私はいかにしてネットに支配されるようになったのか?~2000年前後から振り返る~

渚 孝人

第1話

以前から興味はあったのだが読めていなかった本があった。

アンデシュ・ハンセン著「スマホ脳」

2021年のベストセラーだったらしいので、すでに読まれた方からすると「なんだ今さらかよ」という感じかも知れない。でもまだ読んでいない方には是非おすすめしたい。あなたがタイトルから予想した通りのことが書いてあるからだ。ドーパミンによって巧妙に操られてスマホに支配される人々、そしてそれに伴って急激に増えてきた精神疾患の人々や子供の知能の低下。


え?なんで予想通りなのに読むべきなのかって?

いやそれが逆なんです。予想通りのことが書いてあるからこそ読むべきなのだ。つまり、みんなが目を背けてきた現実をこの本は突き付けてくれるのだ。簡単に言ってしまえば、「我々がスマホを使っているのではなく、我々がスマホに使われている」のだと。


アンデシュ・ハンセンによると、というか彼の他にも多くの人が指摘しているようにSNSの大企業は脳の報酬系に作用するドーパミンを利用して莫大な利益を上げている。SNSにおける「いいね」は酒やギャンブルと同じようなものなのだ。いや、簡単に手を伸ばせてしまう分、酒やギャンブルよりもっとひどいかも知れない。これはカクヨムでいうとポイントである。ポイントが入っているのを見てテンションが爆上がり、0ポイントのままだとイラっとするのはドーパミンのせいなのである。


SNSだけにとどまらず、Youtubeや課金アプリなどなど我々を依存させるものが今のネット上には溢れかえっている。一度、電車の中や病院の待合室などをゆっくりと見まわしてみて欲しい。きっと半分以上の人がスマホに釘付けになっているだろうから。これは冷静に考えるとゾッとする光景である。ゾッとしないという人はきっとFacebookとかTwitter社で働いているのだろう。


では、一体いつからネットはこんなにも力を持つようになったのだろうか?言い換えれば、ネットはいつから人々をこんなにも依存させられる能力を持つようになったのだろうか。これをひも解くのに僕という人間はうってつけなのではないかと思う。なぜなら僕は1990年代前半生まれ、つまり思春期にデジタル技術革新の波をもろに受けてきた世代だからだ。世間ではZ世代ほどは認知されていないけれど、「Y世代」という括りに入るみだいた。


小学生の頃、僕はネットに影響されることはほぼ無かったように思う。ゲームボーイや64、PlayStationと言ったゲーム機はすでに子供の間に浸透していたけれど、パソコンは触った記憶があまりない。Windows 98は家にあったように記憶しているが、Eメールができる機械という認識しかなかったように思う。高学年になると週に1度くらいの頻度で、「パソコンを使ってみましょう!」みたいな授業があって、タイピングの練習をしたような気がする。空いた時間では友達とパソコンに初期設定で付いていたマインスイーパーをして遊んでいた。


中学に入った時、僕はカルチャーショックを受けることになった。進学校だったせいか、周りの同級生たちはネットで検索が出来るのは当たり前で、自らブログを立ち上げてリンクを貼り合い、コミュニティを形成していたのだ。「これからの時代、ブログを作れなければ馬鹿にされてのけ者にされてしまうんだ・・・」と思って僕はかなり落ち込んだ(もちろんそんな事はなかった訳だが)。とは言え、僕は友達にブログの作り方を聞いて作ってみるような度胸はなく、今に至るまで自分のブログやらサイトみたいなものを作ったことは一度もない。でも大人になってそれで困ったこともない。中学生の自分に、「安心していいんだよ!」と声をかけてあげたいものだ。


確か2005年だったと思うのだけれど、Youtubeと出会ってしまったのはやはり大きかった。あくまで個人的な印象だけれど、当時のYoutubeは今ほど絶対的な存在ではなく、Dailymotionとかと並んで動画投稿サイトの一つといった感じだった。もちろんYoutuberと呼ばれる人たちもまだ存在していない、平和な世界。それでも世界中の人たちが自由に投稿できる動画サイトという魅力は強く、僕は気が付くと1日に数時間をYoutubeに費やすようになっていた。


高校生になると寮生活だったおかげで、僕はネットと少し距離を置く事ができた。パソコンは持つことを許されていたけれどネットがつながる場所が限られていて、エンドレスに使い続けるようなことはなかった。それでも周りではFacebookに登録する友人が増えて、SNS社会の波は近づいてきていた。

2009年にホームステイで訪れたアメリカでは、iPhoneが急激に広まる前だったからかBlackBerryを使っている若者が多かった。


そして2010年代に入ってから、そのiPhoneそしてスマートフォンが広まったことでネットが我々に及ぼす力は急激に強くなったように感じる。なにせ携帯をポケットから取り出して画面をタッチするだけでネットが見れてしまうのだ。簡単に支配されてしまうに決まっている。僕は2011年の時点でその魔力を薄々感じていて、なるべくiPhoneやスマートフォンは買わずにガラケーで粘ろうと思っていた。でもダメだった。Lineのせいである。2012年になると周りの友達がみんなLineをやっているという状況になり、ガラケーで粘る訳には行かなくなってしまったのだ。それから10年以上が過ぎて今でもガラケーを使っている方がどれくらいいるのかは分からないが、そういう人がいたら本当にすごいと思う。世間の圧力に屈しないというのはとても大切なことだ。


こうして振り返ってみると、ネットというものが強力な力を持つようになったのはやはり2000年前後という気がする。切りのいい数字ではあるけれど、この頃を境にして世界は永久に変わってしまったのだ。いや、むしろこう言うべきかも知れない。「世界を見つめる人々の心が永久に変わってしまったのだ」と。


2023年現在、僕は情けないことに1日の多くの時間をスマホやパソコンに費やしている。大した目的もなく。やめてしまえば良いのにとは思うのだけれど、きっと僕はやめられないだろう。そしてそんな情けない状況をネット小説にちまちまと書いているのだ。そして今までの流れを振り返ってみると、これからもネットは強力になり、さらに僕たちを支配し続けるだろう。あるいはネットという形態ではなくて、さらに魅力的で依存的な「何か」が出現してくるのかも知れないけれど。


なお、この文章にポイントを入れることで僕の脳内にドーパミンを分泌させるかどうかは、読者のみなさんの全くの自由である。

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私はいかにしてネットに支配されるようになったのか?~2000年前後から振り返る~ 渚 孝人 @basketpianoman

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