Case1-5 矢上藤次郎

 黒闇くろやみと静寂に閉ざされた、零階ぜろかいフロア。

 耳をそばだてると、かろうじて聞こえてくる、微量のモーター音――

 ――手の平に収まるほど小型の機械が、フロアの廊下端ろうかはしを駆けて行った。

 機体を包む黒のカーボンフレーム。その四方からはカメラレンズが見え隠れしている。


 ダイゼロ階段の扉脇とびらわき。待機を続ける矢上達。

 その視界には、Vブイ-リングデバイスを介して、偵察ドローンの映像画面が、コンピュータウィンドウのように映し出されていた。


 偵察ドローンの映像……


 黒と緑で色づけされた、闇の中に捨てられていた光景……


 胸奥むねおくから、不快をこみ上げさせる惨憺さんたんの光景……




 ――本来無地であるはずの空間に、新たにあしらわれた大きな大きな斑点模様はんてんもよう

 その一つ一つに添えられた、白衣を着た人間の残骸達。


 廊下には、いくつもの血だまりの中、研究員達の死体が無造作に転がされていた。


 そのどれもが、極めて奇怪な最後を迎えていた。

 身体の四肢を、雑巾のように幾重にもひねり上げられたもの、

 裂かれた腹中はらなかに、無理矢理白衣を押し込まれたもの、

 互いの皮を食い合いながら息絶えた、男女と思わしきもの――


 あまりのおぞましさ。彼らに、「生前」というものが存在していたとは、到底信じがたいほどの。

 いっそのこと、最初からその形で作られた、悪趣味なホラーオブジェであってくれたのならまだマシだ……矢上はそう思わざるをえなかった。

 もし、この惨状が『誰か』によってもたらされたとするならば、研究員達は確実に、もてあそばれた上で殺されていた。


「どうするこの映像? カラー処理でもしてみるか?」

「黙れ国枝くにえだ


 隊員の笑えない冗談を、間髪入れずに却下する矢上。気休め程度に場がなごむ。が、


「……これ、あの子達がやったんすかね」


 別の一人が、我慢できずそう嘆いてしまったことで、小隊の中に更に重苦しい空気がただよいかけた。

 それを切り上げるためか、矢上は早々に指示を出す。


「現状、フロア内に対象は確認できない。このまま進行する。作戦ルートを辿り、ダイゼロ前にてA班との合流を目的とするが、状況が状況だ。進行中に対象を発見しようものなら、ただちに無力化せよ。 ……任務を遂行するんだ。いいな?」


 そう言うやいなや、突入用意のハンドサインを出す……


 それで十分、それが最適解。隊員達は、反射的に意識を切り替えた。


 ……サインは、Goに。

 フロア内へと、三人は身を進める。




 零階ぜろかいフロアは、死亡現場までの道中でさえも、激しく荒らし尽くされていた。

 傷一つ無く、常に清潔感が保たれていたはずの壁や床面は、おそらく人力じんりきを超えた衝撃によってできた巨大なひび割れやへこあと、それに十数本以上もの刃物を一斉いっせいに振り下ろしたかのような、めちゃくちゃな切り裂き傷によって散らかされていた。

 まるでそれを可能にする何者か、もしくは何者か達が、己の力に浸りながら、だまの如く廊下内をはしゃぎ回ったかのようであった。

 だがこれほどまでの力を持ちながら零階フロアから出ることはしなかった。扉は直ぐそこなのに? 目的はそこではない? 疑念が、矢上の中で渦巻く。

 そして、その渦の中にあの時の、南階段進行時みなみかいだんしんこうじに扉を開けたあの瞬間の、自らを襲った『勘』に似通にかよった何かを感じ取ったその時、


 ――いや、既に『対象』は一階にまで到達している?


という、当たりもせず、ただ必ずしも間違いではない、答えにならぬ答えを絞り出したところで、小隊は例の斑点地帯はんてんちたいへと辿り着いた……。


 実際に肉眼で見たその景色は、正しく着色されているのにもかかわらず、現実味をより薄れさせてしまうほど残酷なものであった。空気に混ざった新鮮な肉と臓器の香りが、つい先ほどまで彼らが呼吸をしていたことを物語っている。


 先頭を行く矢上は、ふと一つの死体の前で足を止めた。

 首から下が骨だけの死体。うつぶせで隠れたその顔を、恐る恐ると確認する。

 あご下にそこそこの肉をたくわえた、髭の手入れが中途半端な中年男性。見覚えのある顔、であることに気がつくまで数秒かかった。

 確か、物質考古学ぶっしつこうこがくだったか、何かの権威だと紹介されたのを覚えている。矢上の記憶の中の彼は、細い垂れ目が特徴的な温厚な顔付きであった。

 しかしその死体は違った。眉間には皺が固まり、眼も限界までかっぴらかれている。口元は強くゆがんでいて、今に絶叫を発してもおかしくはない。

 何か、恐ろしいものを見たのか。それから目をそらすことも、にげることも叶わず、絶望にむしばまれ続けて死を迎えたような、そんな表情が張り付いていた。

 思わず目をそらし、死体を戻す。

 もはや一刻も早くこの空間から脱するべきだ――再び歩みを進めようとした矢上であった。


が、


 ふと背後の違和感に気づく。隊員の気配がない。

 そう思うや、矢上は瞬時にアサルトライフルを構えて体を反転させた。そこには、

 ただ、国枝くにえだが立ち尽くしていた。

 矢上は心のどこか拍子抜けしながら照準を外した。しかし、改めて国枝の様子は明らかにおかしい。

 武器を強く握りしめながら、こちらをじっと見つめるだけで、国枝は全く動こうとしない。


「国枝? どうした?」

「矢上……」


 言葉を発した国枝の息は心なしか荒い。

 そのまま、何か続けようと口を開いたままでいるが、国枝は何故か喋りあぐねている。


「大丈夫か? どうした?」「矢上、聞け」


 国枝は矢上の再度の確認を、食い気味に抑える。

 そうして、気持ちの整理をつけたのか、覚悟を決めたのか、国枝は次に、実に奇妙な問いを立てた。 


「俺たち……二人、だけだったか?」


 奇妙であり、なんとも馬鹿げた問いであった。

 国枝と矢上にとって、二人でチームを組み、ここまで進んできたことは明白な事実であったからだ。

 まず、その事実自体には国枝も異論はなかった。

 だがその事実を認めたことで、無視できない疑問が国枝の脳奥のうおうにじみ出てきた。


「おかしくねえか? この状況で二人だけで組まされることなんてあるか?」


 完全に支離滅裂な言動。自身で受け入れて、自身が確実に辿ってきた道筋を、何故か自身で否定している。そんなことは国枝だってわかっていた。それでも、今ふと気づくことができたこの疑問を、絶対に捨て流してはならないと、国枝の『勘』はそう警告していた。

 ――思い返せば、二人行動の任務実行訓練なんてしたことがない。

 ――他班メンバーの数を合わせても、総数三十人を満たしていない。

 ――進行中に交わした会話の中で、どう考えても矢上とだけでは成り立たない箇所が存在する。

 その一つ一つのふしが、国枝の体をその場に縛りつけていた。


「そうだよな。これやばいぞ。ここまで 来るまで、それに気づいてないって――」


 その時だった。

 背後から静かに、しかし確かに摩擦音が聞こえた。


 当然、国枝は振り向いてしまった。その結果、

 一瞬ではあったが、ヘッドライトの冷たい光が、はっきりとを照らしてしまった。


 ――曲がり角の奥へと、引きずられて消えていく、隊員服を身につけた下半身を。


 思わず国枝は息を止めた。

 ぶわりと、首筋から後頭部にかけて鳥肌と冷や汗が吹き出て、頭の中が緊張で破裂しそうになる。

 武器を握りしめた両手は恐怖により痙攣を始め、

 ようやく取り戻した呼吸は、先ほどよりも輪をけて切迫していく。

 その曲がり角の先にいる正体不明の『戦慄せんりつ』が、想像の中で次々と肥大化ひだいかして――


「矢上っ…! 離脱しよう! もうこれ以上は――!」


 もはや正常な判断などできはしなかった。

 いや、例えできたところで、この状況に巻き込まれている時点で、もはやその判断に意味はない――そう国枝は諦めていた。

 何よりも優先すべきは、一刻も早くこのフロアから、この研究所から脱出することそれしかなかった、だが、


 …………


 ……矢上からの返事がない。


「矢上!?」


 今、振り向くことはできない。『そこ』から目を離す事はできない。

 矢上もまた言葉を失っているのだろうか。それならばまだ……。だがしかし、もし――。

 そして、もう一度国枝が呼びかけようとした時であった、

 よく、聞き慣れた声がした。


 ――ここに配属されてから何度も聞いた声だ。

 ――隊員の誰かが軽い冗談を言ったり、俺がとっておきのネタ話をしたり、そういうときに聞いた声だ。


 その耳を疑うような場違いさに、国枝は振り向かざるをえなかった。


 矢上は、腹を抱えて、こらえるような引き笑い声をあげていた……。

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