第7話 嫌がらせ
「本日は蔵書の点検作業を行っております」
「そうなんですね。それではお邪魔にならないよう隅の席で閲覧しますね」
素っ気ない態度の司書に申し訳なさそうな表情を作りつつも、瑛莉は気づかない振りをして自分の権利を確保した。
明らかに作業中という状況であれば瑛莉も諦めたが、見る限りその様子はなく館内は通常通りの静けさなのだ。
「……東側の書物にはお手を触れませんようお願いいたします」
「分かりました。教えてくれてありがとうございます」
東側は国の歴史や文化について書かれた書物が多く、瑛莉が頻繁に利用している区画である。嫌がらせだとは気づいていたが、にっこりと微笑んで答えると司書はむっとした表情を浮かべながらも、儀礼的に会釈を返す。
(幼稚というか、この国大丈夫か?)
欠陥聖女と呼ばれようが、聖女の立場には変わりない。その聖女と同等の立場と言われている神官長はシクサール王国神殿で最高権力者であり、王族もその発言を粗略に扱えない存在である。一概にはいえないが、貴族で言えば公爵位と同等またはそれ以上の地位とも見なされるのだ。
「聖女様、こちらをどうぞ」
そう言ってディルクが机に置いたのは、昨日瑛莉が読んでいた書物だ。
(でもこれは東側の本棚にあったものだ)
罠だろうかとディルクを見上げれば、悪戯が成功した子供のような表情を浮かべている。
「こちらは返却棚にあったもので、あちら側には立ち入っておりませんよ。まだ途中だったでしょう?」
そう言われて瑛莉は礼を言って本を受け取ることにした。ディルクのことを信用していないが、あまり警戒している様子を見せれば余計な詮索をされかねない。
期待外れな聖女として見下す人間が多い中、少なくともディルクは瑛莉にそんな態度を見せたことがない。それはエルヴィーラも同じだが、淡々と自分の仕事をこなすエルヴィーラに対して、ディルクはさりげなく瑛莉をフォローするような行動を取る。
(これがただの親切ならいいが、こいつはどうも胡散臭いところがあるからな)
仮病のことや王族への反発心を見抜かれているにもかかわらず、それについて言及せずに騎士らしく振舞っている。本心を確かめたい気持ちはあるが、迂闊にこちらの思惑を悟られては敵わないため、結局のところ他の人たちと同じように接している状態だ。
非常にもどかしいと思うものの、慎重に動かないといけないので仕方がない。
本に目を通しながらも瑛莉はディルクについてそんなことを考えていた。
それは追い立てられるようにして閉館時間よりも早く図書館を出て、すぐのことだった。
「あら、聖女様。ごきげんよう」
「……ごきげんよう」
(またこいつらか。よほど暇らしいな)
最初に名乗られたのだが、初対面の時から印象が良くなかったため憶える気にもならず、瑛莉は縦ロール、ブロンド、リボンと適当に名前を付けていた。
「また図書館にいらっしゃっていたのですか?ディルク様も大変ですわね」
三人の中でボス的存在の縦ロールがディルクに労わるような眼差しを向け、残りの二人も同調するように頷いている。
「マリエット王女殿下も心配してらっしゃいましたわ」
「お二人がご一緒にいるだけで素敵な雰囲気でしたもの。お互い信頼なさっているのが良く分かって、わたくし達も憧れておりましたわ」
(はぁ、早く帰りたい……)
ディルクを囲んで楽しそうにはしゃぐ令嬢たちをよそに、瑛莉はこっそり欠伸をかみ殺す。
一人で部屋に戻ってしまえれば良いのだが、聖女の護衛騎士であるディルクは瑛莉の傍にいなければならない。以前そっと離れようとした際、目ざといディルクはすぐに会話を切り上げて瑛莉に付き添った。その時の令嬢たちの顔を見て、これ以上余計な恨みを買わないようにしようと決めたのだ。
「王女殿下やご令嬢方のお心遣い痛み入ります。優しい皆様方のような気遣いができるよう私も精進いたしますね」
にっこりと爽やかな笑顔に令嬢たちが小さく歓声を上げるのを横目に、瑛莉は回廊の脇に咲いた小さな野花を見て退屈を紛らわせていた。
「ディルク様、疲れに良く聞くお茶が手に入りましたの。すぐにご準備いたしますわ」
縦ロールの令嬢が侍女に目で合図すると、ディルクは困ったような表情を浮かべる。
「折角ですが、勤務中ですので――」
「ディルク様にも休養が必要ですわ。聖女様だって分かってくれますわよね?」
ディルクの言葉を遮るように縦ロールは挑発的な表情を浮かべて、瑛莉に視線を向ける。王宮内であり部屋まで数分の距離なのだし、瑛莉が拒否すれば後々うるさく言われかねない。
「構いませんわ」
「――聖女様!」
瑛莉が了承すると思ってもみなかったのか、ディルクは珍しく焦ったような声を出した。
「代わりにわたくしの護衛を付けてあげますから、安心してくださいな」
どこか物言いたげなディルクの表情に気づいていたが、瑛莉はそれを無視すると一礼して部屋へと向かうことにした。
「おや、聖女様ではないですか」
今日は何かと呼び止められることが多いとげんなりしながら、声の方向を向くと二人の若い男性の姿があった。身に付けている服装や装飾品からして高位貴族だと察したが、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていて上品さの欠片も感じられない。
「……ごきげんよう」
さようならの意味を込め一礼してその場を去ろうとしたが、相手は瑛莉の遠回しな拒絶に構わず言葉を続ける。
「先ほどちょうど怪我をしてしまって、治療してくれませんか?」
揶揄するような声には悪意が滲んでいたが、瑛莉は苛立ちを抑えて頭を下げた。
「申し訳ございません。まだ癒しの力を扱えませんのでお受けできかねます」
「ははは、聖女様なのにそんな筈がないでしょう」
浄化は他の方法で代用できるが、癒しの力だけは聖女特有の能力として知られている。もちろん薬草などで作られた薬はあるが、即効性があり時には命に関わる怪我も治癒できる癒しの力は聖女が崇められる大きな要因の一つだ。
この癒しの力が使えるとバレれば、権力者が瑛莉を手放さないだろうことが容易に想像できたため、どれだけ馬鹿にされようと瑛莉はこの力について隠し通すことを決めていた。
「まだ上手く使えないと言うのなら、我々が手伝ってあげてはどうだろうか?」
「ああ、それはいい考えですね」
そう言うなり強引に手を引っ張られて瑛莉は驚いて、振り返れば縦ロールの護衛は頑なに瑛莉から目を逸らしている。
(くっ、嵌められたか!?)
相手が高位貴族だからではなく、元々そういう計画だったのかもしれない。
「離してください!」
「何故です?聖女様のお力を開花させるためご協力を申し出ただけじゃないですか?王太子殿下もお喜びになりますよ」
彼らが連れ込もうとしているのは人気のない一角だ。何を目的としているか理解して、瑛莉は必死で抵抗する。
「あなた方の手助けなど必要ありません!っ、離して!」
「はっ、欠陥聖女のくせに生意気だな。口の利き方を教えてやろう」
つかまれた手を乱暴に引かれて、瑛莉はバランスを崩して地面に倒れる。
(こんな奴に好き勝手されてたまるか!!)
「先生」が教えてくれた痴漢撃退方法を頭でなぞり、瑛莉は相手が近づくその瞬間に狙いを定める。
「そこで何をしている!!」
瑛莉に手を伸ばしかけた時、怒気のこもった声が響く。分が悪いと思ったのか二人は舌打ちを残して、そそくさとその場から逃げ出していった。
「――っ、怪我は?」
「……大丈夫です」
差し伸べた手を取らずに一人で立ち上がったのは、瑛莉の意地だった。軽く土をはたいて顔を上げれば、いつも飄々としたディルクが苦虫を噛み潰した表情をしている。
(不機嫌なら戻ってこなくて良いのに……)
八つ当たりをされては敵わない。さっさと部屋に戻ろうと歩き出そうとした瑛莉の前にディルクが通せんぼするかのように立ちはだかった。
「何か……」
「二度と勝手に離れるな。王宮内であっても今のあんたの立場はかなり危ういんだ」
取り繕った口調を投げ捨てて低い声で告げるディルクに、やっぱりこっちが素なんだなと瑛莉はそんな感想を抱いていた。
それを敏感に感じ取ったのか、ディルクの瞳がすっと冷やかに細められる。
「――ご忠告ありがとうございます」
そう告げた瑛莉の声もいつもより素っ気なく響いたのは、襲われそうになったことへの怒りが出てしまったからなのか、ディルクにつられてしまったからなのか。
少しだけそんな自分を反省した瑛莉だったが、これで終わりではなかったのだと思い知らされるのは翌日のことだった。
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