その道のりは果てしなく遠く続く

 学校の計画は進んでいるけれど、その道のりは果てしなく遠くまで続いている。


 貴賤問わず女の子が通える学校を作る。

 学問だけでなく多様な分野の教育を受けることが出来る。

 どの程度通うか、毎日1時間でも、週に1日でも、好きに選ぶことが出来る。


 大きな内容は決まったけれど、具体的な内容や細かい所など決める事は多い。


 その後は設備を決めて場所を探す。その辺りで、大まかな費用が決まる。そして、教職員を探し、生徒を集める。ここまでの間に、国の許可をもらう。


 長い長い道の、まだ数歩しか進んでいない。


 ルイさんの助言を得て私がジェイドに習う勉強の内容も、これらの役に立つものに少しずつ変えていった。


「この国の法律を詳しく学ぶと役に立つよ。法律に興味があって学びたい、というのはそれほど不自然に思われる事でもないから」


 購入する本も少しずつ経営や経済に関するものも混ぜてくれている。この辺りの内容についてはジェイドに教えてもらうよりも、ルイさんに教えてもらう方が分かりやすいことが多い。


「最近は友人というよりも、私の人生の先生という気がします」


 真面目にルイ先生と呼ぼうかと考えていたら、とても嫌な顔をされた。


「先生という立ち位置は嫌だよ。恋人がいいけど君の義兄さんに出入り禁止にされてしまいそうだから、やっぱり友人が妥当かな」

「でも、どうしても友人と言うには一方的にお世話になりすぎている気がしてしまって。私の夢のように、ルイさんにも夢や目標がありますか?」


 うーん、とルイさんが考え込む。


「あるけど、とりあえず今は失敗を取り戻すことが目標かな」

「失敗ですか?」


 ルイさんはしかめっ面をする。


「そう、大失敗。人生最大の失敗をした。僕はそれを取り戻すのに今必死なんだ」

「ルイさんでも、失敗することがあるんですね」


 困った顔で私の頭を撫で、そのまま髪をひと房するりと手に取る。しばらくもてあそんでから手放すと小さなため息をついた。


「あるよ。本当に後悔しているんだ。絶対にその失敗は取り返すって決めてる」

「何か、私にお手伝いできることはありますか?」


 ルイさんの強い後悔と悔しさを感じる。私にも手伝える事があればいいのに。ルイさんに助けてもらっているほどの事は出来なくても、少しでも何か。


「今はないけれど、いつかきっとお願いしたい事が出てくるはずなんだ。⋯⋯その時に僕に協力してくれる?」

「はい、約束します」

「約束⋯⋯していいの?」


 そんなに難しい事なのだろうか。ルイさんの顔つきは、とても真剣だ。瞳に見た事がないような熱を感じる。それほど強い目標なのだろう。少し不安になるけれど全力を尽くしてみせる。


「お役に立てるとは約束出来ませんけど、全力を尽くす事はお約束します!」

「全力か、それは頼もしいね。約束したからね」


 ルイさんが私に手を差し出した。私はそれをしっかり握って握手する。


(約束成立。絶対に全力を尽くしますからね!)



 冬が終わりかけている。積もっていた雪は解け、所々に緑が芽吹き始めた頃、ルイさんは一通の手紙を取り出した。


 図書室の小部屋は窓が大きい分、冬はとても寒い。使用人が火を入れてから温まるまでに時間がかかる。ルイさんと私は日差しがあたるところで立ったままだ。


「ごめん、落ち着いてから出した方がいいんだろうけど、とにかく早く見せたくて。開けてごらん」


 他の封書の中に入っていたのだろう。この封書には宛先も差出人も、何も書いてない。


 私はかじかむ手で封を切り中の手紙を取り出す。10枚近くありそうな分厚さだ。封筒を机に置き中身を開く。


「これは!」


 心臓が止まりそうになった。見覚えがあるこの文字。



『大好きなオリヴィ、お元気ですか?』


(お姉さま! お姉さま!)


 私は手紙を抱えたまま床に座り込んでしまった。続きを読もうとしても、あふれる涙で文字がぼやけて読めない。


 ルイさんが、そっと私を立ち上がらせて椅子に腰かけさせてくれる。お茶を運んできた使用人が、手紙を抱きしめて涙を流す私を見て少し驚いた様子を見せた。ルイさんが彼女にそっと何かを伝える。


 お姉さま。この文字は遠くの商家に嫁いだお姉さまの文字だ。父の跡を継いだ義兄ですら、何度連絡をしても返事をもらうことが出来なかったと聞いている。足を運ぶには遠すぎて、私たちには姉の安否を知る術がなかった。


 やがて使用人が何かを持って来てルイさんに渡した。使用人に順番に服や適度な贈り物をする習慣は続いている。使用人たちは、すっかりルイさんが来るのを楽しみにしていて、私より主人らしいと感じる事すらある。


「はい、一度これを飲んで落ち着いて」


 私は手紙を机に置くとハンカチで涙をぬぐい、お茶を受け取った。


「美味しい⋯⋯ありがとうございます」


 はちみつだ。温かい甘さが興奮した心を落ち着かせてくれる。私はお茶を置いて、あらためて手紙を手に取った。


『大好きなオリヴィ、お元気ですか? 最後に別れてからもう10年経ちますね。泣き虫の甘えっ子さんは、どんな大人になりましたか?』


 また涙があふれてくる。


(お姉さまの泣き虫の甘えっ子は、全然成長出来ていないかもしれません)


 涙を拭いては読み、また涙を流し、を繰り返すので、読み終わるのにとても時間がかかった。


 姉はとても元気だった。旦那さまも家族もとても良くしてくれていて、今は5人の子供を産んで育てているそうだ。婚家の商売も順調で、結婚した時よりももっと事業が大きくなっていて、姉も手伝いをしているそうだ。


 手紙から姉の幸せがあふれてくるようだった。姉の文字を見れば分かる。これは私を心配させないように嘘を書いたものなんかじゃない。本当に姉は幸せに暮らしている。


 私は姉の幸せな生活が書かれているところを、何度も読み返す。ルイさんはその間、何も言わずに待ってくれていた。


「姉と連絡を取って頂いて、ありがとうございます」

「少し大変だったけど、これだけ喜んでもらえるなら、頑張った甲斐があったな」


 ルイさんによると、姉の婚家は、姉を嫁がせる条件として今後一切連絡を取らない事を約束したそうだ。だから私たちの手紙は姉に渡される事はなく、開封される事も無かった。


 王家の血筋を汲む娘をくれてやるのだから、代わりに莫大な援助をしろ。でも、卑しい身分に身を落とした娘とは二度と関わりたくない。父のそんな態度を許し姉を守ってきた義兄は、姉の血筋を買ったのではなかった。


 姉が招待されたお茶会に出入りしていた義兄が姉を好きになって、何度も苦心して交流を持ち、姉の心を射止めた結果の結婚だった。


 婚姻の話が出るなり、父は姉の商品価値を落とさないように、誰とも接することが出来ないよう隔離してしまった。妹の私ですら会えなかった。愛を信じていなかった父は確実に嫁がせるまでの間に悪い虫がつくことを恐れたのだ。


 事情を全く知ることが出来なかった私たちは、姉が幸せに嫁いで行った事を知らなかった。


 姉の嫁ぎ先は王都から馬車で20日ほどかかる遠方にある。早馬でも10日かかるので、手紙を1往復させるだけで20日かかってしまう。ルイさんは手紙ではなく実際に使者を送ることで事情を姉に知らせ、もう父がいないから私たちと連絡を取っても誰も非難しないと伝えてくれたのだ。


「もう一人のお姉さんの方も似たような事情だった。もっと遠いから、まだ手紙は受け取れていないけど、とても幸せに暮らしていると言う事までは分かっているよ。手紙が届くまで、もう少し待っていてね」


 こんなに幸せな気持ちになったのは久しぶりだ。私は何度もルイさんにお礼を言った。


「これで商家に嫁ぐと消息不明になる、という根拠もない心配は君の中から消えたかな。商家代表としての、強い抗議の気持ちを受け取って欲しいものだね」


 冗談めかして笑って、言ってくれる。商人のルイさんにとって私たち一家はどれほど傲慢で滑稽に見えるのだろう。とても恥ずかしい。

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