第23話 大人の原点に思いを馳せる
「タクちゃん、なにアルバム見てんのよ」
「桜子が、どの時点からボーイッシュになったか、調べてるんだ」
「アタシは生まれた時からボーイッシュだって。それより、手を動かしてよ。いつまで経っても終わんないじゃない」
年末ということで、私は桜子と2人、図書室の大掃除をしていた。
桜子の祖父母が孫のために残してくれた児童書は膨大な数で、年末にちょっとやったくらいで、すべてのホコリがなくなるわけじゃない。普段の利用者はたった2人だけなのだから、いずれ全く目を通されないまま、次の所有者にわたる運命の本だって、あるだろう。せめて、こんな時くらい、道草して、読書してやろう、という「親心」なのだ。
「でも、タクちゃんが今見てるの、アルバムじゃない」
「こっちも時折、日を当ててやる必要のある、記憶だと思うな」
中学校に上がったばかりの桜子の写真は、皆が皆、不機嫌極まるという顔をしている。反抗期で親のことが気に食わないから、じゃない。制服でスカートをはく必要がある……というのが、気に食わないのだ。新学期に入ってしばらくの間、桜子は朝食抜きで登校していた。朝、起きれないからじゃない。ダイエットのためでもない。単にスカート姿を親に見せるのがイヤだから……という理由を聞いて、「思春期の女の子って何を考えているのか、分からない生き物だ」と、しみじみ思ったものだ。
「桜子、女の子じゃなくって、男の子になりたいのか?」と尋ねたことがある。
答えは、ノー。我が姪は、性同一性障害、というのではなかった。大人になるのを拒否しているのでも、ない。姉・梅子のほうがノーテンキにおしゃれを楽しんでいて、とっかえひっかえ彼氏を作って来るのを見て、こっちはこっちで困りものだけれど、妹ほど手はかからなかった、というのが母親評だった。両親や姉には話せないことも、親戚のオジサンなら話せるかも……ということで、私が相手するようになったのだ。
桜子は、母親に言われるまま、我が塾に遊びに来るようになったけれど、何を相談するのでもなかった。塾長室で夕方まで漫画を読んで帰ることもあれば、アルバイト講師たちと控室でダベっている時もある。塾の生徒さん……高校生のお兄さんお姉さん皆と知合いにはなったけれど、相変わらず、桜子はスカート嫌いなのだった。
ある日、この児童書まみれの図書室で、桜子は絵本に埋まって、天井を見ていた。
「なにをたそがれてる?」と私も一緒に寝転がって、尋ねた。
「どの本を読んでも、つまらなくなっちゃった」
「それは、大人になってきたってことじゃないの? 感性というか、脳みそというか、が」
「そうかなあ。でも、おじいちゃん・おばあちゃんが、私のために残してくれたものなんだから。一生懸命、読みたいんだけど」
「子どもの桜子のために残してくれたもので、大人の桜子のために、残してくれたもんでも、ないだろ」
「それなら、私は、子どもの桜子のままで、いたいよ」
どんな返事をしたらいいのか、私がぼんやりしていると、桜子は、1人、語り出した。
学校の昼休み、中学校の中庭で、桜子は幼馴染たち……それこそ、保育所時代からの遊び仲間と、ドッチボールをした。一つ年上の先輩・幼馴染……男子生徒が、本気でボールを投げていないのに、気づいた。
遊びだからこそ、本気でやれ。
桜子が彼をたしなめると、先輩は「本気でやったら、危ないだろ」と反省の様子を見せない。怒った桜子が彼の脇の下にパンチをくれてやっても、相手は一向に殴り返してこない。困った表情のまま、一方的に殴られっぱなしだった。一緒にドッチボールしていた級友たちが、桜子を止めた……桜子のほうが、全面的に悪い、と言って。保健体育で勉強したから、男子のほうが筋力が強い、なんていう知識ぐらいはあった。
「……でも、私も、男子なみに力、あるよって主張したら、その先輩にいきなり抱きしめられた。どうやっても、振りほどけなかった。気づいたら、びっくりして声を上げていた。自分の声のはずなのに、知らない女の人みたいな、悲鳴、出てた」
悪いのは桜子のほうなのに、先輩1人だけが職員室に呼ばれ、こっぴどく説教をくらった。なぜか、桜子は被害者扱いされていた。その後、その先輩がドッチボールに加わることは、なかった。いや、いつまでも小学生みたいなこと、してられない……と他の男子も抜けていった。1人が抜けていくたび、桜子は気まずい思いをした。
「……捨て台詞をはいてく男子もいたよ。桜子、男子と本気で勝負するつもりなら、そもそもスカートなんかはいてくんなって」
一連の騒動を梅子に相談したら、「あんた、いつまで子どもなの」とゲラゲラ笑われた。
梅子が母親にゲロって、桜子は2時間半に及ぶ、エンドレス説教を食らうはめになった。
そして、母親のキンキン声で疲れた鼓膜を癒すため、児童書図書室で、たそがれるようになったというわけだ。
私は、聞き役に徹していた……はずだ。
「正直、自分でも、自分が何をしたいのか、分からないよ」と桜子は児童書を頭からかぶる。
ウチの姪は、大人になるのを……大人の女性になるのを怖がって、拒否してるのだ、戸惑っているのだ……と言ってしまうのは、簡単だ。
でも、言いっぱなしでは、何も解決しないのも、また確かだ。
「桜子、まだ、子ども扱いされたいの?」
「されたくないよ……あ。でも、されたいかも」
「どっちだよ」
返事をする代わりに、桜子は児童書を押しのけて、私の胸に飛び込んできた。
「先輩が私を抱きしめたときは、なんだかエッチな感じがして、イヤだった。ウチのお父さんは、面倒草がって、もう抱っこもしてくれない。子どもみたいにヨシヨシしてくれる男子は、たぶん、タクちゃんだけだよね。最後の砦だ」
「分かったよ。しばらくは、父親代わりかな」
仰向けに寝転がっているときは気づかなかったけれど、桜子は嫌いだったはずのスカートをはいていた。私が気づくと気まずそうに「姉ちゃんからの借り物」とだけ、言った。
その後、何度かハグしているうちに、今度は自分で買ったという、自前のスカートをはいてきた。
かわいい……と褒めかけて、やめた。
「かわいい」では、子どもの桜子にするのと、同じになってしまう。
だから、「なんか、はじめて、桜子から大人の色気、みたいのを感じちゃったよ」とだけ、言った。桜子は「バカ」と言って、顔を赤らめた。
子どもの桜子に対するハグ、というのは、この日をもって終わったのだ、と思う。
それは同時に、色気ということについて、少し真剣に考える切っ掛けになった日でもあった。
その後は、私が桜子を抱きしめるより、桜子が私を抱きしめることが、増えた。
桜子が「好き」と告白してくれたのは、もう少し後のことである。
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