花の咲かない窓辺にて

紫陽_凛

催涙雨

 六月の花嫁。

 彼女の寄越した葉書には向かい合って手を握り合っている新郎と新婦のシルエットが印刷されていて、よく見なくとも新婦が妊娠していることがわかる。私はそれを見るたびに、変な気持ちになる。彼女の、あの細っこくて柔い体の中に、あの完璧な下腹に命が宿っている。


「みち、見過ぎ」

 同居人はたばこくさい息を吐き出した。ため息なのか、たばこの煙を吐きかけてるのか区別がつかないくらい、肺活量がある。ベランダから漂ってくるそのにおいに、私はかるく咳き込んだ。

「別れた女のことなんか忘れちゃいなうっとおしい。もともと生きる世界が違ったんだろ」

 そう言われると、何も言えなくなってしまう。私とおなじ柑橘のにおいを愛していた彼女より、霧雨の降る昼間に窓を開け放ってまでたばこを吸うヨリのほうが私に近い「にんげん」であって、男性を愛するという選択肢があった彼女と、最初からそんな選択肢が存在しない私とじゃ、まるで合わなかったのかもしれない。でも考えてしまうことをやめられない。柑橘の匂い、日向で浴びるサンキャッチャーの虹のなかで、彼女が私にくれた幸せのことを。

「……ねえ、六月の花嫁って幸せなのかな」

「場合による」

 ヨリは吐き捨てた。「結婚するやつと同じくらい破局するカップルもいる、どっかの誰かさんみたいに」

――どっかの誰かさん。そうやって暈かす話の中に、きっと私もヨリもいる。

 ヨリにたばこの味を覚えさせてそのままどっか行っちゃった女性のことを知っている。私たちは傷を舐め合うみたいにして、引き合う磁石みたいにここへたどり着いたのだ。

 ヨリはベランダから身体をのばして、吸いさしのたばこを私に咥えさせる。思いっきり吸い込んでしまって、咳き込む、鼻から抜けていく苦い煙が、涙をさそう。

「禁煙だってば」

 ヨリは何も言わなかった。何も言わずに、咳き込むわたしのくちびるを塞ぐ。

 ぶっきらぼうなヨリなりの気遣いだと思うと、私は彼女が愛しくなる。胸に傷を一つ抱えたままの女をあつかう手つきが、いつも慣れていて。ヨリはきっと、胸の傷一つじゃ済まない。足にも、肩にも腕にも――きっと。満身創痍なのに、彼女は私のちっちゃな傷を愛しんでくれる。

 だから私は、ヨリと抱き合いたいと思う。

「窓を閉めなきゃ」

 私は手を伸ばすけど、ヨリがやんわりそれを押し戻す。

「聞かせてやれよ」

「やだよ」

 言いながら倒れ込んでいく私たちは、遠い雷鳴の音と激しい雨の予感の中で震える。

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