ぶいちゅ! ~侵略世界のVtuber~
レモンの食べすぎ
一月目
第1話
『皆さまごきげんよう。本日デビューいたしましたVtuberの星宮すずりと申します。わたくしの初配信をご覧いただきありがとうございます。
この配信は全ての第一世界の住民に娯楽を提供すべく、市民権の有無に関わらず等しく無料で提供されております。皆さまお楽しみくださいませ』
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赤い空を針山のように突いて、黒い超高層建築が立ち並んでいる。
緑の航空障害灯が、そこかしこで明滅を繰り返す。
無数に飛び交う、銀に輝くフローター。摩天楼群外周のスラムでは、それを見上げる気力すら失った人々。
荒廃した第一世界における、ほとんど唯一の都市ハールタニナ。
世界の支配者であるハケン企業の一つ、Pandarin社の180階会議室で、二人の若い女性が向かい合っていた。
一人は黒い波打ったミディアムヘアに、大きな青いリボンを結んだ10代半ばほどの少女。ダークブルーの瞳に白い肌。中級以下の市民が見れば迷わず道を譲る、青いゴシックなドレスを身にまとっていた。手にした携帯端末に、肩を怒らせながら見入っている。
もう一人はブラウンヘアーをボブカットにした女性。身長も見た目の年齢も、もう一人の少女と大差ない。眼の色は黄色。黒いビジネススーツに赤いネクタイをしめている。上級市民の少女を前にして涼しい顔をしていた。
もし目の前の少女が本気で機嫌を損ねれば、いかに彼女がPandarin社の上級スタッフとは言え、待っているのは資源リサイクル槽での分解だというのに。
「やゆ、さん」
「はい」
黒スーツの女性、平紗やゆ、は少女の呼びかけに平静に返事をした。
「この資料には、いくつかおかしな点がございますわ」
「お言葉ですがPandarin社の情報に間違いはございません。星宮お嬢様」
「その呼び方は、よしなさないと言ったはずですが」
「失礼しました、すずりさん。その初配信の結果レポートに何か問題が?」
「まず」
少女、星宮すずり、は携帯端末を繊細な指で操作した。
「この社会階級別視聴率ですけれども」
「はい」
「上級市民が空欄になっていますわね」
「申し訳ございません。あなたがた上級市民の行動につきましては」
平紗やゆは、あなたがた、を強調した。
「我々Pandarin社でも立ち入ることはできません。おそらくどのハケン企業でも不可能かと」
「いいでしょう。では中級市民の86.81%、下級市民の99.98%という数値は」
「ご不満ですか?」
「ええ」
「第二回配信では、より高いスコアを出せるように努力いたします」
「逆、ですわ。異常に高すぎると言っているのです」
空調が効いているのに、ひどく蒸し暑かった。
しかし平紗やゆは、にこやかな表情を崩さなかった。
「すずりさん。
ご存知のように我らが第一世界には、第873945世界いわゆる"地球"世界線との接触まで、娯楽という概念がほとんどありませんでした。それに類する文化、らしきものも多少は存在しましたが、地球に比すれば貧弱なもので……。すずりさんのVtuberデビューは、社会から高い関心を集めています」
「だからといってこの数字はおかしいですわ」
「正統な理由なく初配信を見なかった者は、裁判抜きで極刑にすると、企業評議会から中級以下の市民に通達がありました」
「なんてことをなさるの!?」
思わず座席から立ち上がる星宮すずり。あまり背は高くない。
「評議会に手を回したのは、我々Pandarin社ではなく、すずりさんのお父様です」
「パパ。余計なことを」
また席につく、すずり。
波うった髪が優雅に揺れる。やゆは思わず見惚れた。
すずりの父親はPandarin社より大手のハケン企業、FaeFemto社の役員だ。
その過保護さは、しばしば娘を悩ませている。
「それで肝心の、その、市民権外の方々につきましては」
「残念ながら最下層民はパワーネットを見るための端末を持ちません」
「街頭モニターがあるでしょう? あれの前は、いつも人がいるはず」
「どの街頭モニター前にも集団がいましたが、初配信がはじまると同時に多くが四散しました。パネル前に留まった者はわずかです。おそらく"娯楽"という単語が理解できず、配信の趣旨を勘違いし逃走したと思われます」
うな垂れ溜息をつく、すずり。
「無理もありません。"娯楽"という概念は、我々中級市民はおろか上級市民にさえ完全に浸透しているとは言えません」
「わかりましたわ。結構。そこは時間が解決するでしょう」
「はい」
「では、やゆさん。次に配信内容についての評価ですが」
「正統な理由なく高評価を押さなかった中級以下の市民は、裁判抜きで極刑にすると通達が」
「バイタルモニターで何かしらわかるでしょう?」
「はい。『Vtuberが地球の料理食べてみる!!』の反応ですが」
「カレーライスですわ」
「正確にはカレーライスを可能な限り模したもので、どこまで地球のカレーライスに似ているかは不明です」
「視聴者の反応は?」
「困惑98%、反発74%です」
「困惑と、反発?」
「我らの第一世界は、美食という概念にも乏しく、特に下級市民以下の住民にとっては馴染みがありません」
「反発は?」
「そりゃもちろん、上級市民様が上等なものを食っているのを見せつけている、と理解されたのですよ、すずりさん。視聴自体が強制されたものですし」
「はぁ」
配信で食したカレーライスは上等どころか、ひどいゲテモノだったのだが。
すずりは立ち上がり、会議室のブラインドをめくった。
世界に赤い光を落とす老いた巨大な太陽が、西の空に沈んでいくところだった。
「文化の輸入とは難しいのですわね」
「そうですね。しかも我々と地球では蟻と巨人です。巨人の矛を蟻が持っても、手に余るばかりです」
「次の配信内容は考えておきますわ。やゆさんは残り二人の選考を」
第一世界初のVtuber、発起人の星宮すずりは三人でのユニット活動を決めていた。
自分一人が偶像化するのは良くないと思ったからだ。得られた反応からは、杞憂だったようだが。
「パワーネットで募集はかけております」
「応募はありましたの?」
「それは次回ミーティングのお楽しみということで。さて、そろそろ時間です。わたしは仕事に戻らねばなりません」
「忙しそうですわね」
「なんてことないですよ。ただ誰を処刑台に送るか決めるだけの仕事です。すずりさん。飛行ポートまで送ります」
Pandarin社員の平紗やゆは、個人秘書と共に星宮すずりを本社ビル180階の飛行ポートまで見送った。
星宮すずりは白い個人用フローターに乗って、赤い空を横切り帰って行った。
やゆには一生手が届かないような大型機だった。
オフィスに戻りながら、平紗やゆは星宮すずりの初回配信を思い出していた。
ある種の面白みはあった。一抹の悲しさを含む滑稽さが。
上級市民や、生活にある程度の余裕がある中級市民・下級市民は、じきに娯楽を受け入れ、それを自分たちの手で生み出すことの価値に気づくかもしれない。初回配信はそのための、おぼつかないが重要な第一歩だった。
しかし星宮すずりが本当に娯楽を届けたいと思っている者たち、市民権を持たぬ最下層民には、この新しい"文化"はきっと届くことは無いのだ。
毎日の食事すら不足している者たちに、清潔な水を手に入れられず死んでいく者たちに、風雨をしのぐ家が無く困る者たちに、どうして娯楽を楽しむ余裕があろうか。
そして満足な教育を受けていない彼らが、どうして上級中の上級市民であるすずりが、地球からそのまま借りてきた娯楽を理解できるだろうか。
やゆとしては、この事業に成功して欲しかった。
個人的な感情もある。短い付き合いだが、すずりには好感を抱いていた。
世間知らずで、賢く、ひたむきで、上級市民にありがちな嫌味がほとんど無かった。
どんな形であれ自分より下の階層の人間に、手を差し伸べようという者は少ない。
やゆにもそんな博愛の精神はない。
だが、そのような生き方を見るのは嫌いではなかった。
会社としての事情もある。
第873945世界へのゲートを開いたPandarin社には、地球の技術や文化の優先交渉権があった。社の上層部は、すずりのはじめたVtuber活動を長期的には有望な事業と見ていた。
もちろんその勘定に、最下層民は含まれていない。
金切り声を上げる社内トラムに乗って、やゆは書類で散らかった自分のオフィスに戻った。
きしむ扉を閉め、電気装置で保温されていた黒い液体をカップに注いだ。
そしていくつかの他の世界へ、資源収奪のために赴く派遣部隊に志願する、山ほどの最下層民の簡易履歴書をめくった。
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第一世界。無数に分岐した宇宙の一つの姿。可能性の閉ざされた太陽系第三惑星。
水も、土も、食料も、金属も、あらゆる資源が枯渇し滅亡寸前になった人類は、徹底的な身分制社会を築き上げた。
上級市民からはじまり、市民権を持つ下級市民までは一応人間として扱われる。
最下層民には一切の権利が認められなかった。
科学は歪められ、停滞したが、奇跡的に起死回生の技術が生み出された。
世界線同期ゲートだ。
第一世界人はまず、自分たちによく似た姿の世界を探した。
しかしそんなものは無かった。ゲートがつながる先は虚無ばかり。
失望と共に探索が打ち切られようとした頃、ようやくもっとまともな世界が見つかり始めた。資源を略奪する以外に、第一世界が生き延びる道はなかった。
いくつかの世界では、ハケン企業の部隊は現地人との泥沼の戦争を続けている。
いくつかの世界では、ハケン企業は現地人を征服した。それでも第一世界の維持に必要な資源は、満足に手に入らなかった。
いくつかの世界では、ハケン企業が敗走した。ゲートを閉じるために莫大な犠牲が支払われた。
いくつかの世界では、ハケン企業は自由に略奪できた。現地人がいなかったのだ。しかしそのような世界は豊かではなかった。
いくつかの世界では、あまりに過酷で生物が存在できなかった。ハケン企業はそれでも略奪部隊を送り込んだ。
豊かな世界もいくつかあった。しかもそこには必ず強力な文明が栄えていた。地球はその中でも別格だ。
やゆはカップの中の黒い液体を見つめた。第219745世界からの略奪品だ。
種の状態で異世界線ゲートの厳重な検疫を通過し、第一世界で栽培された。
こちらではこれを地球にあやかってコーヒーと呼ぶ。けれど本物のコーヒーの味は、この世界の誰も知らない。
略奪任務は生還がほとんど見込めない。しかし誰かを送り込まねばならない。
志願する最下層民が絶えることは無かった。
彼らが何の未来も無い生活から脱出する方法は、他にほとんどないからだ。
紙の山から書類を適当に抜き出し、判を押した。
この束に入っているのは一次審査を通過した者だけだし、ある程度の質が確保されていれば誰でもいいのだ。
どうせ死ぬのだから。この判は片道切符の許可印だ。
最下層民はそれでも志願する。生きるために。あるいは大切な人を生かすために。
やゆはコーヒーを飲み干し、他の仕事にとりかかった。
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