰かが管理会社に連絡したらしく、今は嘱託社員をやっているという年配男性がやってきて、私たちは再び説教された。


 コトの顛末を、私は警告のつもりで、ヨコヤリ君と桜子に教えた。

 地元神社のお祭りの手伝いとかで、ヨコヤリ君は富谷さんともども、今週塾は休みだった。仕方なく、メールで確認してから、電話を入れた。

 電話口で顔は見えないけれど、ウンザリした様子が声とともに伝わってくる。

「アイドル研究会道にもとる所業ですね」

 その……アイドル研究会、道って、なに?

「アイドルになりたくない女子を、無理やりアイドルに祭り上げようとするやり方が、アイドル研究会の仁義にもとる、ということです」

 大先輩たちに説教してもらいましょう……とガールフレンドの富谷さんの時に世話になったディープなオタクの面々を呼び寄せた、という話だ。


 桜子は、風呂上りに学校の宿題を見てくれ……と私の部屋に来たので、その時に話しした。

 事の顛末を話すと、意外にも「オタサーの姫かあ……一度やってみてもいいかな」という返事。

「女性」性の権化みたいな木下先生が否定的で、男子みたいな桜子が肯定的なのは、面白いと思った。桜子はコトもなげに言った。

「当たり前じゃん。オタサーの姫っていうのは、あくまでも男の子向けの夢……男の子向けの物語であって、女の子向けじゃないでしょ」

「そうなの……かな?」

「いつでも周囲に、自分を狙ってギラギラ目を光らせている男子を侍らせて、少しの不安も感じないとしたら、それは……その姫は、男の子以外の何者でもないと思うな」

「うむ。ちょっと説得力、あるかも」

「逆バージョンを考えてみれば分かるでしょ、タクちゃん。アイドル男子になるマンガやラノベっていうのは、常に女の子向けじゃない。少なくとも、主人公だったり語りてだったり、どこか女の子が自己投影できる女の子がいる世界だよ。てか、少年ジャンプやマガジンで、そういうの……アイドル男子のマンガ、読んだことある?」

「……確かに、ないかもしれない」

「だからね。外見はどこまでも女の子で、中身はどこまでも男の子、みたいな子じゃないと、アイドル、成功しないんだと思うな」

「でもさ。桜子、中身だけじゃなく、外見だって男の子みたいじゃん」

「アイドル研究会の人に目を向けられるくらいなんだから、タクちやんが思っているほど、男の子じゃないってコトだよ。タクちゃん、いい加減、私を可愛いって認めなさい」

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