一難去って
辺境の冒険者学校は、とりあえずは今まで通りに運営することとなった。
校舎に損壊はなかったし、近くの山がぶっ壊れただけと考えれば自然だ。
シャロンが焼き払い、俺が木の根まで残らず勇者の剣に変換してしまった地帯は、綺麗まっさらな土になったので菜園でも作ろうと教頭先生が言った。
確かに職員兼学生寮への帰り道にあるのだ、世話もしやすいだろう。
元々教頭先生は、かつて俺の担任だったころから校舎裏で菜園を作っていた人だ。
大きく実った野菜をご飯に使ってくれていたのが懐かしい。
基本的には自給自足で追加しないと、まとまって届く食料を良い感じに料理するしかないからな。
そういう話をしたからか、ふと気になって俺は普段より早く寮を出た。
校舎裏の家庭菜園が今も無事に続いているだろうかと気になったからだ。
「センセって意外と農作業似合うね~」
結果として菜園は見事に拡張されつつも整備されていた。
せっかく朝早くに来たので、昔手伝っていた時のように水をまいていたところ、いつの間にかエリンが校舎の影で休みつつこちらを見ていた。
「教頭先生が昔から作ってたからな。何回か手伝ってたんだよ」
「そーなんだ。じゃもしかして、あたしたちが食べてるごはんとかって……」
「たまにここで採れたやつ使ってると思うぞ」
基本的には俺と教頭先生で一週間分の献立を決めて、その日の担当者が頑張って作るのだが……まあ五人分だから前世の給食とかに比べれば小規模だ。
もちろん大変なのに変わりはないけどね。
「シャロンなんかは、野菜は残さず食うけどたまにお前らにご飯分けてるよな」
「それ本人の前で絶対言っちゃダメだからね。あの子太りやすい体質気にしてるんだって」
お前がそれを言わなけりゃ良かったんじゃないか?
要らない情報を一つ仕入れてしまい、俺は嘆息した。
「ねえねえ、どれが美味しいの?」
日差しの下で汗を拭いつつ水を撒く俺に、影に入ったままエリンが問いかけてくる。
訓練でもないのに暑い思いをするのは嫌だろうな。
「そうだな……これとかオクラみたいで旨いんだけど」
「オクラ?」
「酒によく合うんだよ。軽く味付けしてやると抜群だ」
「それあたしに言うことじゃなくない?」
ムスっとした表情を浮かべるエリン。
まあ流石にそうだよな。
「西方から伝わったっていうこの辺の果実をつけるタイプはみずみずしくておすすめだぞ」
俺は一つ、赤く実った果実をしゅぱっともぎ取った。
「え? ……え!? ええ!? ちょ、ちょっとセンセそれはまずいって。きょ、教頭先生に怒られちゃうよ」
「いいんだよ、実った奴なら持っていって構わないって言われてるんだから」
昔からずっとそういうスタンスの人だった。
育てる過程が楽しいから、成果物が自分の手元に届かなくてもいいと言っていた。
「そ、そうなんだ……」
俺は日陰へと歩いていき、エリンへと果実を手渡す。
「食べてみるか? こう、がぶっといくんだ。果汁が垂れるから気をつけなよ」
「あ、うん」
服にかからないようちょっと腕を伸ばした後、エリンは遠慮がちな勢いで果実に口をつけた。
薄皮を裂き新鮮な果肉へと歯が突き刺さる、小気味のいい音が響く。
「わぶっ」
内側から跳ねるように飛んできた汁がエリンの頬を汚した。
しかしそれより鮮烈で、抜けるように爽やかな風味に彼女は目を見開く。
「お、おいしい……!」
「いいだろう」
さすがは教頭先生、今年も素晴らしい出来栄えだ。
俺は笑いながらも、首に掛けていたタオルをエリンの頬へと伸ばす。
「ふえっ」
「あ、ちょっと動かないでくれ」
赤い汁のついた頬を、撫でるようにして優しくタオルで拭う。
さすがにこんなもんつけたまま教室に行かせるわけにはいかない。
服で拭ったりしたら色がついてしまうしな。
「よし、大丈夫だ」
とりあえずはねて付着した分は全部とれたはずだ。
ん、あれ? 汁をふき取ったのになんで赤いままなんだ?
「……センセ、近いよ」
ハッと視線を上げると、目と鼻の先にエリンの顔があった。
「うおわあっ!? ご、ごめん」
「何その謝り方!? 失礼なんですけど!」
じとっとした視線を向けてくるエリン。
「べ、別にいいけどさあ……ていうか、冒険者やってたのに、なんでそんな女性慣れしてないわけ?」
すげえ鋭い質問してくるじゃん。
鋭すぎて、突き刺さった俺の胸から出血が止まらない。
人道に反する威力だと思う。
「クッ、クフフフッ……愚かな女共相手に、俺の貴重な時間を費やすわけにはいかなかったというだけだ。ま、凡俗たちが時間を浪費する間、この俺は────」
「あ、そういうのいいから」
「あ、はい」
クユミにこれが精神を落ち着けるルーティンだとバラされて以来、エリンもシャロンも、俺のクズ勇者モードを聞き流す姿勢を取りつつある。
「センセに必要だから、仕方なくやらせてあげるけどさあ……それ、結構止めた方がいいと思うなあ……」
「自覚はあるんだよ、自覚は」
「そもそもそれが精神を落ち着かせる効果を発揮してるのがよく分かんないもん」
それな。
完全にこればっかりは、演技してる時間の方が、必死に走り続けてる時間に比べて楽だから安心できたというだけ。
馬鹿のパブロフの犬現象である。
「時間なかった、かあ……でも今は時間あるよね?」
「ん? ああ、そうだな」
「そっか、良かった」
朝早く起きたからちょっと菜園を見るぐらいには余裕がある。
前世のせいで教師って凄い忙しい印象があったんだけど、冒険者学校となると色々と都合が違うらしい。
おまけに担当している生徒が、同年代で並ぶ者はいないであろう天才三人組なのだ。
エリンとクユミにいたっては、座学のほとんどを既に習得している。
シャロンが知識面で一歩譲るものの、理解力と記憶力に長けているためほとんど問題にならない。
日頃の俺に対する舐め切った言動や俺を大変にナメている言動に惑わされなければ、彼女たちが優秀極まりない生徒だとよく分かる。
正直こんな辺境の学校にいるのが不思議なぐらいだ。
「じゃあ、これからここで慣れていく……で、いいんじゃない?」
「はあ……」
女性に?
ってことは教頭先生相手になるよなあ。
流石にここから『女性との接し方を教えてください!』とか言い出したらもう頭が上がらないどころの話ではなくなってしまう。
ていうかもう勢い余って付き合うかもしれない。あの人本当に外見変わらないし。年齢も別に一回り上ぐらいだし。
……いや俺が女性と付き合うとか無理か。
「そうだな、まあ、慣れていこうかなあ」
「うんうん、それがいいと思うな」
適当に相槌を打つと、やたら機嫌よさそうな笑顔でエリンが立ち上がる。
「じゃ、あたし先教室行ってるね。シャワー浴びてきてよ~!」
「はいはい、分かったよ」
元気よく駆けていく背中に、廊下は走るなよと声をかけた後、俺はチラリと菜園を見た。
あの時よりも広くなったこの場所で、いるのは俺だけというのが、少しだけ寂しいなと思った。
◇
午前中の授業で、三人は仲良く机を並べてこちらの講義に集中してくれていた。
いや……なんかシャロンとクユミからは圧を感じたが、理由がわからないので何もできない。
「というわけで、魔力を用いて構築される魔法式には一定の効率化の方法が確立されている。その前提が共有される以上、相手よりいかに早く撃つかという点が現代の対人魔法使用時には問われることとなっているため、詠唱の破棄が推奨されているわけだ。ここまで、質問はあるか?」
「せんせいがシャワー浴びててエリンちゃんから土の匂いがするのはなんでですか~?」
「……授業に関係のある質問をするように。じゃあ、次、シャロン」
「先生の髪が少し濡れていることとエリンから農作業時に近い匂いがすることの間に因果関係があるのなら説明してくれる?」
「ねえ話聞いてた? 授業に関係あること質問してくれよ」
どうやらバレていたらしい。
エリンが申し訳なさそうに、二人の間で身を縮こまらせている。
「はあ……校舎裏に教頭先生の菜園があってな。今朝そこの様子を見てた時、エリンと会ったんだよ」
「エリンからは土以外にも、恐らく先生のものと思われる男性の汗の香りが少しだけしていたんだけど?」
容赦のない追撃を浴びせてくるシャロン。
なんでそんなの分かるんだよ。嗅覚が犬なの?
「そりゃアレだろ……結構汗かいてたから、普通に、こう、うつっちゃったんじゃないかな?」
「ふーん♡」
両手で頬杖を突き足をブラブラさせるクユミが、にひと笑った。
「じゃあ今朝エリンちゃんが一発目に言ってきた、タオルで顔拭いてもらったーっていう自慢は、関係ないんだ♡」
全部エリンの自滅じゃねーか!!
本当に申し訳なさそうにエリンが片手で謝罪のジェスチャーをしてくる。
いやそんなことされても許せない、本当にお前が悪いんだもん。
「先生、そういうのどうかと思う。そもそも朝農作業をしているのなら、言ってほしい」
なんで言わなきゃいけないんだ、と反論するにはシャロンの目が据わり過ぎていた。
本当に怖い。
「せんせいってば朝から随分と大胆なんだね♡ さぞ女慣れしてるんだろうなあ♡」
こいつはこいつで話してた内容掠めてくるし。もしかして知ってるの?
なんで? 聞いてた? どこで? 怖いんだけど。
「はい、はい、分かったから。授業続けるから、はい! この話終わり!」
俺は追及の声と視線を振り切るようにして授業を再開した。
そのままノンストップでちょっと上級に位置する講義を終えた。
そのまま早足で教室を退出する。
寄り道することなく廊下を歩き、逃げるようにして職員室へと戻った。
「あら、ハルート先生お疲れ様です」
職員室に入れば、教頭先生が優しく苦笑しながら迎えてくれた。
「ひどい目に遭いましたよまったく……」
自席に上着をかけて、座り込んで肩を落とす。
教頭先生は綺麗な笑顔を浮かべて近づいてくる。
「多分、君はこれから先も、定期的にひどい目に遭うでしょうね」
「なんでそんなこと言うの?」
思わず生徒時代同様の情けない声がこぼれた。
彼女は眼鏡を指で押し上げた後、こちらへと何かを差し出した。
「これがひとまず直近の、ひどい目です」
「えぇぇぇぇ…………」
あんまりにもほどがある言葉と共に渡された手紙。
マリーメイア関連で手紙を送って回ったところからは、既に一通り返信が来ている。どこも快諾してくれていた。
そういうのとは関係のない手紙となると、ちょっと内容が分からない。
無地の封筒をひっくり返すと、家紋の蝋が封をしてある。
ん?
この家紋見たことがあるぞ。
でも違う、この世界に転生してから見たんじゃない。
転生する前の、ゲームプレイ中に見たことがある。
これは、確か、そうだこれはアレじゃん!
「ソードエックス家からの手紙です」
教頭先生の言葉を聞いて、俺は思わず悲鳴を上げそうになった。
絶対に面倒くさい話だ! 開かずに捨てようかな……
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