第263話 公爵令嬢の苦悩の日々を知る

 しばらくの間、ネル爺は額を床にこすりつけっぱなしで、頭をあげようとしなかった。だがこのままでは話にならないので、俺がネル爺に声をかける。


「恐れ入りますが、どうやら私達をお待ちいただいていたようではございませんか?」


「は!」


 えっと、どうしよう。頭を上げない。


「あの。あなたはどのような立場の方なのです?」


「は! わしは…私奴は、マルレーン公爵家に仕えていた者でございます」


 なるほど。そりゃいろいろと事情を知ってそうだな。


「それで、もう一度お伺いしますが、私達を待っていたという事でお間違いないですか?」


「皆様というより、聖女様をお待ちしておりました」


「詳しく聞かせていただいても?」


「は! 少し前になるのですが、マルレーン公爵様がこの地に現れたのです」


 それは知ってる。しかもネル爺は頭を上げないまま話し続けている。


「それで?」


「はい。私はマルレーン家が有事の時に避難する隠れ家を管理しておりました」


「その屋敷には行ってきました。既にマルレーン公爵はいらっしゃらないようでしたが?」


「はい。この地におられる間は、私奴が身の回りの事などいろいろと手配させていただいておりました。屋敷に訪れた折には、奥方やお嬢様ともお話する機会があったのでございます」


「なるほど。何か聞きました?」


「はい。聖女様にはお話しても良いと言われておりますが…」


 そう言ってネル爺はようやく頭を起こし周りを見渡す。


「彼女らは仲間ですが?」


「で、では。聖女様がお聞きになってから、皆にお話するかを判断してください」


「わかりました」


 俺が周りに目配せをすると、アンナが俺に聞いて来る。


「わたしも? まあ彼は、嘘を言っていないようだが」


「何かあればすぐに助けを呼ぶから」


「わかった」


 そして俺以外の仲間達が外に出ていく。そしてネル爺は下を向いたまま話し始めようとした。


「あの。出来れば顔を見せてください、表情が見えねば不安です」


「し、失礼いたしました! ではご尊顔を拝見させていただきます!」


 ネル爺が顔を上げて、真っすぐに真剣な目を向けて来た。


 おう…


 ちょっとその目力に押される。


「それで、何を聞いたのです?」


「はい。実はお嬢様からこっそり聞いた事でございます」


「ソフィアから?」


「左様でございます。ソフィアお嬢様が、ご両親や従者の居ないところで私奴に語り掛けたのです」


「どうぞ、お話しください」


「はい。ソフィア様がおっしゃるには、つい最近までお父上が邪神に操られていたというのです」


 なんと…。ソフィアは気づいていたのか…。


「なるほど」


「聖女様は、なにかご存知でしたか?」


「最近、もっぱら邪神と戦う事が多くて、良く存じ上げております」


「なんと…もしかしたら王都で何か騒ぎが?」


「まあ、そうです」


「そう言う事でしたか…」


 ネル爺は痛ましそうな顔をした。でもソフィアは何の情報も入れずに、それに気が付いていたという事になる。可哀想に、父親がそんな状態じゃ生きた心地がしなかったろうに。


「他にはなにを?」


「はい。ソフィア様は、いち早くその変化に気がつかれたそうなのでございます。ですが、周りは全く気が付いておらず、そんな事を言いふらしたらお父上の名誉が傷つくと考えておったようです。ですから貴族のお友達にも誰にも言えず、聖女様にもお会いできずに王都を出て来てしまったと嘆いておりました」


 かわいそすぐる! 不憫だ! ソフィアはその小さな胸で、そんなに大きな事を悩んでいたというのか! 俺達よりもっと早くにその事に気が付いて、悩んでいたというのかぁぁぁ!


「やはり身近な人の変化には、敏感だったのでしょうね?」


「そのようです。優しかったお父上が急変して、何かおかしな集団と接触するようになり、それをたった一人で勘繰られていたそうです。お父上の動くところにこっそりくっついていったり、訪れる人の様子を伺ったりしておったそうで」


「いつからでしょう?」


「何やら、貴族の娘様がたのお勉強会があり、それから少ししてそれに気が付いたのだと」


 マジで! そんなに前から? うわぁぁぁ! 孤児学校の理事の話とか全く返事が無いと思ったら、そんな大変な事になっていたのか! 一人でそれを抱え込んでいたなんて…


「…そして…?」


「お父上は何かから逃れるように、王都をお出になったそうです」


 それは知ってる。ルクスエリムも一枚噛んでると思うし。


「それで、こちらに逃げて来たと?」


「はい。ですが、その王都を出たことが功を奏したようなのです!」


「どういうことです?」


「邪神の目から逃れ、接触が無くなったらしいのです。最初はお父上の邪神の影響は深く、しばらくは話にもならなかったとか。ですが徐々に心がほどけて、少しずつ女神フォルトゥーナ様への信仰を蘇らせることに成功したとの事です」


 けなげ! なんて偉い子なんだろう。やっぱり俺の目に狂いはない。マロエやアグマリナは、なすがままだったけど、ソフィアは自分で気が付いて何とかしようとしたんだ! はあ…俺はそれを助ける事も出来ずにいたんだな…


「……」


「なんと! 聖女様は泣いておられるのですか?」


 これが泣かずにいられまひょか。聞くも涙、語るも涙の物語ではないですか! 真面目なソフィアは、周りに気づかれないように父親の異変を取り除こうと必死だったんだ。そんな偉い子、いる? いねえよな!


「涙ぐましいではないですか」


「はい。聞けば聞くほど気の毒になり、そしてソフィアお嬢様の聡明さに感銘を受けておりました」


 俺も。


「ですが、この土地からも出ていかれたのですね?」


「はい。なんでも、また邪神の気配を察したとかおっしゃいましてね。ご両親を説得して更に逃げる事を選ばれたのです。出来る事なら私奴もついて行ってあげたかった! ですが、私奴には聖女様にこの事をお伝えするという使命を頂きました」


「確かにお伺いしました。ですが、この地は我が国の東の端です。一体どこに行ったというのです?」


「隣国のトリアングルム連合国にございます」


 国外逃亡か…。また守りにくい方向に逃げてくれちゃったようだな。でもソフィアの勘はバッチリあたってた。あの屋敷にはネメシスの手先である、顔の白い血色の悪い少年が訪れた。あそこに俺達がおらずに、マルレーン家だけがいたとしたら、今ごろ一家皆殺しにあっていたかもしれない。


「そうですか」


「せ、聖女様! どうかマルレーン公爵様をお助け下さいませ! 老いぼれたわし…私奴からの命を懸けたお願いですじゃ!」


「敬虔なフォルトゥーナの信徒よ。その願い、しかと聞き届けました。この建物を見れば、その信仰はハッキリと分かります」


「これは…、ソフィア様からのお薦めにございます。元より信仰は深めておりましたが、ここにやってきたソフィア様が強くお勧めくださったのです」


「偉いなあ…」


「は?」


 つい心の声が漏れちゃった。


「いえ。ではマルレーン家の行先は分かりますか?」


「隣国に行くとまでしか、ですが…」


「ですが?」


「もしかすると、隣国の王室を頼った可能性もございます」


 なるほど。そりゃ正しい選択っぽいが、邪神ネメシスが先回りもしやすいぞ。


「わかりました。では急ぎ、私らもそちらに向かいましょう」


「あ、あの!」


 ネル爺が意を決したように、膝を立てて頭を下げた。


「…なんです?」


「どうか、この老いぼれをご一緒させていただく訳には参りませんでしょうか! この命捨ててでもお守りする所存でござりまする!」


 えーーー! ジジイ連れてくのぉ? いらねえ…。


「そ、それは…仲間とお話させていただきたく」


「わかりもうした!」


 そして俺は仲間達を中に入れる。クラティナもいるので公爵家のくだりは話さずに、次の目的地だけを告げた。更に、このジジイがついて行きたいと言っている事も、ついでに告げる。


 だが意外な答えが出た。


 それはシーファーレンからだった。人見知りのシーファーレンの事だからノーだと思った。


「では、同行していただきましょう」


 えっ?


「その方が良いと?」


「ちょっとよろしいですか?」


 俺はシーファーレンに連れられて、屋敷の外に出てこそこそ話をされる。


「こんな話をすると、聖女様に嫌われるかもしれないのでございますが…」


「なに?」


「私は王都で影武者を使っておりました」


「シルビエンテね」


「はい。ネル爺とやら、恐らく何かの折に役に立ちます」


「…影武者…的な?」


「はい」


 俺が思うよりシーファーレンはしたたかだった。でも確かに、俺の仲間達だけではカツカツだったかもしれない。俺はネル爺を連れて行く事を了承し、二人で屋敷の中に戻るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る