第8話 チキンレースとセバスチャンの独り言

 桜子の姉・梅子に呼び出されたのは……正確には、押しかけられたのは、この会議のすぐ後のことである。

 ゴールデンウイーク中の「集中セミナー講座」を売るべく、チラシ配りとウエブ広告の打合せがあって、私は予定より大幅に遅れて帰宅した。二階児童書図書室には既に梅子が来ていて……というか、既に缶チューハイを何本か空けて、できあがっていた。

 桜子が、姉の飲みすぎに注意すべく、ピッチャーに氷水を入れて準備していたのはいつものことだけれど、この日は、他に珍客がいた。

 我が塾のマルセイユ人講師、ジョルジュ・サルトビ・モレル講師である。彼のほうはシラフで梅昆布茶を飲んでいた。我がオオトラがしきりにアルコールを勧めてくるのに、辟易している様子だった。

「あ。おっかえりー」

「舌が回ってないぞ、梅子。つか、胃が悪くなるし、少しはツマミも食べなよ」

「いいよ。タクちゃんに一言言ったら、アタシ、退散するから。今日はこの一本で打ち止め。ね、ジョルジュ?」

「そういや。サルトビ氏。なんで、ここに?」

 梅子とフィアンセの結婚式は六月に、石巻南境のアンジュガーデン迎賓館で開催されることに、決まった。ジューンブライド、というヤツだ。それで、余興の出し物として、サルトビ氏にピッコロの演奏を頼んでいたという。

「へー。楽器ができると、こういう時、重宝されていいねえ」

「でね。タクちゃん。そのジョルジュから、一言あり。というか、桜子も言いたいこと、あるってさ。ズバリ、白石カナデさんのことよ」

「ふむ。順番に話を聞こうか。サルトビ氏?」

「彼女がミホとやってる、ポッチャリレース? であってる? その、大食い大会、辞めさせられないデスか?」

「ああ。ヘルシングアプローチの件か。てか、サルトビ氏、この件については敵でも味方でもないんでしょう。なにゆえ、そんなことを?」

「カナデ、ピッコロの定期練習中に、倒れたんですよ。その、苦しいとか、疲れたとか、一言もなく、イキナリ、バターン。正面から倒れたはずなのに、なぜか背中が苦しいって言う。演奏姿勢が悪かったから……と、カナデ本人は言ってた。でも、ボク、心配になって、念のため彼女に病院に行くように、言いました。そしたら、心臓が弱ってるって。太り過ぎて、血管と心臓にものすごい負担がかかってる、と」

「で。大食い大会が、デブの原因だから、辞めさせたい、と」

「ウイ」

「そもそも最初から……白石さんが病院に行ったとき、サルトビ氏の口から直接、ダイエットしなさい、とでも言えば良かっただけの話じゃ」

「言ったよ、タクロー。けれど、カナデは、頑として、やめるとは言わなかったね。ミホに勝つその日まで、食べ続け、太り続けると宣言してたよ。聞いたところによると、この策をカナデに授けたのは、タクローだって言うじゃないか。ボクが思うに、彼女の暴飲暴食を止められる人は、三人しかいない。一人目は彼女のステディ、タケヒト。次にミホ、そして最後のタクロー、君だ」

「まあ、そうか」

「ボクはカナデの彼氏の消防士には面識がない。ミホは、カナデが負けを認めるならともかく、ライバルのドクターストップうんぬんで勝負を中断する気は、ないだろう。ミホはミホなりに、自分の立場……サークルそのものを賭けてるんだから。それで、消去法で、タクロー、君に談判に来たんだ」

「うむ」

 サルトビ氏が再び梅昆布茶をすすり出したタイミングで、桜子も私に懇願の目を向けてくる。

「タクちゃん。私からもお願い。カナデちゃん、学校でも、浮きつつあるのよ。彼氏さんがデブ専で、だから自分は愛されてるんだってことを、アピールするために、カナデちゃんに体型丸わかりの服を着ろって言ってたわよね。ほら、ピチピチの服が恥ずかしくないように、ノーパンミニスカで練習しろって言ってた件」

「ああ。あったね」

「今までは、太ってるっていう事実をネタに、カナデちゃんをいじったりイジメたりする人は、いなかった。でも最近、カナデちゃんがボディコンシャスな恰好をするようになってから、風向きが変わってきたのよ。いやね、イジメみたいなモノはないけど、クラスメイトの態度が余所余所しいっていうか慇懃無礼って言うか……そう、ハブられるっていう感じで、周囲から浮いてきてるみたいなのよ。私個人だけの感想じゃないよ。カナデちゃんに聞こえるようにイヤミ言ったり、陰口叩く人が出てきたって。それから、アユミちゃんやアキラちゃんから聞いたんだけど……闇サイトっていうの? 学校の良からぬ人たちがネットの中でこっそり集まって、ドギツイ罵倒、しまくってるとか」

 キショイ……鏡見たことねーのかよ……などという定型文はまだおとなしいほう。中には、盗撮写真にデブだのブタだの悪口を書き込んで、匿名掲示板にアップする人もいるのだそうな。

「姫を退けて彼氏を確保したとしても、学校生活が崩壊しちゃったら、元も子もないじゃない」

「一理ある、桜子」

 ヘベレケになっていたはずの梅子が、いつの間にかシャキっと起きて、私に向き合っていた。

「納得したところで、最後のダメ押し、いい?」

「覚悟したよ、梅子」

「オカネの話よ」

 いくらお菓子作りが趣味だと言っても、毎日塾に、そのスイーツを持参してきたり、彼氏に持たせて姫の元に送り込んだりしていては、いくら金が有っても足りない。

「それから。彼女の新調した服も。タクちゃん自身が言ってたんでしょ? ポッチャリさんは普通、ダブダブの服、着るって。デブ向けのボディコンシャスな逸品なんていうのは、特殊中の特殊だし。そもそも太ったぶん、今までの服が着れなくて、単純に買換えしてる分の出費もあるでしょ。さらに、ポッチャリ十字架とか、細々したアイテムも、カナデさんの小遣いから出してる、とか」

 トータルの出費、全然計算してないでしょ、と私は姉妹双方から、詰め寄られた。

「策士、策に溺れるよ、タクちゃん」

「面目ない、梅子」

「私、男の人の女に対する好みって、それなり詳しいとは自負してるんだけど……デブ専って、身近にはいなかったから、ちゃんとしたことは、言えない。でもさ……際限のないデブでも構わないデブ専って、本当にいるの? ぽっちゃり好きなら分からないでもないけど、肉まんじゅうみたいな女子も、本当に好きでいてくれるわけ?」

 結局太り過ぎたコトを口実に、白石さんが原田消防士に振られてしまったら、元も子もないだろう……という話だ。

「なるほど」

 納得はしたけれど、説得の言葉は出てこない。

「命をかけて、居場所もかけて、破産の憂き目を見て、それでも彼氏を守ろうっていうカナデちゃんの心意気、もちろん好きよ。でも結婚直前の女の立場から、シビアに言わせてもらえば……それで見返りがあるとは、限らない。こっちが一生懸命なのに、彼はケロッとして分かってくれないって、多々あるよ。悲劇のヒロインになる覚悟があるならいいけど、そーゆー時でも、自分に酔ったり、自分を憐れむのだけはやめなさいな。それが一番みじめだから」

「梅子」

「自分の好きなぶん、相手も同じくらい好きになってくれるとは、限らない。胸に刻み込んでおきなさい、とカナデさんに言ってちょうだい」

 退散すると言っていたはずの梅子は、言いたいことだけ言うと、グーグーガーガー、大きなイビキをたてて、寝入ってしまった。桜子が慌てて毛布をとってきて、姉にかける。

「お姉ちゃん、このところ結婚の準備で忙しかったから」

「分かってるよ、桜子」

 しっかし、どんなに頑張って努力しても、実らない時がある、か。

「お姉ちゃん、悪意があって言ったんじゃ、ないわよ」

「分かってるって、桜子。白石さんも分かると思う。結婚までたどりついた大先輩の貴重なアドバイスだから、ね」


 限界がきたのは、白石さんのほうだけ、じゃなかった。

 普段、塾へは単身で来る丸森さんが、なぜか「正装」したセバスチャンくんを連れてきた。たしか、姫より一つ年上ということは、今年受験生。ひょっとして入塾希望か? と色めき立つ私に、彼は飄々と答えたものだ。

「宣戦布告の答礼に来たんですよ」

 話が長くなりそうだったので、私は彼を塾長室に通した。ポーカーフェイスが得意そうなセバスチャン君も、ウンコグッズの山にギョッとしたようだ。

 今回、大活躍だな、ウンコ。

「あなたの作戦のせいで、姫が困ってます」

「皆まで言わなくとも分かってるよ、セバスチャン君」

 食べすぎで健康問題が出てきたり、太った丸森さんを見て、サークルのオタク君たちが離反していったり、衣服の新調でお小遣いが足りなくなったり。

「だろ? セバスチャン君?」

 私が学習したばかりの知識をタテにドヤ顔をすると、この高校生執事は冷めた目で首を左右に振った。

「姫自身、我々下僕に命令を下したりして、忙しく働いてますから、多少食事の量が増えたところで、健康に影響したりは、しません。それに、多少ポッチャリしたトコロで、我々の忠誠心が揺るぐことはありません。服に至っては、最初から問題ナシ。今でも、姫に童貞殺しのワンピースだのスカートだのを貢ぎたい面々で、サークルはいっぱいですよ」

「……」

「問題は、あの、ヨコヤリさんの息子さんのほうです」

 そーいや、偵察を頼んだのだった。

「新しい姫が来た、と彼を……いや彼女を祭り上げようとする不穏分子が、水面下でうごめいているのです。裏切りです。反乱です。浮気者なのです」

 我が塾の、とりかえばやカップル……富谷さんとヨコヤリ君は、デートの時、それぞれ男装女装をする趣味がある。

「中身が男だと承知してるくせに、ヨコヤリ君を姫をと持ち上げるとは。いかにもオタクというか、ディープ趣味というか。病んでるなあ」

「余計なお世話ですよ、庭野先生。たった5、6人の離反でも、姫は気が狂わんばかりに動揺してます。白石さんの挑戦のほうは、堂々受けて立つ。けれど、ヨコヤリ君みたいなのは、やめてもらいたい」

「どこがどう、違うんです?」

「姫のトウラマ……今みたいにサークルを作って、姫として君臨する切っ掛けになった、痛恨の失恋があるのです」


 そもそも丸森さんとセバスチャン君は、小学校に上がる前からの幼馴染で、妹みたいな存在、という。

「小1から牛乳瓶の瓶底みたいな、分厚いレンズの眼鏡を着けて、日がな一日、読書をしているような女の子でした。運動オンチで、人見知りで、公園なんかに連れていっても、僕の背中に隠れているだけ。勉強ができるのが唯一のとりえ。オシャレにも全くの無頓着。心配していた姫の母親が、色々と可愛い服を買い与えてくれるのに、そういうのを無視して、一週間も同じ服を着続けるタイプ。正直、僕が側にいなければ、イジメのターゲットになっていただろうな、と思います」

 お茶を出すのを、忘れていた。

 木下先生はちょうど授業中。秘書不在で私は手ずから急須と茶碗を用意した。

「姫が変わっていったのは、中学生になってからです。中間期末という学校テストで学年一位になりました。根暗がり勉で目立つのが嫌いな姫でしたけど、先生方の覚えめでたく、いつの間にか学級委員長です。それで、本人のオシャレとか関係なく、モテはじめました……優等生でとっつきにくいけれど、キャラが立ってますからね、委員長って」

「ほう」

「漫画やアニメ、そして恋愛ゲームなんかでも、攻略対象になってたりするでしょう? 同じく学級委員長をやっていた、クラスの男子と仲が良くなって行きました。あれよあれよと言う間に、周囲公認の両片思いです。姫が無口で引っ込み思案じゃなければ、今ごろは普通に男女交際してたかな、と思います。けど、当の男子が少しずつ、おかしくなっていった。彼の名前、相馬君って言うんですけど、その相馬君のお兄さんが地下アイドルにはまっていた影響で、弟のほうもアイドルフリークになっていったんです。お兄さんは石巻の実家に同居して、仙台の職場に通う人でした。地下アイドルのライブに行く車に同乗して、相馬君も休日には仙台通いするようになりました」

 セバスチャン君は、一方的にしゃべり続けるのに疲れたのか、いったん茶で喉を潤した。

「姫は相馬君と何度かデートしました。けれど、彼はあんまり嬉しそうじゃない。喜怒哀楽を表に出さない人なのか、それとも口数が少ない人なのか。両片思いだと確信していた姫は、一生懸命、自分には似合わないキャラ作りをして……明るく、あざとく、男子にそれとなく媚びるのも忘れない演技をして、相馬君の気を引こうとしたのです。努力の甲斐あってか、姫がとっつき安い女子だと分かると、相馬君は徐々に本性を現わしていきました。そう、デートでの話題が地下アイドルのこと、一辺倒になっていったのです。なんか歯車が狂ってきてる……と姫が気づいたときには、もう手遅れでした。相馬君は姫とのデートをたびたびすっぽかして、その地下アイドルのライブに行くようになりました。学校の成績も急降下、男友達も徐々にガラの悪いのが増えていきました。心配したクラスメイトの女子たちが、姫に『もうつきあうのはやめたら』と忠告してくれるようになりました」

「でも、姫には未練があった。でしょ、セバスチャン君」

「御明察です、庭野先生。そもそもデートはしていたけれど、ちゃんと告ってもらったわけじゃない、と姫は自分に言い訳していたのです。破局はいきなりやってきました。相馬君が、晴れて恋人ができたよ……と、その地下アイドルの女性を紹介してくれたのだ、そうです」

 メンバー5人のうちの最年少21歳、妹キャラで売っているという触れ込み。

 身長146センチ、背が低くて貧乳なのはは確かだけれど、目尻と口元に皺ができたタヌキ顔に、ツインテールが全然似合ってなかった。不審に思ったセバスチャン君が相馬君のお兄さんに確認したところ、実は年齢をサバ読みしている38歳。相馬君の母親と同い年で、2度の離婚歴がある人、と判明した。

「それでも、ファンクラブメンバーの中では、相馬君は超絶勝ち組扱いです。でも、もちろんファンでない人にとっては、血迷うなーっと頭を抱える案件です」

「まあ、少なくとも相馬君のお母さんは、文句を言っていいと思う」

「ファンでない悪友も、ですよ。人の恋路を邪魔するヤツは、馬に蹴られて死んじまえ……なんていう格言がありますけど、余計なお節介なのは覚悟の上で、悪友たちが相馬君に『その女はやめとけ』と、口を酸っぱくして説得したとか」

 もちろん、相馬君には馬耳東風なアドバイスだった。

 38歳のオバサンに負けるなんて……と丸森さんは、激しく落ち込んだ。

「姫には、まだまだ未練があるんです。相馬君は、あの女に洗脳されているだけで、目を覚ませば自分の元に戻ってくる、と」

 けれど、その洗脳解除だけで、彼氏が彼女の元に戻ってくるとは、限らない。

 相馬君の性格的に、アイドルみたいな華やかな女子がタイプなのだろうと、丸森さんは考えた。一念発起して「姫」を目指すことにした……いや、実際に「姫」になったのだ。

 ばちばちぱちぱち。

 私は期せずして拍手していた。

「実にロングストーリーだったね、セバスチャン君。姫が姫でいたい理由、分かったよ」

「いえ。庭野先生。あなたはまだ、すっかりとは分かってません。姫が取巻きに裏切られるのは、ずーっと思い続けている男子に裏切られるのと、同じ感覚なんです。とりわけ、自分より魅力が下だと思い込んでいる、正統派でない女子……38歳女子だけじゃなく、ポッチャリ女子や女装子さんに、取巻きを奪われるのは。姫にとって、それは悔しいとか、苦痛とかじゃなく、恐怖そのものなのです」

「つかぬことを聞くけど……今の話、姫のサークルの面々は知ってるの?」

「さすがに誰も知らないでしょう。そもそもサークルがスタートする切っ掛けですけれど、だからこそ、なおさら言わないと思います」

 セバスチャン君が姫の幼馴染であることを知って、さりげなくカマをかけてくる人もいるそうだけれど、一言も漏らしたことはない、と彼は断言した。ちなみに、セバスチャン君が姫の「最側近」で「執事」でいられるのも、この幼馴染という関係が知れ渡っているせいだ。丸森さんは、ワザと人前でセバスチャンでなく「ミナト兄ちゃん」と間違えて呼びかけたりするそうな。

「話は、以上です」

「私になんか、漏らしても大丈夫だつたのかな?」

「僕は、庭野先生の敵であり、味方でもありますから。姫のほうは僕のことを、幼馴染の兄的存在としか思ってませんけど、僕のほうは、ぶっちゃけ、妹に対する以上の好意、あります。姫の側にいたいと同時に、悪い虫がつかないか見張る意味もあって、あえて自分の気持ちを押し殺して、今のポジションにいるんです」

「なるほど」

「中途半端な今の状況が、一番ムカつくというか、気に食わない。姫が勝てば、原田消防士は一介の取巻きになるだけ。逆に負ければ、もう二度と近づいては来ないでしょう。でも、勝負の真っ最中が続けば、僕は……いや、僕らは、いつまでも姫と原田消防士がイチャつくのを見せつけられる、ということです」

「なるほど」

 いつの間にか授業が終わったのか、丸森さんがセバスチャン君を訪ねて、塾長室にきた。姫はドアを開けはなし、半身だけ室内に踏み込んで「執事」を手招きした。

「何の話をしてたの、セバスチャン」

「何も。恋のライバルがスパイスに思えるのは、軽い恋愛の時だけだなーって、話てただけです」

 丸森さんは不機嫌そうにカバンをセバスチャンに持たせると、黙ったまま会釈して出ていたったのだった。

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