第6話 立場と教育
目を開けると見慣れてきた天井が視界に入り、瑛莉は小さくため息を吐いた。
(受け入れているつもりだけど、諦めきれない部分があるんだろうな)
異世界に召喚されてもうすぐ二週間経つが、いまだに毎朝僅かな落胆を感じてしまうのだ。天井が低く手狭ではあるが住み慣れた部屋に戻りたいという気持ちを捨てきれないからだろう。
音を立てないよう忍び足で洗面所に行き、申し訳程度に顔を洗うと少しすっきりした気分になった。
静かに引き出しを開けて取り出したのは、黒曜石のような見た目の魔石だ。
魔物や魔物が多い土地から取れるこの魔石を浄化すると聖石になる。聖石は電池のように灯りやオーブンなどの調理器具などに使用したり、泥水に浸せば飲料用になったりと汎用性が高く、生活の至るところで利用されている。
もっとも庶民にまで使用できるのはシクサール王国だけらしく、それだけ豊富な魔石と浄化する術を有していることが理由らしい。
(まあ、それも歴代の聖女の功績なんだろうけど……)
大きめの魔石を手に取り、心の中で浄化と唱えれば真っ黒だった魔石の色があっという間に水晶のような透明な聖石に変わる。いくつかまとめて行う場合は手をかざすだけでも出来るようになった。
浄化自体は聖女でなくても清らかな水に浸しておくことで可能だが、大きさによってはそれなりに時間がかかるらしい。
(どれくらい力が使えるか試してみたいけど、流石に一気に浄化するとバレるよな)
聖女認定は召喚から三日後に行なわれた。認定されないよう心の中で祈り続けたものの、水晶に手をかざすと光に包まれ、あっさりと認定されて内心がっかりしたものだ。
それからは聖女教育と同時に王子妃教育が組まれて、朝から晩まで割と忙しい生活を送っている。とはいえ瑛莉がそのまま従うはずもなく、陰でこっそりその力を試しながらも人前では力を最小限にしか使っていない。
そのため「欠陥聖女」というレッテルが貼られるようになった。
(そこまではこちらの思惑通りなんだけど、あとはどうやって逃げ出すかだな)
練習が終わってベッドに戻ると、しばらくしてノックの音とともにエルヴィーラが現れる。
初日のようなしっかりとしたドレスではなく、一人でも着替えられるワンピースなのだが侍女の仕事だと言ってエルヴィーラは譲らない。本来なら少しでも慣れるためにと普段から窮屈なドレスを着るはずだったようだが、瑛莉が二度も倒れたことで健康を優先するため身軽な恰好が許されたそうだ。
軽く拷問だったため、この点に関しては感謝している。もっともその方針が改められないのは別の理由もあるのだと瑛莉は推測しているのだが――。
「それでは失礼いたします」
エルヴィーラが退出し、テーブルの上に整えられた朝食を見て瑛莉は鼻で笑った。
(欠陥聖女にはこれで十分ということだろう)
初日にはホテルの朝食かなというぐらい、品数も量もたっぷりと準備されていたが、今日の朝食は紅茶とトーストのみである。ちなみにジャムもバターもない。
昨日はスープまでは付いていたが、どこまで削られるのか予測するのが最近の日課となっている。
すっかり冷めた食事であっても食べられるだけ良い、という考えなので瑛莉に対する嫌がらせとしては効果が薄い。
(急に現れた異世界の人間が王太子の婚約者という立場になるのだから、面白くないと思う人たちがいても当然だしね)
食事の準備はエルヴィーラの仕事ではないので、これは別の使用人からの嫌がらせなのだろう。当人たちの意思でなくても貴族からの命令によるものだという可能性もあるが、いずれにせよ特に問題ではない。
「エリー様、この程度のことは出来るようになってもらわなくては、わたくしが王太子殿下に顔向けができませんわ」
(うん、それ自分の都合だよね)
俯きながら適当に話を聞いていると、教育係であるバロー夫人はわざとらしくため息を吐いた。
「エリー様は聖女という立場を得ておりますが、本来は王太子殿下どころか高位貴族の方々にもお目通りできるような身分ではないと聞いております。ご自身の幸運に感謝してもっと頑張って下さらないと。王太子殿下はお優しい方ですが、このままだとあの方にも見放されてしまうかもしれませんよ」
それこそ瑛莉の望むところであるが、そんなことを口にすれば不敬だ、傲慢だと騒がれるのが目に見えているから、相手の気が済むまで黙っている。しばらくねちねちと瑛莉に対する不満を並べていたバロー夫人だが、終了の時間になるとさっと切り上げて部屋を出て行った。
教育の時間よりも不平不満を口にする時間のほうが長いのではないだろうか。
サンドイッチ一つの簡単な昼食が終われば、次は聖女教育の時間だ。時折座学が入るものの基本的には浄化の練習に充てられる。
(いちいち付いていなくても良いだろうに……)
規則なのか監視なのか分からないが、神官長補佐と言われる神官たちが交代で瑛莉の成果を見守っている。数秒で終わる浄化を、たっぷり5分ほど時間をかけて行うのも、地味に疲れるのだ。
「一旦浄化はここまでにして、後は座学の時間としましょう」
瑛莉の成果に納得のいかない表情を見せるものの、神官たちは瑛莉を責めるような言動は取らない。だがそれでも表情は視線からしっかり伝わるものはあるのだ。
座学の内容は魔物や魔石、聖女の歴史などについて学ぶため、こちらは大切な情報としてしっかりと授業を聞くようにしている。
それが終わると夕食まで1時間ほど自由時間が取れるので、このタイミングに瑛莉は図書館へと足を運んでいた。
(些細だけどこの嫌がらせが一番困るんだよな)
最初は貸出可能だったのに、瑛莉の評価が広まると図書館内でのみ閲覧可能となったのだ。そんなに遠くはないので移動自体は構わないのだが、聖女という立場から王宮内でも護衛騎士を連れていく必要がある。
「すみません、図書館に行きたいのですが……」
「もちろん、大丈夫ですよ。参りましょうか」
気軽な調子で答えたディルクは、キラキラとした胡散臭い笑みを向ける。真意が見えないディルクは瑛莉の中では要注意人物の一人なのだ。
それでも苦手な騎士と情報収集を天秤に掛ければ、どちらに傾くのかは決まっているため瑛莉は憂鬱な気持ちを振り払って今日も図書館へと向かうのだった。
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