異世界転生クソくらえ!

沖見 幕人

第1話

 木漏れ日の降り注ぐ森の中に、突如閃光が生まれる。

 光は膨らみ、やがて縮み、それは一人の人間の姿となった。

 見た目は黒髪の、いたって普通の十代前半の少年。だが服装はこの世界では珍しいもので、黒で統一された上下に金色のボタン、襟が高い特徴的なものだ。

 この世界では珍しい、だがまったく見られない訳ではない。近頃現れるようになった来訪者たち曰く、それは『詰襟』とか『制服』と呼ぶそうだ。

「……これ、まさか、本当に?」

 周囲をきょろきょろと眺めていた少年は、右手を宙にかざす。そこに見える何かに驚き、そして喜んでいる。

「レベルは1だけど……わっ! 筋力、敏捷、耐久、魔力、どれも最初から最大値だ! それとスキルが……これか?」

 少年が右手の平を空に向ける。手の平の先に、黒い、もやの固まったもののようなものが生まれた。

「スキル『吸収』。えっと効果は……相手のスキルを奪って自分のものにできる。奪ったスキルはストックでき、以後自由に扱える。ヤバっ、これがチートスキルってヤツか!」

 少年は希望に満ちた、これから始まるであろう自分の第二の人生への期待に溢れた笑顔を浮かべ、前を向く。

「よっしゃ! 友達も楽しいことも何もない現実なんてもうおしまいだ! これからは最強スキルで人生やり直すぞ! うぉーっ!」

 そんな彼の眉間に、

 矢が刺さった。

「お……?」

 矢の勢いにより背中から倒れる少年。彼は自分に何が起きたのかもわからないまま、第二の人生をわずか数分で閉じたのだった。


「よし、命中……集合! そいつ運ぶわよ!」

 高い木の上から飛び降りてきた少女。彼女の号令に、周囲の草むらや木の上から複数の少年少女が次々に現れる。

「まさかホントに出てくるとはなぁ」

「姐御の読みドンピシャだったね!」

「ていうかアンちゃん、マジで躊躇しなかったね。彼、何もわからないまま死んだんじゃない?」

「アンを本気にさせたコイツらが悪いっつーか、マジで敵にしたくねぇっつーか……」

「そこがアンの良いところよ。一生ついていくわ」

「はいはい、うっさいわよバカども! 無駄口叩いてないでさっさと動く!」

 アンと呼ばれた少女に促され、仲間たちはそれぞれに、眉間に矢を射られた少年の死体を物色し始める。服を脱がし、中身を漁り、口内や目まで、念入りに調べていく。

「やっぱコイツらの服って、どれも上等だよなー。どいつもこいつも金持ちなんかな?」

「どうだろうねぇ? 彼らの世界では一般的なのかもよ?」

「あー、口ん中はなんもねえわ。たまに金属付けてるヤツもいんだけどなぁ」

「目ん玉もフツーだね! 魔眼持ちじゃないっぽい!」

「持ち物は服の中の物だけみたいですね。いつもの謎の板と、ハンカチと、綺麗な写真付きの、多分財布」

「『スマホ』と『学生証』ね。コイツらのお金も王都で換金はできるけど、出所を聞かれたら困るからその辺に捨てときなさい。あ、お金だけね? 財布とかカードっぽいヤツは持って帰って。色々使えるから」

 死体を検分していた大柄な少年が、矢を折って矢じり以外の部分を回収する。

「この死体はどうする? 持って帰るか?」

 眼鏡の少年が死体を眺めながら、アンに気安い調子で提案する。

「肥料にも家畜の餌にもなるし、それこそ王都に持って行けば、闇業者に内蔵とか高く売れるよ? 逆に放置すれば、獣に虫、病気、魔物と、悪いモノを呼び寄せることになるね」

 アンは死体を見下ろし、侮蔑も敬意も無く、家事の分担をするように淡々と言う。

「ウチの野菜や家畜に転生者を食わせる気? 冗談じゃないわ。王都まで運ぶのも面倒。ここで焼いて埋めればいいわ。ミラ、火ぃよろしく」

「かしこまりました、アン」

 そしてアンは、森の外、なだらかな坂の下に見える小さな村を眺め、忌々しげに呟くのだった。

「ったく、とうとう村の近くで湧いてくるようになるとはね……クソ転生者ども」

  

 夕焼けに空が染まる頃、村唯一の宿屋兼酒場で、アンと仲間たちはミルクと軽食を摘まんでいた。

「お、今日もいやがったな悪ガキども!」

「遊んでねえで家の仕事しろ!」

「うっさいわよ飲んだくれども! 仕事はちゃんとしてるっての!」

 ガハハと笑う酔っ払いたちに怒鳴り散らすアンに、空いた皿を下げに来た店主が苦笑いを向ける。

「いや~ホント、アンは昔から要領がいいよねぇ。それで? 今日は何をして遊んでたんだい?」

「遊びじゃないわよ。村の警護。異世界転生者を村に近づけさせないようにしてたの」

「はは、あんまり危ないことしたらダメだよ? それと、リッタにもう少しウチの手伝いをしてくれるよう、アンからも言ってほしいな」

「パパ! 姐御を伝書鳩みたいに使っちゃダメ! あとウチの仕事はライラ姉がいるからアタシはいいの!」

「リッタ、ダメよ? 家族の仕事は家族みんなでするものなの。アンタが手伝えば、その分ライラが楽になるんだから、ちゃんとやりなさい」

「は~い姐御!」

 店主が笑みのまま下がっていき、眼鏡の少年がため息とともに呟く。

「それにしても、アンの読み通り、とうとう村の近くで転生者が出ちゃったね」

「それよ、ケン。私たちものんびりしてられなくなったわ」

 アンはミルクの入ったカップを勢いよくテーブルに叩きつけ、仲間たちに檄を飛ばす。

「いい? アイツらは私たちが食い止めるわよ!? クソ転生者どもは、誰一人! 一歩たりとも! 村には入れさせないんだから!」

「はは、ホント、アンちゃんは異世界転生者が嫌いだよねぇ。何かあったの?」

 引きつった笑みを浮かべるケンに、大柄な少年と痩せぎすの少年がコソコソと言う。

「そういやケンは知らないだったよな。何を隠そうアンには、聞くも涙語るも涙な過去があってな……」

「乙女の尊厳を踏みにじられたんだよ……それ以来アイツはあんなイノシシ女になっちまって……」

「あっバカっ、イノシシはダメって……」

 止めようとしたミラも一歩遅く、アンは微笑みを浮かべたまま怒りをにじませるという高等技術を披露していた。

「ウォード、クライス……」

「ひっ……」

 蛇に睨まれた蛙のように固まったウォードとクライス。彼らからそっと離れるケンとミラ。

「だ~れ~が~……」

 アンの放った拳で、二人は天井まで吹き飛ばされていった。

「イノシシ美少女じゃ~っ!」

「美少女は言ってねえ~~~!」

 鼻息とともに腰を下ろしたアンに、ケンが恐る恐る尋ねる。

「ふんっ!」

「あははっ! やっぱ姐御がサイキョーだねっ!」

「はぁ、だから言ったのに。リッタ、救急箱借りるわよ?」

「あ、アンちゃん、何があったのか、聞いても平気……?」

「ん? あぁ、別にいいわよ。隠してる訳じゃないしね」

 アンはミルクを一口飲み、遠くを見るように視線を上げる。

  

 あれは去年の、私の15歳の誕生日だったわ。ケンが来るひと月くらい前かしら?

 この村に初めて、異世界転生者がやって来たのよ。

「やぁ、こんにちは。僕はラインハルト。旅をしているんだが、ここに泊まれる所はあるかい?」

 立派な鎧と剣を持っていて、大きな馬に乗っててね。本人も綺麗な顔をした男の人で、私は一目で恋をしたわ。

「は、はい……ご、ご案内します、騎士様……」

 このリッタの家の宿を紹介して、村の中や周りの森とかを案内して……いつもは村に来る人なんて放っておくのに、恋は盲目というか、私はすっかり舞い上がっちゃってね。もしあの時に戻れるなら、自分をひっぱたいてでも止めてやりたいわよ。

 ソイツは数日間泊まることにして、私はほとんどいつも一緒にいたわ。宿屋の部屋で、私たちは色んな話をした。

 ソイツは魔王とやらを倒すために旅している勇者だってこととか、一人旅に寂しさを感じていることとか、

 私の家が農家で、毎日同じことの繰り返しにちょっと退屈を感じていることとか……。

「退屈、か……他のことをやったりはできないの?」

「他のこと……料理や洗濯とか、狩りもしたりしますけど、でもやっぱり誰かがやってる普通のことを、普通にできるだけなんですよね……」

「ひょっとして……村を出たい、とか?」

「い、いえそんなっ! 村は好きですし、家族も大事なので! ……でも、王都とか、外の世界に憧れもあったりして……」

 そして私は、あぁ、あろうことか! ソイツの手を握って、こう、上目遣いとかしちゃったりして! 渾身の色仕掛けでソイツに迫ったの!

「でも、勇者様……アナタから理由を貰えれば、私……この世界のどこへでも行けると思うんです」

「ん……ん? えっと、それは……僕と一緒に来たいってこと?」

「は、はい……」

 ホント、あの時は夢中だったというか……握ったソイツの手を、自分の胸に引き寄せたりして……いま思えばソイツ、その時にニヤケてたというか、いやらしい顔してたのよね。

「……うん、君の気持ちはわかったよ、アン。僕にまかせて……」

「あっ……勇者様ぁ……」

 んで、私はそのまま初体験をして、ソイツの腕の中で幸せな気持ちのまま眠ったわけよ。

 それで、次の日の朝よ……。

 目を覚ました私は、ソイツがいないことに気づいて……外から馬の声が聞こえて、慌てて私も出たわ……。

 連れていってってすがる私に、ソイツはぁ……こう言ったのよぉ……っ!

「いやぁキミ、ステータス普通っていうか、マジでただの村娘だからいいわ。この村で普通に暮らしてなよ」

「え? いやいや無理だって。パーティーは厳選したいし、僕、見た目じゃなくて性能で選ぶ派だからさ」

「……はぁ、しつこいなぁ。モブNPCのセリフ多すぎだろ。イベントが長いとダルいんだよなぁ」

 そうして、すがりつく私を無視して、ソイツは村を出ていったわ……。

  

「これが、私がこの村に異世界転生者を入れない理由……ヤツらを憎む理由よ」

「そ、それは、何と言うか……酷い奴、だね……」

 ドン引きするケンを押しのけ、ミラがアンの頭を自分の胸に抱きしめる。

「あぁアン、辛かったですね……ラインハルト、ですか。今度そいつが村に来たら、私が殺しますからね」

「ありがと、気持ちだけ受け取っておくわ、ミラ。あと胸を押し付けるのはヤメて。デカくて鬱陶しいわ」

「じゃあアタシにちょうだ~い! わ~、ミラのおっぱいふかふか~」

「こら、ダメよリッタ! 私の胸はアンだけのものよ!」

 女性陣がくっつき合う光景を眺めながら、ケンは少し表情を曇らせる。

「そっか、アンちゃんにそんなことが……ホント、最低な奴だな……」

 ケンの独り言は、誰の耳にも届かない。

「ゲームだと思っていたとは言え、NPCへの態度が悪すぎる……女神から何の説明も無かったのか? ていうかちょっと会話すればわかるだろ……元の世界でも人付き合いの乏しい奴だった、って感じかな……」

「な~にブツブツ言ってんだ、ケン!」

「うわっ!?」

 復活したウォードがケンに絡む。クライスはニヤニヤといやらしい笑みをケンに向ける。

「はは~ん? さてはケン、アンの初めてを他人に奪われて悔しいんだな~?」

「おっ!? そうだったのか!」

「いやいやそういうのじゃないって。アンちゃんとは家族みたいなものっていうか……そう、妹みたいな感じだよ。妹に辛い過去があって心を痛める兄、みたいな気持ち」

「ホントか~? 正直に言ってもいいんだぜ~?」

「まぁ、アンは見た目だけは良いからな! 顔も身体も良いから、知らんヤツからすれば良い女に見えるだろ!」

「中身はイノシシっつーか、猿っつーか?」

「南の方の国にはゴリラってゆー、猿のでっかいヤツがいるらしいぞ?」

「な、なぁ、お前ら……そろそろその辺で……」

「そのゴリラっつーのは知らねえけど、とにかくあれだ、アンってのは一見いい女だけど、」

「しゃべる猛獣って感じだな! はははっ!」

「ははは~なるほどね~。アンタたちの目にはそういう風に見えてるワケね~。私が」

「あ……」

「ぼ、僕は、止めたからね……?」

 その日2回目のアンの鉄拳により、今度は床に叩きつけられたウォードとクライスなのだった。

  

 アンと仲間たちが村の酒場で騒いでいた頃、村から北西に遥か遠い、エルドランド大陸の果て。

 アンたちの住む村、カウ村が属するエルドランド王国。その王国と100年に渡り対立してきた魔王が治めた魔族の国、ブルガーノ帝国。

 その帝都だった土地は、今は瓦礫の広がる廃墟となり、エルドランド王国により魔族を隔離収容された魔族領へとなり果てていた。

 吹雪の止まない氷点下の気候は、いくら頑強な魔族でも暖房無しでは苦しい。廃墟の中にポツリポツリと見える焚火には、それぞれに多くの魔族がひしめき合っていた。

 そして、唯一ギリギリ、形だけは残っている大きな建物。かつて魔王と呼ばれた皇帝とその家族が暮らした城は、壁が残っている部分にできるだけ多くの魔族が収められ、さながら避難所となっていた。

「あぁ、俺たち平民に城を使わせてくれるなんて……皇女殿下は本当にお優しい方だなぁ」

「ありがてぇ、ありがてぇ……」

「こんなお優しい殿下を、王国の連中は……」

「くそっ……あいつら、ぜってぇ許せねえっ……!」


 城の最上階、皇女の私室には、灯りは点ってはいなかった。

 かつて並んでいた豪華な調度品類は王国兵たちに略奪され、暗く広い室内には、隅に毛布の山があるだけだった。

 廊下に繋がる大きな扉がノックされ、しわがれた老人の疲れた声が聞こえてくる。

「……殿下、お食事が出来ましたよ。食堂にいらっしゃってください」

「……いらない、わ……皆で、食べて……」

「あ、後でこちらにお持ちします……あの、せめて火を焚いてください。殿下のお身体が……」

「ひ、一人にしてっ! ……ぐすっ、ひぅ……だ、誰にも、あい、会いたく、ずずっ、ないのぉ……」

「……申し訳、ございません。失礼、いたします……っ」

 離れていく足音。それが止むと、部屋にはただ、皇女のすすり泣く声だけが響くのだった。


 食堂は大量の炊き出しの料理と使用人魔族たち、そして集まった大勢の旧帝国国民の魔族たちでごった返していた。

 そこに入ってきた小柄なカエル頭の、執事服に身を包んだ老いた魔族。集まった全員が彼に殺到した。

「侍従長さん! で、殿下は、ユリア様はどうでした!?」

「……塞ぎこんでおられる。今は、そっとしておいて差し上げよう」

 カエル頭の侍従長の言葉に、その場にいる全員が肩を落とした。

「あぁ、そんな……ユリア様……」

「おいたわしや……」

「何か俺らにできることは無いのかよ?」

「皆の気持ちは殿下にも伝わっている……今はとにかく、殿下のお心が癒えるのを待とう……」

 静まり返った食堂内に、一人の呟きが響く。

「……王国兵たちが連れ帰ってきた時の、殿下のお姿……あんなの見ちまったらよぉ……」

 その呟きに、全員の、悔しげな歯ぎしりの音が続くのだった。


 城内の1階、かつて礼拝堂として使われた、今は屋根が無く、吹き込む雪に覆われた広い空間で、侍従長は悲しげに俯いていた。

「ブルガーノ帝国は滅びた……それはいい。戦の敗者として、潔く罰を受けよう……だがっ」

 侍従長の見上げる先、雪に覆われた女神像は、静かに彼の嘆きを聞いている。

「エルドランド王国の、奴ら人間の行いは何だっ! 我らに敗戦国の受ける罰以上の辱めを強いるではないかっ!」

 侍従長の目から溢れる涙。それは頬を流れるうちに凍りつき、砕け、更に涙が流れる。

「街を焼き、森を焼き、人を焼きっ……皇帝陛下を討ち取るだけでは飽き足らず、殿下に、あのような……っ!」

 冷え切った床に膝をつき、細く小さな手で何度も、何度も、床を叩く。

「あぁ、女神よ……この世を作り給うた我らが母よっ……我らの罰は、甘んじて受け入れます……っ!」

 侍従長の、搾り出すような、怨嗟の声。遣る瀬無い怒りと悔しさの、その矛先がわからず、彼はうずくまるしかなかった。

「だが、王国の連中に何の非も無かったはずはありますまいっ! せめて……せめて連中にも……罪には、罰を……っ!」

 その時、雪に覆われた礼拝堂の床が光り輝いた。

「なっ!? こ、これは……?」

 雪の下から現れた光は突如色を変え、まるで闇が形を持ったかのような暗い不定形となる。

 やがて、それは人型に形を変え、闇色だったモノに人間の姿が浮かび上がってきた。

 気づけば、呆然とする侍従長の目の前に、一人の人間が立っていたのだった。

「な……な……?」

 髪の色は雪よりも白く、肌は病的に青白い。細い身体に纏う衣服はしっかりした造りではあるものの、この吹雪の中では心許なさそうな薄さである。

 侍従長を見下ろす目つきに好意的な感情は見られないが、その暗い色の虹彩は、ただ真っ直ぐに怯える侍従長に向けられている。

「…………なぁ」

「ひっ!?」

 一歩後ずさる侍従長の前で、人間は、彼と視線を合わせるように、姿勢を低くした。視線は一度も逸らさない。

「あんた、言葉は分かるか? 俺が何言ってるか分かるか?」

「ひぃ……わ、わかる、わかるとも……!」

「あぁ、良かった。あのクソアマの言ってたことは本当だったのか。じゃあ、早速で悪いんだけど、一つお願いがあるんだよね」

 人間は立ち上がり、寒さを示すように自らの腕をさすり、まったく寒くなさそうに微笑んでみせる。

「……上着か何か、貸してくれない?」

 微笑みとは言ったが、笑っているのは口元だけで、一度も視線を外さず、どころかまばたきさえもしない彼の目に、カエル頭の侍従長は震えることしか出来なかった。

  

 城内の一角、帝国兵の物資倉庫で、人間は厚手のコートを羽織った。

「なるほどね。ブルガーノ帝国にエルドランド王国……聞いたこともないな。それに、侍従長さんだっけ? あんたのその姿を見れば、まぁ、間違いないね。本当に異世界なんだ。あ、服ありがとね」

「まさか、この帝国に、いや魔族領に異世界転生者が現れるとは……てっきり人間族の下にしか現れないものと……」

「あー、あんたらは魔族なんだっけ? 俺の知識だと、姿かたちは人間と違うことが多かったり、悪者役だったり……もしかしたら、何度か転生者が現れてたけど、すぐ逃げ出してたとかじゃない?」

「ふ、ふむ、ありそうですな……あ、お待ちを!」

 侍従長の声も聞かず、人間は勝手に廊下を進む。

「それで? 魔王が勇者に倒されて? その魔王の国だったここは転生者の勇者を従えていた相手国との戦争に負けて、今はこんな感じ、と……うんうん、ますますいいじゃん」

「あ、あの、どちらへ!?」

 階段を上がる人間を必死になって追いかける侍従長。

「ところで侍従長さんは、人間の俺を嫌ったりしないの? 自分たちを負かした連中と同じ種族なのに、いいの? 怖がってはいるっぽいけど」

「はぁっ、はぁっ、さ、流石に人間だからと言って、憎んだりはいたしませぬっ、恨みは、はぁっ、王国の連中だけに、はぁっ」

「……ははぁ、あんたイイ人だね? イイ人は好きだよ」

 そして、最上階のひと際大きな扉の前で足を止めた。

「お、ここかな?」

「お、おやめくださいっ! ここには皇女殿下がっ……」

「うん、だから挨拶しなきゃでしょ? これからお世話になるんだし」

「い、いけませんっ! 今はまだっ……ちょっと、こちらへ」

 声を潜めた侍従長に招かれ、扉から離れた位置へと来た人間。侍従長の手振りに従い、先程と同じように姿勢を低くする。

 侍従長は扉を気にしながら、小さな声で言う。

「こちらにおられる皇女殿下、ユリア・ブルガーノ様は今、人間である貴方とお会いできない事情があるのです」

「その事情とは?」

「っ……話さなければ、なりませんか?」

「教えてくれなかったら、無理やり部屋に入っちゃうかも」

「ぐっ……仕方、ありませんね……」

 侍従長は悲しげに唇を曲げ、静かに語りだす。

  

 皇帝陛下、王国の連中が言うところの魔王様が討たれた後、皇族の皆様は捕虜として王国に連行されました。

 捕虜の返還は何度もいたしました。ですが連中は、戦争犯罪の有無を確かめる為、などとのたまい、いつまでも皆様を解放しませんでした。

 その内にこの魔族領を統治するという名目で王国兵が派遣され、奴らがこの地を見張る砦を築きました。

 ……終戦から数ヶ月、半年ほど前のことです。皇族の皆様の状況を調べようと、駐在する王国兵たちの会話を盗み聞いたのです。

「ったく、ここは年中寒くて適わねえなぁ」

「ああ、早く王都に戻りたいぜ」

「王都と言やあよぉ、聞いたか? 魔王の家族の話」

「知ってる知ってる、すげえんだってな?」

「取り調べって言ってるが、ありゃ拷問だろ。魔王の長男、もう両手足無いんだろ?」

「次男は自害したってよ。まったく、見張りは何やってたんだか」

「男の話はどうでもいいんだよ! んなことより、女たちだ」

「あぁ、ひひっ、魔王の嫁と娘二人はどえらい美人なんだってな」

「上の連中、毎晩お盛んらしいぜ?」

「俺も女3人見たけどよ、ありゃあ確かに、抱きたくなる身体してたわ」

「うぇ、見た目は良くても魔族だろ? 気持ち悪ぃ」

「まぁ、そういう考えのヤツもいるわな。だからよ、もうぶっ壊れちまった嫁と長女の代わりに、最後に残った次女はしこたまヤリまくった後……」


「今は豚小屋に放り込んで、豚とヤラせてるらしいぜ?」


 私が聞いたのは、ここまでです。

 ……怒りを……堪えるのに、必死でした……。

 感情にまかせようにも、私にも、我ら魔族にも……もはや王国に抗う武力など、ありませんでしたから……っ!

  

「そして、ひと月前……お戻りになられた殿下は、粗末な薄布一枚で……まるで、魂が抜けてしまったかのように……うぅっ!」

 嗚咽を堪える侍従長を見下ろす彼は、これまでの飄々とした態度を消し、険しい顔をしていた。

「っ、ようやく、お話が出来るようになってからも……誰ともお会いにならず、引きこもって、いつも、泣いておられてっ……」

「わかった。わかったよ、侍従長さん。俺にまかせなよ」

「え……?」

「そうだなぁ……あ、これでいいや。借りるね」

 侍従長のネクタイを取って、口を使い自分の両手首を結ぶ。それはまるで手錠のようで、彼は自由が制限されているように見えた。

「じゃ、ちょっと行ってくるわ」

「い、いやっ、お待ちをっ!」

 立ち上がり、扉へと近づく人間。侍従長が止める間もなく、彼は扉を開け、皇女の私室へと入っていった。

「お邪魔しまーす。こんばんは、皇女殿下」

「ひっ……!」

 彼の呼びかける声に、部屋の隅にある毛布の山から小さな悲鳴。

「あ、そこね。初めまして、今日からここでお世話になるのでご挨拶を、」

「こっ、来ないでっ! 止まりなさいっ!」

「事情は侍従長さんから聞いたけど、とりあえず顔見て話しません?」

 彼が毛布を剥ぎ取り、皇女の姿を見る。

 偶然にもその瞬間、吹雪が止み、雲が流れ、月光が彼女を照らした。

「お……おぉう……」

 彼が言葉を失くすほど、彼女、かつてブルガーノ帝国一の美少女と讃えられたユリア・ブルガーノは、美しかった。

 褐色の肌は病み上がりでも滑らかな質感を保ち、薄い色合いの、しかし艶めかしく肉付いた唇。黄金の煌めきを放つ瞳に、夜空をそのまま形にしたような黒髪。

 そして魔族を象徴するように頭から生えている2本の角は、年を経た松の木のように複雑な、しかし生命の美しさを思わせる曲線を描いていた。

 だが、彼が見惚れていられたのも束の間だった。

「いやああああああああああああぁぁぁぁっ!!」

 ユリアは悲鳴を上げ、顔を覆ってしまった。

「やめて、やめてやめてっ! お願い許して、わたくしに触らないでっ! 臭いの近づけないでっ! いやっ、いやぁぁっ……」

「で、殿下……」

 沈痛な面持ちで俯く侍従長。今のユリアは、彼でさえ触れれば壊れてしまいそうに見えた。

 彼女を怯えさせている人間の彼は、しかし優しい放置ではなく、コミュニケーションを取ろうと、優しく声をかける。

「なぁ、皇女サマ。ちょっと落ち着いて見てごらんよ。ほら、俺ってばがっちり腕縛られちゃってんの」

「…………え?」

「ね? ほらこれ。これじゃあなんにもできないよ。心配なら足も縛る? いいよ? 俺はあんたとお話がしたいだけだから」

「…………い、いえ……」

 小さく首を振り、ユリアは、ゆっくりと顔を上げる。

 月に照らされた彼の顔を見て、ユリアは小さく息を飲んだ。

「っ……あ、貴方は……何です……?」

「俺? 俺は人間、あぁ異世界から来た人間で……あれ? そういや名前って言ったっけ?」

「いえ、殿下にはまだ」

「あぁ、じゃ自己紹介だ。初めまして、俺は仙場浄悟。異世界からここに転生してきました。よろしくね」

 差し出された手を、おずおずと握るユリア。どういう訳か、彼への警戒心は薄れていた」

「センバ、ジョーゴ……ジョーゴ族の、センバ……?」

「ん? あぁいやファミリーネーム、まぁうん、センバ族のジョウゴね。ジョウゴでいいよ」

「ジョーゴ……ジョウゴ……」

「それで? 皇女サマのお名前は?」

「ユリア様ですよ、先程お教えしたでしょう」

「ちーがうよ。名乗られたら名乗り返す。それが礼儀ってモンでしょ?」

「皇女殿下に礼儀を説くなどっ……」

「い、いえっ……そちらの、仰る通り、です……」

 ユリアは身を起こし、正座で居住まいを正す。ピンと背筋を伸ばした姿勢は、皇女に相応しい気品を醸し出している。

「わたくしは、ブルガーノ帝国第四代皇帝、マクシミリアン・ブルガーノが次女、ユリア・ブルガーノと申します。以後、お見知りおきを」

「…………でっか」

「……ひっ」

 ジョウゴの視線に気づき、ユリアは慌てて胸元を隠す。侍従長は怒りの視線をジョウゴに向けた。

「ジョウゴ様……殿下のご事情はお話ししましたよね?」

「そうねごめんね。今のはホント俺が悪かった。すみませんでした」

 そしてジョウゴは、俯いたユリアに、あくまで優しく声をかける。

「でもさ、ユリアさん。あんたの事情は聞いたけど、そうやって泣いてるばっかでいいの?」

「っ……!」

「ジョウゴ様! 今はまだっ、」

「ユリアさんの心が癒えるまで見守ろうって? それは思考停止、諦めじゃない? 悔しくないの? みんな大好き皇女サマが、王国の連中に滅茶苦茶にされてさ」

「悔しいに決まっています! ですが殿下は、」

「ユリアさんだって悔しいに決まってる。ねぇ、ユリアさん?」

 ジョウゴに訊ねられ、ユリアは戸惑いを見せ、しかし、

「……しい、です……」

 歯を食いしばり、美しい顔に怒りを刻んで、叫んだ。

「悔しい、ですっ!」

「ふふ、だよね」

 ジョウゴは、まるで友人と歓談しているかのように、にこやかにユリアへ言い聞かせる。

「だったらさ、やり返してやればいいよ。ツラいことを飲み込み続けるなんて、不健康だ」

「ふぅっ、ふぅっ、で、ですが、そうすれば、また戦争に……魔族には、もう、戦う力など……」

「ん~、じゃあ俺が手伝ってあげるよ。侍従長さんには良くしてもらったし、これからもお世話になるだろうし」

「……一目見てから、気になっていましたが……貴方、その、身に纏う邪悪な魔力は……」

「あぁこれ? これは生まれつきのヤツ。あんたらと似たようなヤツだよ」

「……その力があれば、あるいは、王国相手でも……」

「でもね、ユリアさん」

 ジョウゴは身を屈め、ユリアと視線を合わせる。彼は一度もまばたきをしていない。

「本命に手を下すのは、ユリアさん自身じゃないとダメだと思うんだ」

「っ……わ、わたくしが、直接……?」

「そう。やられたらやり返す、それはいい。でも、関係ないヤツがやり返したら、それはただの暴力、悪だよ」

「で、ですが、わたくしに、復讐など……」

「あぁ、虫も殺せないって感じ? 大事に育てられたんだね。でもさ、ユリアさんは王国の連中に酷い目に遭わせられたよね?」

「っ! うぅ……っ」

 ジョウゴはまばたきをしない。彼は口元だけを吊り上げてみせた。さも、自分は笑っていると言いたげに。

「こっちを人間扱いしないヤツは、こっちだって人間扱いしなくていいんだよ?」

「人間扱い、しなくていい……?」

「そうさ。虫を踏み潰すように、埃を払うように、気軽に消しちゃえばいいんだよ」

 ジョウゴの言葉に、これまで曇っていたユリアの顔が、血色良くなっていく。黄金色の瞳が、本来の煌めきを取り戻し始めた。

「で、殿下……ぐすっ、ご機嫌、麗しく……!」

「そう……そうなのね……連中を、アレらを、もう、気にすることなんて、ない……」

「うんうん、いいね。病は気から。ツラい時は我慢しないで、気分良くなることした方がいいもんね」

「ジョウゴ、様……」

 ユリアはジョウゴの手を取り、上気した頬で彼を見つめる。

 黄金色の瞳は、同じ色の月の光を受けずとも、輝いている。

「お手伝い、していただけますか?」

「ああ、いいとも」

  

 一夜明けて、アンたちの住むカウ村に行商人がやって来た。

 行商人は村にとって貴重な商売相手、かつ情報源である。定期的な取引と情報交換は片田舎のこの村には必要不可欠な存在なのだ。

 しかし……。

「えぇっ! おっちゃん、行商辞めちゃうの!?」

「ああ、最近広まってる飛竜の配達サービスってのに仕事を食われちまってなぁ。戦争が終わって暇になった竜騎兵隊が始めたらしいんだが、もうやってられねえのよ」

「そんなっ……じゃあ王都の話を伝える仕事とか、そういうのでやっていけない?」

「それもなぁ、ラジオっていう遠くの音や声を伝えられる機械が出来て、必要なくなってきたんだよ。こっから北にある村でも、村長さんが持ってたぜ?」

「えぇ~? ウチの村にはそんなのまだ無いよぉ。行商人のおっちゃんがいないと、ウチは置いてけぼりだよ……」

「すまんねぇ。けど、ここの為だけに行商続けられるほど、もう稼げないからねぇ」

 がっくりと肩を落とすアンと仲間たち。行商人も遣る瀬無さそうに頭を掻く。

「は~あ、世の中を良くする為って言うけど、異世界転生者も余計なことしてくれるよなぁ」

「……異世界、転生者?」

 行商人の言葉にピクリと反応するアン。彼女の後ろで、仲間たちは何かを察したかのように見つめ合う。

「そうなんだよ、飛竜の配達サービスもラジオも、異世界転生者が考えたらしいぜ? そりゃあ喜ぶヤツも多いだろうけどよぉ、おっちゃんみたいな割を食うヤツもいるっての……」

「そう……あの連中のせいで……」

「ちょっと、アンちゃん? 何考えて、いやわかるけど、一旦落ち着いて……」

「も~~~~我慢ならんっ!」

 アンの爆発は村中に響いた。爆心地にいた仲間たちと行商人は、衝撃で吹き飛ばされそうになった。

「アイツらのせいで村も、国中もメチャクチャよ! なんだかんだ理由をつけて、結局は物事を引っ掻き回してるだけじゃない!」

「そ、そうかな? そうかも? でも長い目で見れば、」

「ケン、無駄よ。こうなったアンに何を言っても聞かないわ」

「ミラが諦めたらどうしようもないよ……ていうか、アンが何言いだすかわかるでしょ?」

「まぁ、わかるぜ? ぜってぇ面白れぇことだ」

「面白い? いいえクライス、これは遊びじゃないわ。真剣な、マジのヤツよ」

 ミラも、クライスも、ウォードも、リッタも、アンの言葉を期待して待つ。嫌そうな顔をしているのはケンだけだ。

「つまり、何するって話なんだ!?」

「教えて姐御!」

「決めたのよ。私は、いえ私たちは……この世界中の異世界転生者どもを駆逐して回るってね!」

 歓声と拍手で応じる面々の中、一人頭を抱えるケン。賛同する仲間たちを、声を張って止める。

「待って! ちょっと待って! 落ち着いてよ、特にアンちゃん!」

「何よ? 私は至って落ち着いているわよ?」

「じゃあその落ち着いた頭でよく考えてみて? 確かにおっちゃんは食いっぱぐれちゃうけど、これから別の仕事をすればいいじゃん? この村だって、飛竜とかラジオを使えばいいし」

「…………」

「転生者たちの発明だって、それ自体は悪いことじゃないでしょ? モノの使い方が問題になることはあっても、モノ自体に善悪はないっていうかさ」

「確かに、ケンの言うことは一理あるわ」

「でしょ? ならさ、」

「でもねぇっ!」

 顔を上げたアンの目には、炎が燃えていた。ケンがそう錯覚するほどに、アンの中には熱が渦巻いていた。

 それは良く言えば、世界を守る情熱。悪く言えば、転生者への憎悪の執念。

「アイツらは確実に大きなモノを壊しているわ! それは秩序よ! これまで問題なく回っていた社会を、アイツらがぶち壊しているんだわ! 私はそんなの許さない! 世界を守ってみせる!」

「いや……いやでもね!? 異世界転生者がみんな悪いヤツとは限らなくない!? 王国兵が捕まえてないならアンちゃんがどうこうすることもなくない!?」

 アンはケンから身を翻し、力強く拳を天に突き上げる。

「転生者はみ~んな悪よ! 異世界転生クソくらえ!」

「異世界転生クソくらえー!」

 囃し立てる仲間たちと、得意げに胸を張るアン。

 彼らの後ろで、ケンは一人、ため息をつく。

「はぁ……もう、仕方ない……せめてみんなは、いや、アンちゃんだけは守らないと」

「な~にブツブツ言ってんのよ、ケン!」

 振り向いたアンは、朝の日射しを一身に受けて、まるで太陽そのもののように輝いているのだった。

「アンタもついてきなさい! 冒険の始まりよ!」


 つづく

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