第2話 小説執筆への概念
そのうちに、環境にも慣れてきた。うるさいが気にならなくなったのは、自分で思っていたよりも、集中力というものが備わっていたということであろうか。これは、小説という趣味に対してだけのことなのか、元々の自分の性格なのか、どちらなのか分からない。他の人だったら、
「きっと、後者の方がいい」
と思うものなのだろうが、自分にとっては、前者だった。
それだけ、自分にとって小説を書けるようになるということが大切であり、それまで培って育ててきた自分というものを、家族を失ったことで、すべてをなくしたような気になってしまったのだろう。
それまでの人生に、紆余曲折はあったが、なんだかんだ言って、前を向いて進んでくることができた。ここまで大きな挫折は初めてであり、
「すべてをなくしてしまったんだ」
と感じたのは、この時だったのだ。
何をしても心が休まらない。下手に動けばまたいずれすべてを失うことになるという風にしか考えられなくなっていたのだ。
ただ、すべてが悪いだけではなかった。正直、有頂天になっている時や、紆余曲折の中での小さな波に揺られている間は気づかなかったのだが、
「焦りすらも、自分の中で何とかなってきたことが、前だけを向いていてもよかった時期だった」
と言えるかも知れない。
だから、小説が書けなかった。
「小説は、書けなくても当たり前なんだ」
という思いが、焦りが書けない原因だったということに気づかせてくれなかった。
しかし、一度、すべてを失うほどの挫折を味わってしまうと、その時初めて、自分が絶えず焦りまくっていたということに気づいたのだ。
「焦りというものに、今まで気づいていなかったなんて……」
と、我ながら驚かされた。
もちろん、勉強が手につかなかった時も、読書をしていた時も、思ったようにうまくいかなかったのは分かっていた。
その理由が、
「自分は集中できない性格で、それが後ろ向きになっているので、前しか見えていなかった自分には、集中できないということがなぜなのか、分かっていなかった」
ということであった。
すべてを失うくらいの挫折を味わったおかげで、その集中できない理由が、焦りであったことに気づくと、
「そっか、本を読むのに、斜め読みしかできないのも、勉強で集中できないのも、小説を書こうと思っていろいろやってみるが集中できないと思うのも、すべて、この焦りというものが原因だったんだ」
と分かったのだった。
それともう一つ、
「小説なんて、自分にはできるはずがない」
という意識が強すぎることが足を引っ張っていた。
しかし、
「そんな小説だからこそ、書けるようになるのが、自分のトレンドなんだ」
と感じたのも事実であり、すぐに書くのをあきらめるという悪い癖も、大きな書けなかった理由の一つに違いなかった。
しかし、今回は結構粘っている。
このままではダメだと思うと、書く場所を変えてみるという、それなりの発想の転換を、一度だけでなく、数回やってみた。そして、今回は、たどり着いたファミレスで、
「原稿用紙がダメなんだ」
と思い、縦書きから、慣れ親しんだ横書きにすることで、
「思っているような文章が書けるのではないか?」
と感じたのだ。
そう思うと、ファミレスという場所の選択が間違っていなかったということに気づかされる。
うるさいという欠点はあったが、その分、
「生きた素材というべきか、状況観察や、人物観察をするという意味で、これ以上の場所はないではないか」
ということに気づかされたのである。
人物観察や状況観察ができるようになると、やってみたくなるのが、その場の、実況であった。
別にアナウンサーになったと思うわけではないのだが、その人がどのようなことをしているのかということを口に出していると思うと、その先を想像できる気がしてくるのだ。
もちろん、実際に声に出すわけではない。恥ずかしいから、妄想にすぎないのだが、妄想だからこそ、余計に先のことが想像できるような気がするのだった。
アナウンサーというものが、特にラジオのスポーツ放送などでは、決して言葉を切るわけにはいかない。確か、数秒、ラジオのスポーツ中継で、声を発しなければ、放送事故になるという話も聞いたことがあったからだ。
つまり、
「先のことを想像するというのは、言葉をとぎらせないためであり、言葉をとぎらせないようにするには、先のことを想像するのが一番の方法なのだ」
ということができるのではないだろうか。
そう思うと、もう一つ思ったのが、
「妄想で言葉を発することができるのであれば、それを文章にして起こすことだってできるじゃないか」
という感覚だった。
「しゃべっているつもりで、書けばいいだけだ」
というだけの発想が、なぜ今まで浮かんでこなかったのかということが不思議で仕方がなかったのだ。
何しろ、今回は、あれだけダメだと思ってことを諦めずに、発想の転換をして、書く場所を変えてみたりしたではないか。その時にも、いろいろ考えていたはずなのに、こんな簡単なことを思い浮かばなかったというのは、それだけ、無意識の焦りを感じていたからなのか、
「しょせん、小説なんか書けるはずがない」
と最終的にそこに思いが言っていたからなのか分からない。
そんなことを思っていると、書けるものも書けないということに気づいてしまって、また諦めていたかも知れない。
小説を書けるようになるのに、本当はそんなに苦労はいらなかったのではないかと今から考えれば思う。小説を、どうせ書けないと思っていた、その思い込みというのは、
「自分のまわりに小説を書いているという人が、まずおらず、実際に小説を書いているという人に出会ったこともない」
という思いがあったからだ。
絵を描いている人や、マンガを描いているという人は、結構いるような気がする。実際に喫茶店などに行くと、絵を描いている人もいたりする。昔の、昭和の名残のあり喫茶店などでは、スケッチブックのようなものを置いていて、雑記帳として、
「来店記念」
ということで、何を書いても構わないという、洒落たお店もあり、実際に知っていた。
そんなお店を知っていることを自分のトレンドだと思っていたのも、きっとそのお店に行くようになったのが、
「小説を書けるような気がする」
と、感じれるようになったからだった。
実際に、
「しゃべれるんだから、書けるはずだ」
という思いは自分の中に、センセーショナルな風を持ち込んだのは事実だった。
その思いが自分の中での分岐点になったのは間違いのないことで、それから、それまでまったく進まなかった文章が少しずつ続いてくるようになったのだ。
そして、その後に感じた分岐点は、
「途中で気に入らないと思っても、投げ出すのではなく、とにかく何があっても、最後まで書ききる」
ということが大切だと感じたことだった。
これは、自分でも、
「なかなか素晴らしい考えだ」
と思ったが、後になってから読んだ、
「小説の書き方」
のような、ハウツー本が、少なくはあるが、売られているのを読んだ時、執筆者の先生も、まったく同じことを書いていた。
「まず最初の段階では、どんな話でもいいから、最後まで書ききることだ」
という言葉を読んだ時、
「これからも、自分は書き続けてもいいんだ」
ということを、自覚させてもらえた気がしたのだった。
そう思えるようになると、小説を書くのが面白くなってきた。書くということを、それまでは苦痛でしかなく、
「苦痛だからこそ、できた時の満足感はハンパなものではない」
と思い、それが楽しかったりしたものだ。
だが、実際には違っていた。
「面白くても、書いていて楽しくても、完成すれば、同じ喜びと達成感を味わうことができる」
と思った。
まったく同じものではないのだが、レベルという意味では大差のないものだと思い、あったとしても、その場合の差異は、
「誤差の範囲だ」
と言ってもいいだろう。
その頃になると、毎日書くようになっていた。その理由の一つとして、
「何か、忘れっぽくなった」
という思いがあったからだ。
なぜ、そんなことを思ったのか、最初の頃にはよく分からなかったが、分かってくると実に簡単なことだった。
「小説を集中して書いていると、時間を忘れて、自分の世界に入る」
というのが、一番の理由で、
「書いていて十分くらいにしか感じられないのだが、実際には一時間くらい書いている。だから、十分でこんなにも書けたということで、まるで自分を天才にでもなったのかと勘違いしてしまうのだが、それも、いい意味での勘違いで、それだけ集中しているということであり、自分の世界に嵌りこんでいるということだ」
と感じたのだ。
つまり、小説を書いている時間は、普段の自分とは違う時間で、集中力も違っているのは当たり前のことだ。のめりこんでいるというのか、元々、そんな時間を手に入れたくて、小説を書こうと思っていたのだと感じるほどだ。
この思いは、錯覚ではない。確かにそう思っていた。だからこそ、時間があっという間に過ぎてしまったような気がして、その時の小説執筆タイムが終わると、完全に我に返ってしまい、
「それまで書いていたことを、忘れてしまう」
という状況に嵌ってしまうのだった。
まるで、夢を見ていたような感覚であり、それが小説を書いているうえでは大切なことだと思うのだが、次回書く時には、
「果たして、前の時の心境に戻ることができるだろうか?」
と感じる。
それは実際には難しいことであった。それは、まるで夢を見ている時、
「前に見た夢の続きは決して見ることができないものだ」
というものであり、夢が一筋縄ではないということを表しているような気がした。
しかし、夢というのは、その反面、
「実に都合のいいもの」
という発想も持っていた。
自分の中で感じていることを見れないように思うのだが、潜在意識に対しては忠実なのだ。だからこそ、
「夢というのは、潜在意識が見せるものだ」
という感覚になるのだった。
しかも、夢というのは、
「どんなに長い夢であっても、目が覚める数秒間で見るものだ」
というではないか。
信じられない気持ちにもなるが、確かに、目が覚めてくるにしたがって、現実に引き戻される間に、確実に夢は忘れていくものだ。
そして、その忘却の彼方に見えるものは、やはり、
「どんなに長い夢であっても、目が覚める数秒間で見るものだ」
というものであり、それが決して錯覚ではないということを自分なりに理解できているように思えたのだ。
その思いがあるからこそ、夢のように感じる小説執筆は、どんなに次に書く時の感覚が短くても、夢に陥るかのような自分なりの感覚を持たないと、続きを書くことはできないのではないかと感じるのだった。
以前から、小説が書けないと思っていた頃のことを思い出すと、
「やはり、焦りのようなものがあったんだな」
という感覚に陥る。
それは、小学生の頃の国語のテストに始まった「焦り」というものから、本を読もうとすると、集中できずに、そのため、本を読むことができず、いつも、セリフだけを読んでしまうということになるのだが、そのくせが小説を書けるようになっても、完全に抜けていないということに気づいたのだった。
確かに小説を書き始めた頃のことを思い出すと、今でこそ、文庫本でいえば、百五十ページくらいの中編を、書き続けられるようになったのだが、最初の頃から約十年近くというのは、短編しか書けなかった。文庫本でいえば、四十ページ前後くらいのもので、発表している、
「短編集の一つの話」
が、それくらいになるのだ。
だから、ここで発表している短編集というのは、過去作品と書いているように、今から十年くらい前まで書いていたものを発表していて、新作らしきものは、一つもないのだった。
最初の頃は、長編を書きたいと思っても、なかなか続かなかったのだ。
その理由としては、やはり集中して書いていて、毎日書いていても、集中力がまるで夢の世界のような感覚になるせいで、前回書いたことを思い出せないということで、話が続かないというのが、その理由だった。
しかも、一日に一時間ほどしか集中できないと思っていたので、一日で書ける分量は、文庫本でも、六ページから八ページと言ったところであろうか。
毎日書き続けられたから、相当な量にはなっているが、
「長編をいずれは書いてみたい」
と思いながら書けないという理由が、これでは薄いと思っていた。
「どこに原因があるのだろう?」
と思っていると、その理由が書けるようになってから分かったのだった。
その理由というのは、書けなかった時期の理由の元祖である、
「焦り」
からきているということだった。
焦りというものを感じると、集中しているつもりでも、どこかで、意識が飛んでしまい、違う観点に移っているのに、そのことを理解できない自分がいたのだ。
それがどこに表れるのかというと、
「自分には、プロットは書けないんだ」
という思い込みだったのである。
プロットというのは、
「小説における設計図」
と呼ばれるもので、ジャンルや、コンセプト、つまり、何が言いたいのかということであったり、一種の企画のようなものである。
それができれば、書き方の問題。一人称なのか、三人称なのか。つまりは、登場人物の中に作者がいるという形なのか、聞いた話を誰かが書いているという形式なのか、それが一人称と三人称の違いである。
そして、それが決まると、登場人物であったり、時代背景。そして、状況説明などと言った具体的な内容に入ってくる。
「起承転結」
という節目も小説には存在するもので、何を書きたいのかということを、自分の中でハッキリとさせるというのもプロットの書き方である。
ただ、プロットの書き方は決まっていない。あまり詳しすぎても、本編に入った瞬間に、書けなくなるというような人もいるくらいで、どこまで書くかというのも、ある意味で重要なことであった。
長編を掛けなかった理由の一番は、
「プロットが書けなかった」
というところにある。
「では、なぜプロットが書けなかったのか?」
と考えると、その理由の一番に考えられたのは、
「焦りからくるもので、まずは本編を書き始めないと、思っていることを書き続けることができない」
と勝手に思い込んだことが大きかったと思っている。
「プロットは必須」
と言われているが、まさにその通りだったと思うのだ。
ただ、プロットも、アイデアを箇条書きにする程度でよかった。それでも、プロットが書けるようになると、次第に長編への書き方もうまくできるようになったきた。
ちょうど、その転機となったのが、仕事における方向において、いくつかの諸事情によって、忙しくなったことで、小説を書く時間がなくなってきたことが原因だった。
本当に忙しい時は、会社に泊まり込んでの業務もあり、さすがに小説執筆を続けることが困難で、数か月ほど、筆を断つことを余儀なくされた時期があった。
それは自分にとって幸か不幸か、一歩立ち止まって考えることのできる時期でもあった。それまで、
「俺は短編しか書くことができないんだ」
と思い、短編ばかりにいそしんでいたが、いざ、
「いや、待てよ」
と思うと、
「今なら、プロットを書くこともできるかも知れないな」
と感じたのだ。
実際にプロットを書いてみた。
それまでは、小説を書くための道具として、メモ帳を持ち歩き、どこであろうとも気づいたことは、そこに書き込むという、
「ネタ帳」
として活用しているものがあった。
短編の時は、そのネタ帳の箇条書きとなった殴り書きの中から、適当に見繕って、小説を執筆するというやり方だったので、プロットを作成することもなかったが、一度立ち止まると、執筆するためにどうすればいいのかを考えることができるようになり、それがプロットであるということに気づいたのだ。
短編が書けるようになった時、つまり、最後まで書けるようになって、やっと、
「小説の書き方」
なる、ハウツー本を見るようになった。
普通であれば、小説を書けない時に、そんなハウツー本を見るものなのだろうが、作者の場合は違っていた。
「あくまでも、小説が書けるようになるまでは、自分の発想でできなければ、意味がないのではないか」
と思っていた。
なぜなら、
「ハウツー本に書かれていることは、しょせん、分かり切ったことが書かれていて、すでに自分が感じていることがほとんど書かれていることで、がっかりするかも知れない」
と思ったからだ。
実際に後から見たハウツー本は、目からうろこが落ちるような話が書いてあったわけではない。もし書いてあったとしても、自分が書けるようになるためには、そのことは自分で気づかなければいけないことだと感じたのだ。
そもそも、小説を書けるようになる基準となるのは、
「最後まで書ききることができるか?」
ということであった。
書き切ることができるようになって初めて、
「これだったんだ」
と気づく。
それまでは、小説を書き切ることができるために書いているという意識はあったが、それが分岐点になる大げさなものだということに気づいていなかった。それに気づくには、きっとハウツー本では気づけるわけもなく、自分が小説を最後まで書き切ったということへの達成感や、自信というものが、リアルに感じられなければ意味はないだろう。
ハウツー本を見ても、
「そんなの当たり前のことだよな」
と感じてしまうと、目標にして頑張っているものが、ただの通過点としてしか感じなければ、それは本末転倒であると考えられたのだ。
それを感じさせたのが、実際に書けるようになって、初めて開いたハウツー本だった。
本を読んでいくと、確かに、
「分かり切ったことじゃないか」
と思っていたことの羅列だった。
その中に、
「何があっても、最後まで書き切ることが一番大切だ」
と書かれていて、自分が身をもって証明したことと同じことが書かれているのを感じると、自分の感性への自信であったり、そして、これからも、執筆をし続けてもいいという、一種の免罪符のようなものをもらったという意識になったのだった。
執筆することによって得られる満足感は、受験などの目標に向かっての努力が報われる勉強などの達成感とは違うものがあった。
勉強はあくまでも、受験などという、ハッキリとした答えが得られることに対しての結果がついてくるものであるが、執筆というのは、どちらかというと、答えが分からない。目標としているところがあくまでも通過点であったり、前述の分岐点になるところであったりと、曖昧なところが多い。それでも、その曖昧さがいずれ大きな目標に達した時感じられる喜びや達成感というのがどういうものなのかと考えてしまう。
そもそも、その目標というのがどこにあって、達成できるものなのかというのも曖昧である。
自分に達成できる最終ラインを目標とするのか、それとも、到底達成できることのない、夢物語となるところを達成と考えるかによって、モチベーションも変わってくるし、難しいところでもある。
しかし、目標とするのは、やはり、
「自分にできるところまで」
というのが、まずは大切なのだろうと思う。
スポーツでいえば、学生時代に全国大会に出れるのを夢と考えるか、その後の、プロという目標を考えるかで、大きく変わってくる。
物語になるとすれば、後者なのだろうが、自分が果たしてプロを目指すものなのかというところも、自分の技量を考慮に入れるという冷静な目も必要であろう。
何でもかんでも、昔のスポコンマンガのような、昭和の泥臭さをマンガの世界として見てきた世代には、どうしても、プロを目標とするだろう。
また、それくらいの気概内ないと、スポーツを志す資格がないなどという古臭い考えも、ある意味昭和の悪しき伝統のようなものだといえるのではないだろうか。
特に今に時代は、コンプライアンスの問題とかも大きく、体育会系の部活でも、昔であれば、当然ともいえるような、しごきであったり、体罰など、今ではありえないこととなっている。
特に、強豪のチームになればなるほど、監督の命令は絶対で、
「勝つという目的のためなら、どんな命令でも聞かなければいけない」
と言った、軍隊方式と言われるようなものが、いまだに伝統として横行しているところもある。
「スポーツに軍隊方式など、愚の骨頂である」
と思っている作者にとって、そんなニュースを聞くたびに、苛立ちを覚えるのであった。
考えてみれば、スポーツの世界で、昔から言われていた定説というものが、科学が発展するにしたがって。
「あの定説は大きな間違いだった」
というものも結構あるではないか。
特に、
「練習中など、どんなに喉が渇いても、水を飲んではいけない」
といわれる定説があった。
それは、水を飲むとバテるというのが、その理由だった。
しかし、今では、逆に、
「水分補給は定期的に行わなければいけない」
と言われるようになった。
貧血や、脱水症状などの生徒が増えてきたのが原因である。
また、もう一つ、
「朝礼などで、先生の説話が長いことで、貧血などで倒れる生徒が増えた」
という問題があった。
最初の頃は、
「ひ弱な生徒が増えた」
などと言われていたが、今は気象状況が、昔とは変わってきている。
夏などの最高気温は、昔は三十三度くらいで本当に高温と言われてきたが、今では平気で三十五度を超えてくる。下手をすれば、四十度の時もあるくらいで、一日のうちで。最低気温が三十度を下回らないなどという、信じられないような状況もあったりした。
そんな状態で、貧血にならない方がおかしいというもので、それを精神論で乗り切ろうなどという考えは、まさに拷問であり、昭和の思想の滅亡を早めたといってもいいだろう。
それだけ、昭和と今の令和の時代には違いがあり、あまりにもコンプライアンスが叫ばれ続けて、何でもかんでも、コンプライアンス違反として、これまで虐げられてきた人が、逆に力を持つというのも、実は怖いものだったりするのだ。
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