第2話 「んべー」
君は慌てて取り出したスマホを何やら操作している。
『ふっふっふ、油断しすぎじゃぞ坊主』
私は羞恥心が限界突破した影響で、一周回って悟りの境地に至っている気さえしているからもう余裕だけれど、君は少々まごつきすぎではないかね? 早く私のスカートのポケットに入っている携帯端末に、メッセージ受信を知らせる振動させたまえ、
さりげなく掴んだ腕をほどかれたのはやや不満だけれど、まあ仕方ない、両手を使って文字を入力する必要もあるだろう。私のDカップおっぱいにコンタクトできる次の機会を楽しみに待つといいさ。
何度か書き直してるのかな? はたまたソワソワしっぱなしな私の気のせいかな?結構な時間をゆっくりと歩きながら過ごしたような……。
そんな中、左ポケット経由の震えをふとももで感じる。
ふむふむ、びっくりするから耳ふーはやめて欲しいのですか。なるほどなるほど。
「んべー」
お嬢様キャラがあっかんべーをしている謎のスタンプを送った後、君がスマホを確認する前に舌を出して宣戦布告してみる。
『わたくし、これからもからかっちゃいますわよ? お覚悟はよろしくて?』
なんちゃって。
「おーっほっほっほ」みたいな記号的な表現って、「音」が直接聞こえなくても想像しやすくて楽しいから、流行りの悪役令嬢とか結構好きなんだよね。
やれやれ、という風に君が軽くかぶりをふると、楽しそうに微笑んだのを私は見逃さなかった。見逃せなかった。きっと、小説か何かだったら「ふふっ」とでも表現される空気の振動は、感じ取れないから。
私の世界には「音」というのはほぼ存在しないものだったんだ。
お母さんのおなかの中にいたころにテストしたら障害がありそうだってわかって、生まれてすぐ、病院でいろいろと調べることになったんだ。そしたら、先天性の重度難聴、ということが判明して。
後は
人工内耳、っていうSF感半端ないアイテムをつけようとしたけど、私は無理だったんだって。残念。え? プチサイボーグみたいでカッコいいじゃん?
別に悲しいとかそういうのはなかったかな。元々持ってて失われたものならともかく、私には初めからそもそもなかったものなので、へぇーそうなんだぁ、くらいの感想しか抱かなかった。
幸い、両親や周りの人達は皆いい人で、「音」が聞こえない私にそれが何なのかいろいろと説明してくれたから、なんとなく音楽や漫画のオノマトペとかがうまく想像できるようになった。多分、手話を覚えながら育ってきた以外はだいたい同年代の子と一緒だと思うよ?
恋も、してるしね。
でも、時々こういったタイミングで、もし耳が聞こえたのなら、君の「声」も聞こえたのに、と思うことがある。
『そういえば、もし私が君に何かささやけたら、ってついさっきも思ったんだっけ』
そもそも私は私の「声」が出せるかどうかもわからないし、世の人々を魅了して止まない「ささやき」とか「ASMR」というものが何なのかいまいち理解しきれていないけれど、「発話」と呼ばれるものは訓練したらできるようになる人もいるらしい。
そう、もし私が君にささやけたのなら。
例えば、こんな風に。
『まず、後ろから抱き着いて……』
『それから、さっきいたずらした左耳にまた何かするとみせかけてぇー、からの』
『まだ何もしていない右耳をこーんなふうに、指で撫でてみますよー。ぐーるぐる』
驚いた君に構わず、そのまま左耳に向かってちょっと意地悪を言ってみたり。
『さっきすれ違った女の子、目で追ってたでしょ』
『今日は私と遊んでるくせに、他の女の子にもちょっかいかけるの?』
『あーあ、
『寂しいなー、悲しいなー、私はずっと君一筋なんだけどなー』
右耳に口元を移動して、めんどくさい女ムーブしてみたり。
『ねぇ、私のこと好きって言ってよ』
『あー言ってくれないんだー、私のこと好きじゃないんだー、うえーん』
『え、適当すぎるって? あはは、自分らしくない事なんてするもんじゃないね』
それから、一通りからかい終わったら……最後にひとことだけ、耳元でそっと、伝えたいんだ。
『大好きだよ』って。
簡単に言えたら、良かったのにな。
私はまだ、君に伝えたことがない。伝えたい、伝わって欲しい、とは思っているけれど。もし、君が私に無理矢理連れまわされてるだけだと思ってたらどうしよう、という考えが頭の片隅から離れない。
もし、君が私のことを好きでいてくれても、それはスタートに過ぎないし。
きっと、耳の聞こえない女の子と付き合うのは大変だから、結構覚悟がいるはず。
だからしばらくは、時々遊ぶ友達でいいかな、なんて逃げたくなってしまう。
こういう弱気の虫は大胆な行動で振り払ってきたけど、もう少しだけ、勇気、出さなきゃいけないね。
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