第310話 ◆親父の流儀

 ――今日も朝がやってくる。スズメの鳴き声が響き、朝日が窓に刺さる頃、彼の1日が始まる。口に歯ブラシを咥え、洗面所から現れた男の名は伊達だて一心いっしん。またの名をヘラクレス。毎日、身を粉にしながら家族を養う一家の大黒柱である。


 ――おはようございます。


『んぁ? 何? もう撮ってるのか?』


 ――撮らせてもらってます。


『ちょ、ちょっと待ってくれ』


 ――伊達は慌てて口をゆすぎ、顔を洗う。


『ふぅ……何だか緊張するね』


 ――今日は何を?


『最近、近所の喫茶店のモーニングにハマってるんだよ』


 ――では、本日はお休みですか?


『土曜日だしね。一緒に行くかい?』


 ――いいんですか? ご一緒させてください。


『はははは、そんなにかしこまらなくてもかまわないよ』


 ――しかし、伊達の背後から近寄る気配。カメラマンの視線に気付いた伊達がおそるおそる振り返る。


『お父さん。呑気にモーニングは構わないけど、トイレ掃除してから行ってよね』

『はい、綺麗にさせて頂きます』

『あっ! その靴下穴空いてるじゃない!? 脱いで!』

『いや、あのカメラの前だし。これから【親父の流儀】ってやつを語ろうかと――』

『――いいから、脱ぐ!』

『は、はい! よ、よろこんでっ!』

『後で縫っておくから別のやつ使って』


 ――伊達家の長女に頭の上がらない伊達。そそくさと靴下を脱ぎ、丁寧にたたむ。これが、長年の父親業が導き出した最高の靴下たたみ。親父の流儀である。


『いやー……ははは。参ったね』


 ――とてもしっかりとした娘さんですね。


『気が強いのは奥さん似だよ。まぁかなりのお兄ちゃん子だけどな』


 ――そういえば、今日、長男の玖命さんは?


『なんか、山井殿のファンクラブ登録が佳境だか大詰めだかで、今日は命謳全員、、、、で追い込みをかけるとか言ってたな? 昨日から帰ってないはずだよ』


 ――そうですか。今、息子さんは世界的にも有名人ですね。何か変わった事はありましたか?


『そうだね……うーん……肉の頻度が上がった……かな?』


 ――肉……ですか?


『ずっと貧乏生活だったからね。家の食事が栄養たっぷりな献立にかわったよ。ちゃんとみことがこだわってくれてるおかげで、私も玖命もここ数年病気なしだからね』


 ――伊達家の健康は、娘さんが管理してらっしゃるんですね。


『そうだね。実は今日、その娘とデートなんだ。え、スマホ持って何やってるの?』


 ――110番の準備を。


『いや、娘だって。買い物に行くんだよ』


 ――どこへ行かれるんですか?


『ベッドを注文しに行くんだよ。いや、だからスマホはおろそう? ね?』


 ――何故ベッドを?


『玖命用のベッドだよ。ウチにも余裕が出来てきたからね。少しでも良いベッドの方があいつも楽だろうと思って』


 ――それはいい考えですね。父親の背中が輝いてますね。


『いや、玖命の家族カードで買うんだけど』


 ――失望しました。


『いや、最初は私のお金で買うつもりだったんだけど、「天才の健康維持の為」ならベッドは経費になるってみことが言うからさ』


 ――確かに、天才の寝具は経費で落ちるようですね。でも、それとこれとは違うんじゃないですか?


みことの許可がおりるとでも?』


 ――父親の威厳でなんとか。


『なんともならないだろう。まぁ、そういう事で、今日は玖命用の色々を買う予定なんだ』


 ――同行してもよろしいですか?


『まぁ、一日密着のプロモーションビデオだしね。あ、ちゃんとお店の人に撮影の許可もらうようにね。ダメなら消しちゃって』


 ――勿論です。あ、でも、まずはモーニングですね。


 ◇◆◇ ◆◇◆


『………………ふぅ、ただいま』


 ――まさか店側から撮影全部拒否されるとは思いませんでした。


『ははは、まぁ最近そういうのが横行してるらしいしね。仕方ないだろう』


 ――良い買い物は出来ましたか?


『椅子とノートパソコンはしっかり』


 ――ベッドと枕のオーダーメイドで、息子さんを呼び出しするとは思いませんでした。


『頭の型とったり、姿勢の確認とか色々チェックしてたね。確かにあれで寝たら気持ちよさそうだよね』


 ――そのチェックが終わったら、早々に息子さんを帰してましたね。


『残り1000通を切ったとかで喜んでたな』


 ――山井殿へのお手紙……どれくらい届いたんでしょうか。


『はははは、一時期は7階を倉庫代わりにしてたくらいだしね。1万や2万じゃきかないだろうね。山井殿を隣に、私もエナジードリンク片手に手動登録を手伝ったんだよ。まぁ、休みの日しか出来なかったけど、面白いものも見られたよ』


 ――面白いもの……とは?


『玖命が【鸞丸らんまる】使って一気に100通くらいの封を開けてたり、対抗した鳴神君が手刀で開けたりね』


 ――それは気になりますね。


『あ、そうそう。6階で【ポ狩ット】の事務所の様子を見に来てた米原さんが、私にお茶を持って来てくれたんだよ』


 ――あの米原樹さんですか。


『「お父様、どうぞ」ってね。いやぁ、献身的で恐縮しちゃったよ』


 ――それは、中々出来なさそうな経験ですね。


『ははは、そうかもしれないね』


 伊達だて一心いっしんの目の前で流れる映像。

「うんうん、いいじゃないか」と呟きながら、一心はマウスを走らせ、キーボードを叩く。

 そんな中、一心の部屋にノック音が響く。


『お父さん! いつまで編集ソフトで遊んでるの!?』


 その声色はやや怒りに染まり、一心の肩をビクつかせる。


「い、いや、遊んでる訳じゃ――」

『――カメラ置いて一人でブツブツ言って! なーにが「スマホはおろそう? ね?」よ! 完全に自作自演でしょ! あと! トイレ掃除が甘かったんだけど!?』

「す、すみません」

『やり直し!』

「はい!」

『今すぐ!』

「は、はひっ!」


 そう言って立ち上がり、トイレへと向かう一心の背中は、どこか哀愁あいしゅうを背負っていたとか、いなかったとか。

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