大いなる醜聞をまき散らす
ほとぼりが冷めるのを待ったのか、次にルイさんが現れたのは1週間後だった。夕食会の後はしばらく警戒していた様子のジェイドだったけど、昨日辺りから警戒をゆるめていたようだった。
「この前は助かった。切り抜ける方法を色々考えてはいたけど、オリヴィの方が上手かった。いやあ、面白かったよ、見事だったね。笑いをこらえるのが大変だった」
ここまで手放しで褒めてもらえるのは珍しい。私はちょっと得意な気分になる。でもそれも一瞬だけのこと。
「義兄があなたのことを虫って言ったり、お父様のこと爺さんなんて言ったり、失礼な事ばかりして本当に申し訳ありませんでした」
これだけお世話になっている人に対して、やって良い振る舞いではない。
「あはは、あれね。気にしてないよ。父については爺さんってほど年寄でもないから本人が聞いたらがっかりするだろうけど、いいんじゃない。結局、お義兄さんはここに残ることになったみたいだね」
「あの後、品格に欠けるって、ひどく叱られて義兄が出て行く話はそのままうやむやになってしまいました。もう本当に一人で平気なので解放してあげたかったんですけど、あまり言うとルイさんの出入りの話まで戻ってしまいそうだったので、やめました」
ルイさんは真剣な顔になった。
「カルロが怖くなくなった、って言ったけど会ったの?」
「はい、散歩の途中でばったり出会ってしまいました。逃げ損なって捕まったんですけど、ちゃんと一人で立ち向かえました。何だか昔のカルロみたいで怖いカルロじゃなくなっていたので、もう怖くありません」
「昔の?」
「そうです、子供の頃に優しかった時のカルロみたいでした。私を放っておいても害が無い事が分かって安心したのかもしれませんね」
立ち向かえたことを褒めてくれるかと思ったけどルイさんは眉根を寄せて真剣な顔で考え込んでしまった。
今日も日差しが暖かく、窓が大きいこの小部屋は火を入れなくても十分に温かい。窓の外では木に小さな花が咲き始めているのが見える。
「ごめん、ちょっと考え事をしてしまった」
ルイさんはいつもの笑顔に戻ると、鞄から1通の手紙を取り出した。
「来るのが遅くなったのは、これを待ってたからだったんだ。読んでみて」
渡された封筒は相変わらず宛名も差出人もない。開けるとそこには予想通り、姉の文字が並んでいた。
「この前の返事ですね!」
あの日、姉に返事を書いた。心配させたくないのでカルロと結婚したこと、落ち着いて暮らしていること、ルイさんに友達になって頂いたこと、女の子の学校を作りたいという夢が出来たことを簡単に書いた。ちなみに悪妻になりたい計画については書いていない。
それについて、姉がまた返事をくれた。
『可愛いオリヴィ。とてもあなたに会いたい。1日では足りないわ。しばらく一緒に過ごせるように、旦那さまにお願いしてみてくれないかしら。詳しいことはカルセドニーさんにお伝えするので聞いてみてね。王都で会えるのを楽しみにしています』
これだけだった。姉が王都に来る。ルイさんを見ると少し緊張した硬い表情をしている。
「お姉さんが子供たちを連れて王都に来るそうだ。子供たちに一度、王都を見せたかったそうだよ。それで君に会いたいって。手紙もそういう内容じゃない?」
「はい、詳しいことはルイさんに尋ねるように書いてあります。数日滞在してほしいって」
「君はどうしたい?」
数日の滞在。もちろん姉と過ごしたい。でもジェイドに言い出すのには勇気がいる。
姉が嫁いだ時の連絡を取らないという条件を知っているだろうか。不信感を持つルイさんが間を取り持っていることをどう思うだろうか。でも。
「会いたいです。ジェイドに言ってみます。私、自由にして良いはずですからジェイドが駄目って言っても会いたい!」
ルイさんは安心したように息をついて、柔らかい表情に戻った。
「分かった。姉さんは来週着くんだ。手紙を書いてすぐに君に会えると信じて出立したんだよ。それまでに義兄さんに伝えられる?」
「はい、伝えます」
ルイさんは、ジェイドをあまり刺激したくないから、とすぐに帰っていった。
◇
ジェイドは私が渡した手紙に目を通すと、意外にも反対しなかった。
「行きたいんだろう?」
私がうなずくと、いつもの皮肉まじりの微笑みを浮かべた。
「どうせ反対したって、あいつと結託して、どうにかして行ってしまうんだ。嫌われるだけだから反対しない」
結託って。でも実際にそうだから何も言わない。
「帰って来るよな?」
その声があまりに寂しそうで姉に会うのをやめた方が良いのか、少し決意がゆらぐ。
「私がここにいるしかないのは、よく知ってるでしょう」
「⋯⋯そうだな、ここは君にとっては牢獄だったな。それでも帰ってきてくれ。待ってるから」
ジェイドとの何の不自由もない暮らしは快適だと思う。でもルイさんと外に出た時に感じるのは、自由になった喜び、開放感。確かにここは牢獄なのかもしれない。
◇
「今日は少し雲が多いですね」
ルイさんと並んで歩き、空を仰ぐ。お姉さまが滞在する宿はそれほど遠くない。普段家に閉じこもっている私が歩きたがるので、街の遠くを見物しに行くときも、お茶会に連れて行ってもらう時も、いつもルイさんと並んで歩く。
歩くことも楽しいけれど、こうやって外の風を感じながらルイさんと他愛もない話をする時間がとても好きだ。
お姉さまが何も持ってこなくて良い、というので本当に何も持っていない。
「お姉さんは大きくなった君に自分の好きな服を色々と着せたいようだよ。服の寸法や大体の好みだけ聞かれた。どんなものを準備したのか僕も楽しみだ」
聞くのを忘れていたことを思い出した。馬車が横を通り過ぎる。さりげなくルイさんは自分が馬車の側に立ち、私が危なくないように気を配ってくれる。
「ルイさん、私の洋服のお金を請求していないのですか?」
請求書に目を通しているジェイドが服のお金を払っていないと言っていた。それなりの枚数の服を購入しているはずなのに。
「ああ、あれは僕の趣味だから。僕の好きな服を君に着せて楽しんでるだけだから請求してない」
「私が着るものですし、私も選んでますよ」
ルイさんは困ったような顔で自分の頭をわしわしとした。
「いいんだ。あいつの金で買った服を着せたくない」
「それでは、悪妻にならないじゃないですか!」
「その悪妻って、まだ続けるの? どう考えても向いてないじゃないか」
「そんな事ありませんよ! ほら、悪妻の噂だって立っていたじゃないですか」
言い合いながら楽しく笑って歩く。もうそこの角を曲がった宿にお姉さんがいるよ、そう言われた時だった。
1台の馬車が横を通り過ぎたと思ったら中から大きな声がして急に止まった。御者の制止に、馬が抗議の鳴き声をあげている。
避けて通り過ぎた時、後ろで馬車の扉が開く音がした。
「オリヴィ!」
驚いて振り返ると、馬車から慌ただしく降りてくるのはカルロだった。隣にいたルイさんが、すっとカルロと私の間に立つ。
「こんなところで、何をしてるんだ。⋯⋯そいつは誰だ」
カルロは馬車を降り、数歩こちらに近づいた。ルイさんを警戒しているのか、それ以上は近づいてこない。
(怖い方のカルロだ)
結婚式の時のように恐ろしい顔をしている。でも私は、この前しっかり立ち向かった時の気持ちを心に呼び起こした。ルイさんの後ろから半歩だけ体を出して言ってみる。
「そこの宿に用事があるの。だからここにいるの」
「何だって?」
カルロの顔色が変わる。ジェイドの許可はもらったけどカルロの許可はもらっていない。でも好きにしていいはずだ。
カルロがルイさんを押しやって私に向き合おうとする。でもルイさんは譲らない。カルロはルイさんに血走った眼を向けた。
「どけ、どういうつもりだ? これは俺の妻だ。他人が関わる事では無い」
ルイさんは落ち着いて静かに言う
「あなたは彼女をあらゆる意味で自由にさせているんじゃないのか? 僕と一緒にいることに何の文句も言えないはずだけどな。人目がある往来で大騒ぎして、大いなる醜聞をまき散らしたいのなら、僕は構わないよ」
カルロがぐっとルイさんを睨みつける。ルイさんは動じずに、行こう、と私を促す。
「お前、ジェイドとうまく行ってるって、言っていたじゃないか」
カルロは叫ぶように私に向かって言葉を投げつけた。
「うん、仲良くしてるよ。今日もちゃんと言ってきたもの」
ルイさんが、笑う。
「違うよ、オリヴィ。彼はこう言ってるんだよ。君とジェイドが恋人だったはずじゃないか。それなのに何故僕といるんだって」
「恋人? 私とジェイドが? そんなことあるわけないじゃないですか!」
私の様子を見て、怒りに赤くなっていたカルロの顔色が一気に白くなった。
「どういうことだ」
完全に力が抜けてしまったのか馬車に寄りかかってしまった。ルイさんは、そんなカルロに痛々しいものを見るような視線を向けている。
「なるほどね、謎が解けた。⋯⋯君が自分で言い出したことだ。僕と彼女の時間を邪魔する権利は無いよ。たとえ書類上の夫でもね」
「お前、名前は?」
「ルイ・ジルウォーカー。僕の名前はよく知ってるだろう? ああ、そうだ。もし彼女が僕の子供を産んでも、君のお世話になる必要はないから安心してくれ」
「ジルウォーカー⋯⋯」
カルロは完全に座り込んでしまった。
「オリヴィ、行こう」
私は並んで歩きながら、真っ赤になって自分の仕出かしてしまった事を後悔していた。ルイさんが子供、と言ったところで『宿に用がある』と言った自分の発言がカルロを誤解させてしまった事に気が付いたのだ。
「ごめんなさい、さすがに誤解を解いた方が良いと思うんです」
ルイさんは戻ろうとする私の腕を取って、そのまま歩き続ける。からかうような笑みで私を覗き込む。
「誤解じゃなくて、真実にしてしまおうか」
「何てことを! そういう冗談はやめてください!」
真っ赤になって抗議する私を見て笑う。絶対に面白がっている。
「あなたが困るでしょう。ヒューズワード家は裕福だから大きな顧客なんじゃないですか?」
「ふん、君は分かってないね」
不遜な表情で力強く胸を張った。
「ヒューズワード家からの売り上げを失うことくらい痛くもかゆくも無い。うちはね、この国でも指折りの商家だよ。この国でうちと競えるのは君の姉さんの所と、あと数店あるかどうかだ」
私に数冊の本をこまごま売っている立場ではないじゃないか。名前のことも、詮索しないと約束したけれど気にはなる。カルロが私とジェイドの仲を誤解していたことも気になる。
もう色々な事が分からない。
「一つだけ聞いておきたい」
ルイさんは真剣な顔で私の瞳を覗き込んだ。
「前に、友人として正直でいようと約束したのは覚えてる?」
「はい」
「カルロのことがまだ好きか? 結婚の日からやり直して、彼があんな事を言った事を悔い改めたら、結婚を続けたいと思うか?」
少し考える。今の私の答えは否。
「いいえ。可能な限り、もう会いたくない」
「分かった。それだけ聞いておきたかった。さ、とりあえずお姉さんに会おうよ」
そして独り言のようにつぶやく。
「いつか出会うとは思ったけど、それが今日だったのはいい事なのか、運が悪いことなのか⋯⋯判断が難しいな」
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