逃げ切れない影

 エリン・ソードエックスが、まだただのエリンだった時の話だ。

 どこにでもある、よくある話。


 魔物は遭遇した人間を殺し、人間の文明を破壊する性質を持つ。

 それは動物が特定の電気信号を流し込まれた際に特定の反応を返すのと同じで、意思を持った選択ではない。


 だが会話可能なだけの思考能力を持つ魔族──魔物は魔王が製造し、魔族は魔王が生み育てた始祖の種族たちより生殖する──は違う。

 魔族は自らの意思で、狙い定めて人類を虐殺する。


 エリンが住む村もまた、魔族の手によって炎に包まれた。


「ひ……」


 父と母と弟がいた。

 地獄を部分的に投影したかのような光景の中で、三人は血だまりの中に伏せている。

 もう二度と動くことはない。


「あとは、お前か」


 この光景を作り出した魔族は、殺した人々の躯を踏みつけにして幼いエリンへと迫った。

 助けなど、来るはずがなかった。


「ひ、いや、いや……!」

「そうだ、その顔だ。我々魔族は、貴様ら人間のその顔を欲している」


 硬い表皮に覆われた長く鋭い指が、エリンの頬を撫でた。


「人間は苦悶に歪む顔が、恐怖に叫ぶ顔が、そして悲しみに涙する顔が一番美しい」

「馬鹿が死ね!!!!!」


 魔族が吹き飛ばされた。


「……ぇ?」


 ごろごろと音を立てて遠くへと消え去った魔族の代わりに、その青年が立っていた。

 身に纏う白銀の鎧。流麗に輝く茶髪。正義と使命感の炎を宿す澄み渡った双眸。


 絵本の中にしか存在しないはずの、悪をくじき善をなす白馬の王子様。

 輝く剣を片手に、全身に神威の輝きを纏い、ただ一人であまねく闇を吹き払う圧倒的な存在。



「人間の泣き顔が美しいとか言ってるやつは全員死んだほうがいいだろボケカスが……って、生存者!? うおおおおいこっち来てくれ治癒魔法! いや怪我はしてないか!? とにかく生存者一名!」



 エリンはその日、この世界には善を諦めない人がいるということを知った。




 ◇




「……って感じで、あたしがソードエックス家に拾われる前に助けてくれたのがセンセなの」


 訓練場に二人で座り込んで、向き合う形。

 俺はエリンの話を聞いて、ダラダラと冷や汗を流していた。


 思い出した。

 数多の集落に駆け付け、時には間に合い、時には間に合わなかった。

 それでも全部覚えている。条件や犠牲者の特徴を聞けばピンときた。

 確かに金髪の少女が一人だけ生き残った集落がある。


 しかしそれが『2』の主人公とか思わねえだろ……ッ!


「……思い出して、くれた?」

「あ、ああ。覚えてる……弟が、いたよな」


 当時は魔法使いしか仲間がいなかったから、エリンを彼女に任せ、集落の人々を俺が弔った記憶がある。

 幼子も容赦なく殺されていた。純粋な喜怒哀楽(この場合は怒と哀のみだが)を見ることができるから、魔族の殺戮の対象として子供の優先度は高い。


「そっか、ちゃんと……生きててくれてたんだな」

「……ッ」


 エリンは瞳を微かに潤ませて、ぶんぶんと首を横に振った。


「違う、違うよ……ソードエックス家に拾ってもらって、それでもあたしは……あたしは……」

「俺は君に、何かになってほしいから助けたわけじゃないよ」


 エリンは最初からきちんと、俺に悩みを打ち明けてくれていた。

 家族を殺されて魔族が憎いのに、ソードエックス家が掲げる大義のための刃にはなれなかった。

 復讐者になりきれない中途半端な自分が嫌いだと、だからすべてが嫌になって家を出て、ここにやって来たと。


「それでも、何かに、なりたかった……お父さんもお母さんも弟も、復讐を果たせって言ってる気がするのに……」


 典型的なサバイバーズギルトの症状だ。

 でも、それが何か強迫観念に近いモチベーションへとつながっているわけではない。

 生きていることへの罪悪感はただ静かにエリンを蝕んでいる。


「……エリン、それはすぐに解決できる問題じゃない。だけど、解決できない問題じゃない」

「……っ」


 俺はマリーメイアや、彼女以外のみんなにも幸せになってほしいと思ってる。

 そのためならクズ勇者の役だってまっとうできた。

 魔王なんていうクソ野郎をこの手で世界から根絶できるならとっくの昔にしている。


 だが……あくまで俺は、本物であるマリーメイアやエリンが通るための道を整備する存在。

 俺自身が幸福になろうだの、おこがましい。

 そんなことをしている暇があるのならもっとやるべきことがある。


 …………っていうふうに考えてるから言えることなんもね~~!!


 あとエリンが立ち直ったりエリンが望んでいたりするような言葉は見当がつくし別に嘘ついていいなら言えるけど、生徒相手に嘘つきたくないし、そもそもそれは根本的な解決じゃない。

 俺に寄り掛からせる形で生きていくしかなくなる。普通にダメだろ。


「本当になりたい自分を、これから一緒に考えよう。最初の授業でも、言っただろ」

「……それは、ギルドに提出するジョブのことでしょ?」

「ああ。でもそれとは別に、どういう冒険者になりたいかっていうのも大事な問題だ」


 繰り返し、伝える。

 ちょっとこれは『2』主人公に入れ込みすぎている気もするが……なんというか、今にも崩れ落ちてしまいそうな子を放っておくことは、もっとできないというか。

 もうクズ勇者をする必要もないし、ちょっとぐらい他人に優しくしたっていいだろう。


「……うん、そうだね」


 納得したわけではないものの、理解はできた。

 そういった様子でエリンは頷いてくれた。


 ……やっぱ前世で、教員免許ぐらい取っておくべきだったかなあ。




 ◇




 ……生徒に嘘はつきたくないと言っておきながら、俺はかなり大きい嘘をついてしまった。


 エリンは記憶を語っている間、すごく辛そうだった。

 当然ながらあまり思い出したくない出来事なのだろう。


 人間の脳は精神を守るために記憶を改ざんしてしまうことがあると前世で聞いたことがある。

 だから多分、エリンはきっと──




 そもそも原作では俺なんかがいなくても、自力で魔族を撃退できた彼女は。

 自分が魔族相手に立ち向かって手傷を負わせていたことを、忘れることに、したのだろう。




 ◇




 放課後、シャロンとクユミは教室で物憂げにしているエリンを見て、今は一人にすべきだろうと判断したのかそそくさといなくなった。

 取り残されたエリンは、寮へと向かう道を一人歩く羽目になっている。

 日が沈み夜の帳がおりつつある中で、ぼんやりとした自分の影が道に伸びていた。


(これから一緒に、か)


 頭の中で、ハルートの言葉がぐるぐると渦巻いている。

 ずっと自分を苛んできた、こんな自分が生きていていいのかという問いかけ。

 それは命の恩人であり、王子様で、憧れた男の人と改めて話して──少しだけ、軽くなった気がした。


(生きていて、いいのかな……)


 けど、そう思えていることに、気が重くなった。

 自分の現金さに吐き気がする。あこがれの人に優しくされただけで復讐の炎が弱くなったことが、軽薄に感じる。


(……やだな。あたしこんなめんどくさいやつだったんだ。センセ相手に、凄いダルいことしか話してない)


 教師はそれが仕事の一つではあるものの、命を救ってくれた相手の手を煩わせているであるという推測は、エリンが肩を落とすには十分だった。


(明日からどうしよう。全部気にならなくなった、って振る舞うのが一番いいよね。でもセンセ、そういう演技見抜いてきそうだな……観察眼はキモいぐらいあるし……)


 ようやく会えた憧れの恩人相手に過剰すぎる接触を経た結果なのか。

 恐らくシャロンと同様に、エリンもまた彼に対する言葉遣いがブレーキをぶっ壊してなれなれしいものになっていた。


(……あたしが、さっさと立ち直ればいいんだろうけどさ)


 はあ、と重い溜息をついて、それからエリンはゆっくりと足を止めた。


「こんなに遠かったっけ」


 随分と歩いていた気がする。

 自分が思い詰めていたから、異様に距離を長く感じているのだろうか。

 しかし周囲の様子を窺っている時、突然彼女の背後で気配が膨れ上がる。


「……ッ、誰?」


 振り向けば、夜闇に紛れ込むようにして影が一つあった。

 ローブを着込んだシルエットだけがかろうじて見て取れるが、その全身から魔力が垂れ流されていた。


「流石にこの距離でも感知するか……久しぶりだな」


 ローブを脱ぎ捨てた姿を見て、エリンは数歩後ずさった。


「な、なんで……!?」

「……覚えていたか。だろうな、忘れることもできんだろう」


 あの日、エリンの村を襲った魔族。

 忘れたことなどあるはずがない。瞼の裏側にはっきりと焼き付いた忌まわしき仇。


「……ッ」

「ほお? 思っていたより動揺しないな」


 動揺は、している。

 それを必死に自分の内側に隠しているだけだ。


「我々魔族は、人間が生きているのが許せないんだ」

「……あっそ。あたしは今の言葉が許せないけど」

「それは貴様が人間だからだろう」


 嘲るような言葉を放ち、魔族が指を鳴らす。

 その刹那、二人と囲むようにして半透明の結界が顕現した。


「遮断結界だ。あの男の介入を阻止するのは当然だろう」


 エリンはただまっすぐ、何も考えずに逃げ出すことすら選択肢として与えられなかった。

 あの日、家族たちを殺された時と同じだ。


 人間と魔族の力関係はそういうものだ。

 生物としての格が違うがゆえに、片方が片方をあまりにも簡単に蹂躙してしまう。


「その両眼、邪魔だ」


 とっさに太刀の柄へと手を伸ばそうとする。

 でも右手の震えがひどすぎて、柄を握ることすらできない。


「陛下の復活のためには……あの忌まわしい勇者も大概だが。まずは魔眼使いを処理する必要がある」


 身勝手な言い分を聞いてもなお、エリンの体は反撃のために動き出そうとしてくれない。


(なんで……! 訓練してきたのは、こういう時のための……!)


 家族たちの仇を前にして。

 怒りも悲しみもなく、ただ怯えているだけ。

 後ずさりながら、歯の根が合わぬまま、残虐な笑みを浮かべて忍び寄る影を前に抜刀すらできない。


(あたし、こんなに、弱いの……?)


 絶望から視界がにじみ始めた。

 その時だった。


 キイイイイイイイ! と突撃槍が魔力をチャージする音が響いた。




「【砕くは星】【黄金の角】【荘厳の前に跪き】【自ら目を潰すがいい】──放射fire




 詠唱を省略せず、純粋に解き放たれた威力が遮断結界へと真横からぶつけられ、完膚なきまでに粉砕する。


「え……」

「ほお?」


 エリンを庇うようにして、魔族の前に降り立った二つの影。


「これぐらい朝飯前……あ、時間的には、夜飯前?」

「遮断結界ざこすぎ♡ 死ねよ」


 突撃槍を抱えたシャロンと両手にダガーを握ったクユミが、魔族の眼前で不敵な笑みを浮かべた。


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