第321話 聖女の揺れる乳房とゴキブリ

 貴族子女達が自分で服を脱ぎ着し、タライに汲まれたお湯で湯網をしているというのに、俺はと言えば全てミリィにやってもらっている。


 これは…自立していないのは俺だけでは?


 年端も行かぬ女達が自分で頑張ってるのに、聖女とかいう立派な立場の女が全部人任せ。


 そりゃダメだ!


「じ、自分でやる」


 タライのお湯で、俺の体を拭いてくれていたミリィが不思議な顔をする。


「どうされました? 熱かったですか?」


「いや。丁度良いんだけどさ、皆に自立を促しておいて自分が専属メイド任せって言うのも、ちょっと申し訳ないかなって思ってさ」


「ああ、そう言えば皆さんそんな事を話されていましたね。ですが聖女様は言わば先生のお立場にありますから、生徒と一緒でなくてもよろしいのではありませんか? それに討伐遠征などをしていた時は、ご自身でやっていたではないですか」


「そりゃ、やってくれる人がいないから」


「いざという時に、ご自身で出来るのだから良いのです。と言いますか…私がいる時くらいは甘えていただきたい。私から聖女様のご面倒を見るという仕事を、奪い取らないでいただきたいのです」


 そしてミリィは俺の腕をグイっと引っ張る。しかもちょっと膨れたような表情をしながら、俺の胸を優しく拭き始めた。


「あっ」


 ああ…。いっか…じゃあ、だってこんなに。


 ちゃぷっ。


 静かな部屋に、お湯の音だけがする。だが実はここは個室ではなく、聖女邸の面々が揃っている相部屋だった。研修中は誰にも個室を用意していない。俺達も多分に漏れず、個室は用意されていないのだ。俺がミリィに体を拭かれているのも、聖女邸のみんなからしたら普通なのでなんの違和感もない。


 だが俺は想像してしまう。


 今、隣りの部屋でソフィアや貴族の娘達が同じことをしているのでは?


 のぞきてぇ! 今すぐに隣の部屋に行ってのぞきてぇ!


 そんな事を想像しながら、体を拭いてもらっているのだ。


「みんなは、ちゃんと出来ているかな?」


「それは、それぞれがやっている事でしょう」


「見に行ってあげなくていいかな?」


「夜ですから。寝ている方もいらっしゃると思います」


「そっか、そうだよね」


 だがその時だった。


「きゃぁぁぁぁぁ!」


 隣の部屋から叫び声が聞こえて来た。俺はなりふり構わず走り、アンナも剣を持って俺について来た。そして扉の前に行ってアンナが声を上げた。


「まかり通る!」


 ドアを開けて中に入ると、ソフィアと貴族子女らが壁にまとまって寄り添っていた。俺がソフィア達に聞く。


「どうした!」


「そこ! そこに!」


 反対側の暗い壁を指さしている。念のため、俺が結界をはると部屋の中が明るく照らされた。


「曲者か?」


 アンナも剣を抜いて壁ににじり寄る。


 だがソフィアが言った。


「あ、あの、あの! そこに!」


 俺とアンナがじっと壁を見る。すると…その壁には…ゴキブリが一匹。


「へっ?」

「あっ?」


 俺とアンナが固まる。だがソフィアと女達は真剣な顔をしていた。俺がスッと手を出して、パシン! と小さな雷を打つ。すると死んだゴキブリがポロリと落ちた。俺はそれの触角を掴んで窓を開け、ポイっと外に捨てる。


 すると…。


 ぱちぱちぱちぱち! とソフィアたちが拍手をしている。


「えっと、叫びの正体はゴキブリかな?」


「はい」


 うわっ! かわいい! ソフィアはゴキブリが怖いんだ! そうだよねー女の子だもんね!


 だが今度は、ソフィア達が目を押さえて顔を覆っていた。


「どうしたの!」


「あ、あの! 聖女様のその…あの…」


 するとパサッと俺に上着がかけられる。隣りの部屋からやって来たミリィだった。


「聖女様。上がお裸なのをお忘れでございますか?」


「あっ…」


 そう言えば俺は体を拭かれていたところだった。叫びに反応して、ノーブラで参上してしまったのである。


 するとソフィアが謝って来た。


「も、申し訳ございません! ご、ゴキブリごときで騒いでしまって!」


「いやいや。嫌だよねゴキブリ。とにかく見つけたら私に言って、いつでも駆除してあげるから」


「それでは…自立が…」


「自立とそれは関係ないよ。虫が苦手な人は普通にいるし、女の子なら当然だよ」


「でも聖女様は平気でお捨てになりました」


 まあ…キモいけど、死んだらもう大丈夫だし。


「よし。これで一つ課題が出来た! 王都に帰ったら、賢者様に虫殺しを作ってもらおう」


「虫殺し?」


「そう殺虫剤! これは一つの発見だよ!」


「わ、わかりました」


「それで…皆、体は洗えた?」


「はい。もう済ませました」


 …残念。どうせならその最中に乱入したかった。


「じゃ、じゃあ明日も早いし早く寝るように」


「はい。ありがとうございました」


 後ろ髪を魅かれながら、ソフィアの部屋を出る。


 なるほどなるほど! 研修は長い…つうことは、ラッキースケベチャンスがまだまだあるっつうことだ! むしろラッキースケベチャンスを自ら作り出していく事、これがこの研修で俺に課された使命なのかもしれない!


 部屋に戻って来た時、アンナが言う。


「聖女。とても悪い顔をしているような気がするんだが…」


「気のせいだよおー。アンナ、そんなわけないじゃない」


「すまん」


 帰ると皆が心配そうな顔をしてこちらを見ている。


「ゴキブリだってさ」


「なんだ…」

「まあ苦手な人は多いですから」

「そんなものはホウキでバシンなんですけどねえ」


「まあ何事も無くてよかったよ。とにかくお騒がせしたね、明日も早いしもう寝よう」


「「「「「はい」」」」」


 だがミリィが言う。


「ただおひとつ。聖女様も淑女でいらっしゃるのですから、裸で走り回る事の無きように」


「すいません…」


「ですが急な時は仕方ありません」


 そしてアンナも言う。


「ああいう時はわたしに任せておけ。確かにミリィの言うとおりだ」


「すいません…」


 うん…。やっぱり俺にも自立は必要かもしれない。そう思うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る