5-12 寝室にて

 侍女が下がり、夫婦の寝室にぽつんと1人きりになると、クラウディアはベッドの端にそっと腰を下ろした。

 シルヴェスターは手紙で「先に寝ていて」と言っていたが、寝る前にシルヴェスターの顔が見たかった。

 今までシルヴェスターのプロポーズを受け入れてからも、そんなことは思わなかったので少し自分で自分に驚いている。

 イヴァン・ステイグリッツによる無体の恐怖もあるが、同じ屋根の下(と言っても広大な王宮であるが)に居るならどうしても傍に居たいと思ってしまう。

 いつから自分はそんなに甘えん坊になったのかと思ってしまうが、考えてみれば幼いころから、ギルベルトとシルヴェスターを追いかけて、構ってもらうのが一番好きだったように思う。

 でももうクラウディアにも分かっている。シルヴェスターは幼馴染の兄ではなく、1人の大人の殿方だ。

 たった1人の殿方に傍にいて欲しいと思う意味、抱きしめられるのも口づけられるのもイヴァンにされた時は嫌悪と恐怖で一杯だったのにシルヴェスターにされると幸せと感じる意味。

 答えは喉元まで出てきているように感じた。

 

 シルヴェスターの顔を見たいという思いが胸の中で9割方を占めているが、王妃クレメンティアと母ビルギットに言われたことも忘れてはいなかった。「就寝準備を整えてもらったら、この部屋でシルヴェスターの戻りを待つ。あとはシルヴェスターを信じて身を任せるだけ」

 残りの1割を王妃と母の言葉が占め、やはり寝ずにシルヴェスターを待つことにした。


 それからしばらく時間がたち、クラウディアもうとうとし始め、これ以上は寝ないと明日に響くかもしれないと思う時刻になってようやくシルヴェスターが姿を現した。

「ディア?起きていたのかい?」

 湯あみをしてナイトシャツに着替えたシルヴェスターがクラウディアの許に跪いた。

「はい。…………あの、その、…………寝る前にどうしてもシル様のお顔を見たくて」

「ディア……私もディアの顔が見たかったよ。同じ王宮内にいるのに、ディアの許に行けないなんて、何の拷問かと思ったよ」

「拷問……」

 クラウディアはシルヴェスターの例えにくすりと微笑んだ。

わたくしも同じですわ。シル様が傍にいらっしゃらないことが、…………その、寂しくて、不安で…………」

「ディア!」

 シルヴェスターは立ち上がってクラウディアの横に座ると力いっぱいクラウディアを抱きしめた。

(やっぱりシル様の腕の中は安心する)

 クラウディアは昼間ずっと感じていた寂しさや不安が溶けていくのを感じ、そっとシルヴェスターの背中に腕を回してみた。

 クラウディアが応えてくれたことが嬉しくてたまらないシルヴェスターは、ますますクラウディアを抱きしめる腕に力を込めた。


「ディア、起きて私を待っていてくれたと言う事は、この寝台で一緒に寝てくれると言う事で良いのかな」

 クラウディアは赤くなって俯くと、小さく首を縦に振った。

「あの……、王妃陛下とお母様が、就寝準備を整えたら、この部屋でシル様をお待ちして、あとはシル様を信じて身を任せるようにと…………」

「なっ!」

 シルヴェスターは驚愕して目を見開いた。それではまるで、初夜を迎える花嫁に対する言葉ではないか。

 国王は無論だが、ここにも王妃陛下と小母上と言う狸がいたのかと頭を抱えたくなった。その言葉を忠実に実行しているクラウディアに対してもだ。とことん自分の理性を焼き切りたいらしい。

 大人になって初めて見るクラウディアの無防備なネグリジェ姿は、己の欲に火をつける。宰相と約束した添い寝で済むか不安になってきた。

 一方のクラウディアもシルヴェスターの普段見ることのない砕けたナイトシャツ姿や、襟元から除く鎖骨の艶かしさなまめかしさに顔から湯気が出そうなほど真っ赤になっていた。

「とりあえず、横になろうか……」

 シルヴェスターはそう言うと枕元のチェストに置かれた明かりを消し、クラウディアが羽織っているナイトガウンを脱がせた。

 シルヴェスターは片腕をクラウディアの首の下に通し、もう片方の腕でクラウディアを抱き寄せる。

 ぴったりと密着したその体勢にクラウディアの心臓は早鐘を打ち続けていた。


「ディア、王宮に来てどうだった?ディアに付けた侍女たちとはうまくやれそうかい?」

「ええ、仲良くできると思いますわ。それにわたくしの思い違いも正してくれるとても頼もしい方たちですわ」

「思い違い?何かあったのかい?」

「………………」

 クラウディアを首を横に振るだけで答えなかった。

「ディア、本当に大丈夫なのかい?ディアに今付けている侍女もまだ候補でしかない。気が合わなそうだと思ったらすぐに言うんだよ」

「かしこまりました。けれどそのような事態にはならないと思いますわ」

「そうかい?それなら良いのだけど。イヴァン・ステイグリッツの件が片付いても、王妃陛下の一言で王宮とシュタインベック公爵邸を行き来することになってしまったからね。困ったことがあったら私に言うんだよ」

「はい」


「………………寝ようか」

 このまま起きていては理性が持たないと思ったシルヴェスターはクラウディアの唇に己のそれを落とすと、「おやすみ」と言って目を閉じた。

「はい、おやすみなさいませ」

 クラウディアもそう答えると、すぐに軽い寝息を立て始めた。

 イヴァン・ステイグリッツの襲撃があったり、急に王宮に居を移したり、クラウディアも相当疲れていたのだろう。

 眠かっただろうに、それを我慢して起きていてくれたクラウディアにシルヴェスターの心は愛おしさがあふれた。

 

 目を閉じたものの、腕の中に好きな女性を抱え込んで、シルヴェスターがそう簡単に寝られるわけはない。

 理性と欲望の鬩ぎ合いせめぎあいにようやく理性が勝利して、うとうとしてきたところで隣で寝ているクラウディアが魘されてうなされているのに気が付いた。

「ディア、ディア、起きて」

 数度シルヴェスターがクラウディアに声をかけると、ゆっくりとクラウディアは目を開けた。

 目の前にシルヴェスターがいることを認識すると、クラウディアはその胸に顔を埋めた。その目元からは涙が流れている。

「ディア、どうしたの?魘されていたし、泣いて…………」

「…………怖い夢を見ました。……あの方が私を抑え込んで、自分と婚約しなければギルネキア王国に戦を仕掛けると…………」

「それは透視術千里眼?」

「分かりません。あの方が逢いに来ることは透視術で見ていましたが…………」

「ディア。大丈夫だよ。私を信じて。私がディアを手放すことは決してないから。もちろん戦など起こさせない」

「…………はい」

 シルヴェスターはクラウディアの顔を上げさせると、目元に唇を落として涙をぬぐっていった。徐々に唇が落とされる場所が変わっていき、とうとう互いの唇が触れ合った。そしてシルヴェスターは角度を変えて何度も口付けながらそれを深いものに変えていった。

「ん…………」

「ディア…………」

 昼間はなんとか持った理性も、三度みたび泣かされてはシルヴェスターも限界だった。

 クラウディアのネグリジェの前をはだけさせながら、首筋からデコルテに口づけを落とす。

 そして明日の夜会で着るオフショルダーのドレスから見えない部分に赤い花びらを散らした。

「ぁ…………ん…………」

 クラウディアが無意識に甘い声を漏らし、身体をよじろうとする。

 婚約しなければ戦を仕掛けるとまで言うのなら、そもそも先方が婚約をあきらめざるを得ないように国王の言う通りにクラウディアの純潔を奪ってしまおうかという考えが一瞬脳裏をよぎる。

 だが国の都合でクラウディアの同意も無く、ましてや婚約式も結婚式も未だの今、そうすることはシルヴェスターにはどうしてもできなかった。

 代わりにクラウディアが寝てしまうまで、幾度も花びらを散らし続けた。

 

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