第10話 学校裏サイト

「なんか……もっとおどろおどろしいモンだと思ってたよ」

 古川さんが「学校裏サイト」としてアクセスしてくれたのは、「シケタイ・ページ」という、何の変哲もないホームページだった。

 そう、白石さんが私の策のためにイジメにあっている……という噂を耳にして、私は調査することにしたのだ。塾にもネットにつながったパソコンを置いてはあるけれど、学校裏サイトなんて、堂々、閲覧するものじゃない。ネット全般に詳しい古川さんを我が「図書室」に招き、ネットの闇っていうヤツに潜ってもらうことにしたのだ。もちろん私が招いていない「客」……桜子も一緒だ。

 我がパソコンは、塾の経費で落とした、やたらハイスペックなマシーンで、ほとんどネトゲ専用として遣っている。ゲーミングチェアは座りなれているのか、古川さんは深々と腰掛けると、電源を入れた。

 我が母校にして、桜子・古川さんが通っている高校は私服校だけれど、私服校なりにルールはある。短パンをはいてダメ、というのが、その制限の一つである。古川さんは学校に来ていけない私服ということで、わざわざ短パンできてくれた。おしゃれである。桜子も外出する時には、この手のオシャレをするけれど、我が図書室に来る時は、たいていダラしない。この日は中学校の時のジャージ姿だ。

「でも、あくまで普段着よ。パジャマ代わりにしてないだけ、エラいでしょ」

「あっそ」

「褒めて、褒めて」

「桜子、偉い、偉い」

 古川さんは、私たちの漫才に目もくれず、キーボードをカチャカチャ叩く。

「センセ。サクラちゃん。パソコン立ち上げて、いいですか?」

 私は、頭を下げた。

「お願いします」


 学校裏サイト。

 私が学生時代にはなかったモノだけど、その悪評はよく知っていた。

 古川さんがマウスをクリックするたび、私は身構えた。

 けれど、実際にそのページを見せてもらって、拍子抜けした。

 白地に「メイリオ」フォントで分かりやすく書かれたページには、上にシンプルなタイトル文字。タイトル前後に添えられたイラストは、シケタイからのダジャレか「椎茸」である。左側サイドバーには自己紹介と目次。そして右側にリンク等が張ってある。中央には、もちろん、メイン記事。原稿用紙一枚程度の短文と、写真が2、3枚という構成だ。クリックして出てくる小記事は、どれもが他愛もないモノ。高校野球やサッカーの観戦、はたまたコンビニ新発売のエナジードリンクなど、今どきの高校生が力を抜いて読める記事になっている。もちろん、サイト名の「シケタイ」=「試験対策」についてもバッチリで、3学年ぶんの英語と数学教師が、実名で掲載されており、各々の先生の過去問から、勉強のコツまで網羅していた。

「先生のプライベートな情報にちょっと触れているのはマズいと思うけど、後は普通の試験対策サイトに見える」

 古川さんも、マウスをあちこち動かしながら、言う。

「そうですね……他に気づいたことは? 庭野センセ」

「記事を書いているのは、現役男子高校生じゃないかな」

 それも、桜子と古川さんの高校上級生みたいだ。

「……それが、多分違うかもしれないんです」

「と、いうと? 古川さん」

 古川さんは、私の疑問に答える代わりに、リンク欄の載っているのの、一番下をクリックした。

 パスワードを要求するページが出てくる。

「POMKOTSU.NIWANO」

 古川さんがパスワードを打込むと、2、3秒の待ち時間の後、匿名掲示板画面に入れ替わった。もともとの画面も、たいていのホームページに比すればシンプルな代物ではあったけれど、古川さんが潜り込んだ「裏サイト」は、もっともっとシンプルだった。黒画面に緑色の文字で文章が投下されているだけの画面。ウインドウズのコマンドプロンプトを間違って開いてしまったかのような錯覚に陥る。

「てか。パスワードがポンコツ庭野だなんて。古川さん、高校の同級生上級生に、桜子以外に庭野っていう苗字の人、いるの?」

「いません。そう、聞かれると思って、事前に調べておきました。この庭野って、サクラちゃんのことじゃなく、庭野先生のことだと思います」

「えっ」

「スレッドをを2つ3つ開いて、読んでみて下さい。私、ちょっと、お花を摘みに」

 というわけで、古川さんが席を外している間、私は私の悪口が書かれているとおぼしきスレッドを選んで、読み漁った。某学習塾の庭野というオッサンは、チアリーダーの恰好をして生徒の前で踊るヘンタイ……などと揶揄しているので、間違いなく私のことだろう。トイレのついでに台所にいってきたのか、コーヒーを持ってきてくれた古川さんに、聞く。

「これ。学校の裏サイトっていうより、石巻塾業界の、裏サイトなんじゃ」

「違います。ちゃんと高校の生徒先生の裏話なんかも、書いてありますよ」

 古川さんは、適当なスレッドを開いてみせてくれた。「ダイマツ」君という生徒さんが、オッサン臭くて加齢臭までする……なんていう悪口三昧が載っていた。部活の後輩にラブレターを送ったらしく、その全文が長々と引用されてもいた。その上で、「どのツラ下げてラブレターだよ、キモっ」などという罵詈雑言が並んでいる。私は顔も知らない、その「ダイマツ」君とやらに、激しく同情した。「ダイマツ」君関連のそのスレッドを下まで読んでいくと、彼は女子部員全員にシカトされ……ロクに口を利いてもらえなくなり、やがて退部したらしい。

「ひどい話だ」

「でも、これが特別に最悪ってことでも、ありません。もっと手に負えなさそうなのも、あります」

 日本史の先生が隠れ右翼だったり、古典の先生が生徒に手を出すナンパ野郎だったり……なんていうスキャンダル記事もある。古川さんは、他高校の裏サイトにも潜り込んだことがあるらしく、「妊娠、堕胎して退学……なんてのがないだけ、まだマシかな、と」と感想を述べた。

 私はもちろん「裏サイト」の見方なんて分からないから、古川さんにさらに感想を聞いた。

「PTA関係の記事が、ほとんどありません。誰々の母親と誰々先生が不倫、なんていうの、ちょっとは期待してたんですけど」

 おい。

「塾関係のは、庭野ゼミナールと、スパルタン石巻、2つだけです。明光義塾とか家庭教師のトライとか、全国メジャーの有名どころも石巻にはあるはずなのに、なぜかこの2校だけ」

 スパルタン石巻は、庭野ゼミナールと同じ、石巻圏内にしか教室がない個人経営塾で、生徒を徹底的に勉強させる……文字通りのスパルタ教育をするので、近年勢いがある塾だ。あまりの勉強漬けを嫌がる生徒さんもいるそうだけれど、厳しい分、成績が急進した塾生も多いそうで、保護者からは評判がよい。

「ああいう軍隊みたいなところ、私は、性に合わない」

「スパルタンさんも、庭野センセに同じ感想を抱いてるかも。あんな変人で下品でイロモノな講師、いてたまるか、とか」

「古川さん、手厳しいなあ」

「当たり前です」

 パスワードのポンコツ庭野から既に分かるけれど、庭野ゼミナールをケナして、スパルタン石巻をヨイショするスレッドが、たいへん多い。

「……書き込みしている人は、どちらの塾にも顔を出したことのある生徒さんみたいだ」

 スパルタン石巻の先生たちをケナしているユーザーもチラホラいるようだけれど、庭野ゼミナールへの悪意の比じゃない。合格実績はあっちとオッツカッツなはず。

 なぜに、こんなに嫌われている?

「そう。私もそう思ったんです、庭野センセ。で、ひょっとして、この裏サイトを運営しているのが、スパルタン石巻の関係者かもって、思い至りました」

「ほう。その根拠は?」

「パスワードの入手方法です」

「そう言えは゛、どうやってパスワード情報を入手したのか、聞いてなかったっけ。古川さんのことだから、このサイトに華麗にハッキングでも仕掛けたのかと、思ってた」

「違います。普通に、クラスメートの女子から聞いたんです。対価として、BLゲームのソフトを5本貸すはめになりました。で、そのBL好き子ちゃんが、どこからパスワードをゲットしたのか聞いて、元をたどっていったんです。BL愛好家女子、そのお兄ちゃん、お兄ちゃんの悪友……て、感じで。そうしたら、最後にはスパルタン石巻に通っている同級生までいきました。で、その同級生は、仲の良いチューター……スパルタン石巻には、副担任役で生徒の世話をする講師がいるそうです……そう、ウチの渡辺先生みたいなチューターから、聞いたとか」

 古川さんは、慎重を期すために、別の友人からも、裏サイトパスワードを手に入れ、同じように出所にさかのぼった。そうしたら、やはりスパルタン石巻の名前が出てきたそうな。

「じゃあ、これ、学校裏サイトのふりをした、庭野ゼミナールへの攻撃・中傷サイトだ」

 なんて卑劣な。訴えてやる。

「本当に、単なる庭野ゼミナール攻撃サイトだったら、訴えるの、私も賛成です。けれど困ったことに、ちゃんと学校裏サイトとして、機能してもいるみたいで」

「と、いうと?」

「いじめられている生徒の中には詳細個人情報が漏れている人もいるんです。さっきのダイマツ君みたいな。その子のプライバシーが、どさくさに紛れて一般高校生に暴露される可能性があります。というか、私がスパルタン石巻の仕掛け人なら、最後っ屁っていうか、どさくさに紛れて暴露して、その責任を告発相手……庭野センセになすりつけるかも」

「古川さん、陰険?」

「策士って言ってください」

「じゃあ、個人情報が漏れないように、慎重に根回しした後なら、大丈夫?」

「裏サイトとして機能しているっていうのは、悪口やイジメで個人攻撃満載、ていう意味だけじゃないです」

「というと?」

「誰にも相談できる相手がいなくて、ここで気持ちを吐き出している子もいるんです」

 実の兄のことを本気で好きになり、苦悩する女の子。自分が同性愛者だと自覚してしまった男の子。休み時間ごとにトイレで隠れてディオドラントすることでごまかしているけれど、本当は酷いワキガで、いつ友人にバレないかヒヤヒヤしている女子……。

「その他、人に言えない悩みを抱えている人は、少なくないです。ここで励ましてもらったり、解決方法を一緒に考えてもらったり……心の支えっていうか、よりどころの一つ、みたいになってるっていうか」

「厄介だなあ」

 裏サイトを開いてから、黙ってカリントウをかじっていた桜子が、腕組みして悩み始めた私たちに代わってゲーミングチェアに座って、マウスを動かした。

「どれどれ。見して」

「うん」

「知ってる人、いるかなあ」

 つらつらスレッドのタイトルを眺めていたけれど、やがて言う。

「悩める子羊くんたちが邪魔で、裏サイトを潰せないっていうなら、その悩みを解決してやれば、いいんじゃないの?」

「なるほど。相談ごとがなくなれば、一番守るべき生徒さんたちが、やがて裏サイトから卒業していくか」

「人質」がなくなれば正々堂々裏サイトを潰せる。にっくきスパルタン石巻に大打撃を与えられる日も、近い?

「ちょっと、サクラちゃん、庭野センセ。ライバル学習塾とバトルするために、裏サイトを閲覧することにしたんじゃ、ありませんよ。カナデちゃんが人知れず苦しんでみたいで、元凶の一つ、裏サイトでのイジメを止められないか、調べにきたんでしょ」

 そうだった。

 悪口を言っているスレッドに、反対意見を書き込んで、白石さんの援護をしよう……という目的で、私たちは裏サイトに潜ってきたのである。

「どーも、噂通りにイジメられているみたいだね」

 桜子が指さした先を、私も読んだ。


 もともとポッチャリさんで、多少の「デブいじり」にはビクともしない……という白石さん自身の強気発言の通り、スレッド最初のほうは、ドギツイ悪口に加えて「イジメ失敗」の報告が散見された。ハンドルネームを見る限り、このイジメの加担しているのはたったの2人で、投下している文章のあせりを見る限り、イジメている側のほうが白い目で見られているような雰囲気さえある。私は、高校後輩のほとんどが良識あるのが分かって、少し嬉しくなった。

 白石さんが動じないのが分かって、イジメっ子たちは方針を変えたようなのだ。

 高校同級生をイジメ仲間にするのは諦めて、白石さんの中学時代の同級生や友人たちを巻き込んだようなのだ。中学時代、自他ともに認める優等生だった白石さんは、「身の程をわきまえないエロブタ」なる下品なタイトルがついた写真を回覧されて、心が折れたようなのだ。

「最初に攻撃されたときは、相手がたったの2人だったから、正体を探って逆襲してやろう、みたいな感じです、スレッドを読んでいく限り。他愛もない会話をして、そこからヒントを掴んでやるぞ、みたいな」

 けれど……「エロブタ」写真を晒されてからは、イジメっ子たちに、謝り倒しているような文章が続く。

「普段接する白石さんからは、想像つかない、弱気だ」

 古川さんが、結論を出す。

「学校や塾で、白石さんがイジメられてるっていうなら、私たちが色々できることも、あるでしょうけど。中学時代の同級生からの陰口、なんてなると、対処しようがないですね」

「うーん。プロバイダに開示を求めるとか」

「だから、これ、裏サイトですってば、庭野センセ」

 そもそもエロブタ呼ばわりされるような恰好をするようになったのは、私が白石さんに授ける策で、ぽっちゃりを強調するような、ボディコンシャスな服装をしよう、と提案したことにある。

「タクちゃん。ヘルシング・アプローチのやり方を改良して、デブを強調しない服を考えてったほうが、早いんじゃないの」

「うむむ」

 裏サイト閲覧は、わずか30分ほどで終わったけれど、私には3時間くらいの体感だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る