もし、君にささやけたなら

森メメント

第1話 「ふぅーっ」

 待ち合わせた駅で合流した後、私は初夏の日差しを背に君の少し先を歩く。


 電話ができなくても、アプリがあれば楽ちんだね。【暇なら遊ぼう?】って誘ってみたら、割とすぐ来てくれてうれしい。君の部活がない日だったら、放課後にすぐ、っていう少々無茶な呼び出しでも付き合ってくれるんだ。


 うんうん、私はうれしい、すごくうれしいぞ。


 目的地が気になるって? 伝えてなかったっけ? すぐ近くの海岸だよ。海開きはまだしてないだろうけど、ちょっとしたお出かけにはちょうどいいでしょ?


『やった~! 夏だぜぃ!』


 思いっきりこんなことを声に出して叫んでみたいなぁ、と心の中で思いながら、梅雨を抜けきった七月の快晴や青々と生い茂った木々を楽しんでいた。台風が近づいて来ている、というニュースは一旦忘れることにしよう。日差しが強いと染めた髪が痛む、っていうのもきっと迷信だ。


 なんでそんなに上機嫌かって? さーて何ででしょう? まあ、今日は幸運にも湿度が低くて、肌や髪の毛がベタベタするのを感じなくて良い、っていうのもあるけれど。


『君は、同じ気持ちじゃないの? 私と一緒にいて、楽しくない?』


 少しだけ不安になったけど、今は深く考えなくていいかな。


 夏になったらマスクは全力で着用しない、と元より決めていた。個人の判断なので文句は言わせないぞ。早速、紫外線たっぷりの日差しを日焼け止め越しの顔面に浴びてエンジョイしよう。若干損なわれた機嫌がちょっとましになったかも。


 世界的パンデミックのさなかでは皆しっかりと口元を覆っていたので、私の密かな楽しみである妄想補完つき読唇術を使った盗み聞きができなかった。だから、このくらいの憂さ晴らしは病原菌たちも許してくれるでしょう?


 あ、もしかして私を怪訝そうに見てるかな? 君は暑がりで、やや心配性なのは知ってるけどさぁ、体調も、お肌のケアもバッチリだよ?


 そんなことを考えながら君に振り返ろうとしたその刹那。視界の端に近くの木々が揺れたのを捉え、周辺の空気が大きく動いたような気配を肌で感じた。


『……あっ』


 その時にはもう、制服のスカートは風で大きくめくれあがっていたと思う。


 私の体が振り返りの動作を完了した時にはもう、君は顔を赤らめながら目を大きく開けていて、一瞬硬直した後、私から目を逸らした。


『うーん、さすがにこれは恥ずかしいぞ、どうにかしてごまかさなければ、暑いから下着の上に短パンは履いてこなかったけど、まあレース付きの白で上品なやつだからきっと見られてもカワイイって思ってもらえるはず、って何を考えているんだこれじゃ私は見られて嬉しいみたいじゃないかダメだダメだダメだ』

 

 なんだか考え始めたら開いてはいけない扉を開けそうになってしまったので、ひとまず一旦深呼吸。多少はドキドキを抑えてくれる、はず。


「すぅーっ、はぁーっ」


 君の耳が深呼吸の「音」を拾えるように、必要以上に大げさにやって見せたら、君も同じようにやって見せてくれた。


 軽く目をつむって、背の高い大きな体がゆっくりと胸を膨らませて、手を大きく広げ、少しの間を置いた後に元に戻っていく。でも、顔はまだ紅潮したままで、目を開けて真っ直ぐ私を見ようとした瞬間に視線を逸らした。


 ……あれあれ、思ったより動揺してくれてる?


 同年代の友達があまりいない私と比べれば、君はある程度女慣れしていてもおかしくないのだけれど、案外そうでもないのかもしれない、的なアレかな?


 そう考えるとなぜかうれしくなって、少しだけからかってみたくなっちゃった。


『ねえ、私のパンツ見たでしょ』


 残念ながら、そんな風に耳元でそっと「声」を出して、いたずらっぽく挑発することは、私にはできない。けれど、やりようはあるはずだよね。


 ごまかしついでに、ちょっとあざとい事をしても、いいかな、多分。


 普通の女の子ならわからないけれど、私だと多少直接的にアプローチしないと、きっと、私が伝えたいことは伝わってくれないから。


「ふぅーっ」


 君が逸らした目線の反対方向、つまり左側面へ素早く回り込んで、そのまま左耳へ息を吹きかける、という電撃作戦。自分の身長の低さのせいでそのままだと口を耳元に近づけられなかったから、ついでに腕にもしがみついてしまった。


 もしかして、胸、ガッツリ当たっちゃったかな?


 我ながら大胆な行動をしたもので、さっきの深呼吸ぶんで落ち着いたはずの心拍がまたまた激しくなっているのを胸の奥から感じる。


『ドキドキ、してくれた?』

 

 滅茶苦茶に恥ずかしいけれども、恥ずかしさは複数回に分割するより一括で受けた方が楽なはず、多分きっとメイビー。無理矢理にでも自分を納得させるのよ私。


 ただ、君が大胆な行動を受けた後に大きくうろたえている様子を見られるのは大きな収穫ですねぇ、満足満足。だって息を吹きかけたら、一瞬体を震わせた後にこちらを見て、私がマスクを外させた口をパクパクさせているんだもの。


 あ、でも、ちょっと落ち着いてほしいかも。


 うーん、口の動きが速すぎて、何を言ってるのかわからないや。あるいは何も言ってないのかも? 驚きすぎて口だけ動いちゃったりとか? 判別つかないなぁ。

 

 忘れちゃったの? 私はね。



 耳が聞こえないんだよ。

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