Case5-4 山本理柚

「歌えばいいんだよ」




 自然と、眉がハの字にひしゃげていく。私の中の時が一時停止する。


「……歌う?」

「そう。君の一番好きな歌を。君の心を、一番彩ってくれる歌を」


 彼は、至って真摯しんしに、そう述べてみせた。


 私は、馬鹿ではない。

 故に、やはり聞き間違いではなかった彼の提案を推しはかった。


 何より、何故か彼の言葉はどこまでも正しいと思える自分がいた。


 ――さて、彼の意図するところは理解できた。

 私は、もう使うことはないと思っていた記憶をひっくり返す。

 正直言って不安しかないが、理論は間違ってはいない。だが私にはあまりに酷ではないか。

 とりあえず口を開いてみる。さっそく、鬱蒼と嫌気が茂ってきた。


「大丈夫。僕しかいないから」


 ため息混じりに、震える息を吐く。そのまま、吸った勢いに任せ、私は腹をくくった――


「……あ…あきらめ たくなぁーいー……君と…未来を歩んでたぁーいー……だからいまー……全て…振りきってー……」


 我ながら、酷い。

 うろ覚えになっていた歌詞。テンポも音程もぐだぐだである。というより、なんなのだ、この古代な歌詞は。この『未焉みえん』の時代に。


 学生の頃だった。一時の迷いでのめり込んだ、アイドルグループの応援ソング。

 グループの解散と共に、私は音楽趣味自体から疎遠になっていった。そんな、私の知っている数少ない楽曲の中で、一番明るい曲。

 今となっては当時の自分を疑うが、この曲を毎日のように聞いては、頑張ろうとか思っていた。


「うん。素敵だ。その調子」


 ライブの風景…今より、良くも悪くも一生懸命だった自分…その当時の気持ちが思い返される。

 不思議だ。歌い始めから散々馬鹿らしく思っている自分とは別に、どこか勇気づけられていく自分がいる。


 確かにありきたりな曲である。ありきたりで、当たり障りもない。しかしこの曲は、私の心を自然と喜ばせる強力な条件反射として、潜在意識に残り続けていたということか――。


「あの大きな空にジャンピナーウ 雨に打たれてもドン ストッピナーウ――」うむ。恥ずかしい。だが、そうだ。こんな感じだった。ここの部分が一番好きだった。


 気が乗ってきて、そうなると歌詞は途切れなくなっていった。

 死人同然だった顔も心も、みるみるほころんでいくのを感じる。久しぶりに笑えた気がする。

 するとどうだ。背後の唸りはすっかり消えていた。

 どころか、


 チャッチャッチャッチャッ――


 と、まるで飼い犬がフローリングでスキップする音が聞こえる。

 不可視の獣……バンダースナッチとやらがリズムをとっていた。それも、私の歌に。


「フフ…ハハッ」彼が抑えきれず無邪気に笑う。私もつられて吹き出した。そして――


 壊れた天井のライトから、パチンッ――と火花が散る。

 彼を見た。


 想像した通りの、齢十歳ほどの少年。

 黒の癖っ毛で、多分、かなり整った、凛とした顔立ち。


 その瞳は、深紅に揺らいでいた。真水を侵蝕するあか絵の具のように。

 間違いない。一瞬だけの強い光に晒された瞳孔どうこうが、鋭く縦にせばまっていった。


 ――私は、

 今まで何をしていたのだろうか。させられていたのだろうか。

 いったい、誰と喋っていたのだ。

 誰の言葉を信じ、その存在を受け入れていたというのだろうか。

 今、何と手を繋ぎ合っているのだろう。




 悲鳴――――

     ――――誰の? 私の。




 あまりにも乱暴に振り払い、入り口へ、すがるように走り出す。

 みっともなくてもなんでもいいから、この部屋の外が欲しい。

 まだ届かない。あともう少し。早く――早く――。


 そして、突如私は浮遊した。

 足と床の接地による衝撃――その感覚が霧散むさんし、まるで上半身だけが前へ投げ出されていくような、不可解な現象が起きていた。

 落下していく。

 床が浮き上がるように、私めがけてせまってくる。

 ――避けなきゃ!

 そう思った直後、一つだけだった視界が真っ二つに割かれて――。






「あーぁ…。だから言ったのに……」









――――――――――――――――――

Part0 アヤカシパンク――End

ビビビッテル?――To Be Continued

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