覚醒―3

「やめて! あさぎに手を出さないで!」

 凪の懇願する声が聞こえてきた。一瞬出来た時間で、あさぎは起き上がり、髪飾りを拾い上げた。


「わしに二度も口答えなど、何を考えておる。混ざり子の分際で」

「……ッ」


 凪の顔が絶望で凍り付いた。混ざり子、それは双子を表す忌み子よりも珍しく、疎まれるといわれる、混血の存在。凪が、そうだと、当主は言った。もう長い間現れていないと、花音たちは言っていたはず。あさぎは凪と当主を交互に見る。


「隠していたか、まあ当然じゃろうな。お前は蘭の苗字を語るために何でもしてきた、汚らわしいものじゃ。だいたい、間者をしておいて、そのものを庇うなど」


 当主は、ひれ伏したままの凪の左手の手袋を取り上げると、投げ捨てた。凪の左手の甲には、もう一つの花紋があった。蘭ではなく、薄の紋だった。凪は両手に花紋がある、それが混ざり子である証拠だった。だからこそ、ずっと手袋をしていたのだ、彼女は。


「うっ」

 凪の薄の花紋を、当主は杖で押さえつけた。凪はうめき声を上げるが、それに耐えている。


「やめて、どうしてこんなひどいことが出来るの」

「自分の子に何をしようが、構わんだろうが」

「子、ども……?」

 あさぎは、とんでもないことを言った当主を見た。自分の子どもをこんな目に合わせているのか。


「このものは、ご当主様と、丁族の妖ヤナの使用人との間の子。身分が違う上、そもそも婚姻関係のないものとの子である。秘匿としていたが、あの女が混ざり子など産むから、厄介なことになったのだ。早々に子を捨てて逃げた丁族の卑怯者の血が半分入っている、汚らわしい存在だ」


 付きの者が、忌々しくそう言った。

 父が本殿の一員で、人魚の家で落ちこぼれだから、家から遠ざけられていると、以前凪は言った。確かに間違ってはいないが、実際はもっと劣悪な環境にあったのだ。凪は何も、何も悪くないというのに。


「なんてこと言うの」

「黙れ、自分の名すら持たない記憶喪失の小娘が」


 あさぎは、もう一度当主と付きの者に真正面から、向かい合った。怖さよりも、凪や自分を受け入れてくれた黄昏座を軽んじた言葉たちが許せなかった。


「名前ならある。――私は、黄昏あさぎ。この芝居小屋の苗字と、凪にもらった名前を持つ、一人の妖!」

 顔を上げた凪の頬には、すっと一筋の涙が流れた。

 ほんの一瞬、当主たちが押し黙った。あさぎは、凪を立たせた。こんな人のために、ひれ伏す必要はない。


「もうよい」

 急に興味を失ったかのように、当主はそう言った。


「十五年に渡った本殿の乗っ取りも最終段階じゃ。こんなちっぽけな芝居小屋なぞに邪魔をされてはたまらん」

「その通りでございます。この計画が成功すれば、権威は全て、ご当主様のものでございます」

「うむ。本殿以外に、畏怖を増加させることの出来るものが存在しては、困るのじゃ。百鬼夜行の準備を進めねばならん、もうそこまで迫っておる。ここを始末せよ」


 当主が付きの者に命じた。彼らは一体何を言っているのか。計画がどうだとか言っているが、そのせいで黄昏座が巻き込まれているというのか。


「乗っ取り? 百鬼夜行? なにそれ」

「お前らが知る必要はない。ここで、消えゆくのだから」


 付きの者が、大きく息を吸った。歌うのだと気が付いた次の瞬間には、凪の胸の中に抱きしめられていた。顔を埋めているから、あさぎの耳には歌はほとんど聞こえてこない。だが。


「凪!」

「あさ、ぎ……、大丈、夫?」

 凪が気絶寸前となってしまった。半分は人魚の血であるからか、何とか意識を保っているようだった。


「間者としても役立たず。お前は用済みじゃ。ここと共に散るがいい」

 もう一人の付きの者が、手にしていた提灯を床に叩きつけた。塗装しているとはいえ、木製である床へ徐々に火が移っていく。


「間者であったものが、暴かれて逆恨みをして芝居小屋を燃やしたという筋書きじゃ。燃え跡から、二人の妖が見つかるじゃろう」


 当主たちは、さっさと表玄関から出ていく。

 あさぎは、凪の腕を肩に回して、脱力している凪の体を支える。火が回る前に出なければ。だが、玄関から再び歌が聞こえてきた。凪が完全に気を失ってしまい、肩に全体重がのしかかる。あさぎの意識も、徐々に薄れていく。

 カラン、と手に持っていた睡蓮の髪飾りが床に落ちた。


「こ、はく……」

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