非情な命令

 暫くして、迩千花は築と共に広間に坐していた。

 目の前には迩千花の両親の姿がある。二人とも、忌まわしいものを見る目つきを隠そうともしていない。周囲に侍る従者たちも同様である。

 恐らく、用事とやらが無ければ同じ空間に居る事すら汚らわしいと思っているのだろう。

 こうして父母の目の前に普通に座っているなんて、と迩千花は内心で驚いてすら居た。

 娘を見て、母親は気分が悪いと言って苛立ちのままに折檻し、父親は罵る。それが両親の前に顔を見せてしまった時の「何時も通り」だ。

 三年前、ある出来事により迩千花は異能を消失した。それだけではない、忌まわしいとされるようになる災いも起きた。


 迩千花の異能の消失と失墜は、分家である見瀬家の台頭を許した。

 見瀬の長女である真結は迩千花に次ぐ異能を有しており、迩千花が跡目としての資質を失ってからは彼女が祭祀の長を引き継ぐとされるようになったのだ。

 真結を旗頭に見瀬家は玖珂家を脅かすほどの権勢を誇るようになっていく。

 先を競って迩千花に取り入っていた者達は、当てが外れたと手のひらを返して迩千花を蔑み冷たくあたるようになる。

 両親は迩千花の存在を恥として人目に触れさせぬようにするため、女学校も辞めさせようとした。けれどそれは出来なかった。

 見瀬家がそれを許さなかったからだ。みすぼらしい姿で女学校に通わせ、真結の風下に立たせて人々に嘲笑わせる為である。

 迩千花は人々の前で真結に蔑まれ、時として下女のように使われても抗う事が出来ない。

 両親に知らせたとしても、お前のせいで見瀬に大きな顔をさせると罵声を浴びせられるか打たれるだけ。

 更には、長男である築を奪われた事も迩千花への扱いに影響した。

 本来、直系長男は表の当主となり祭祀の長である長女を支える。

 その築を近侍に取り立てるという名目で奪い去ったのは何れ自分達が本家になるという見瀬の意思表示だった。

 けれども、傾いた玖珂はそれに抗う力を持たない。

 侭ならぬ現実に対する人々の鬱屈は迩千花への牙となり、価値を失くした迩千花は使用人以下の存在として虐げられてきた。

 満ちた沈黙に思索に耽る迩千花だったが、ややあって父が重々しく口を開いた事で眼差しをそちらに据える


「迩千花、お前の相手が決まった」


 迩千花は思わず言葉を失い、まじまじと父を見つめてしまう。

 理解には少々の時間を要したものの、やがて迩千花はやや掠れた声で呟いた。


「……わたしの、夫が決まったという事ですか?」

「ええ、そうです。お前が産む子供の父となる男を定めました」


 迩千花が異能を失くして以来、両親は迩千花を疎んだ。

 されど、迩千花が玖珂直系の長女である事実は変わらない。異能の血を受け継ぐ事は動かせない。

 故に、両親は出来損ないの娘に見切りをつけて、孫に望みを繋ぐことにした。つまりは迩千花に夫を迎え、子を産ませる事に必死になった。

 しかし、迩千花の夫になろうというものは現れなかった。

 一族の血を引く男たちも、異能者の家系の男たちも、皆が迩千花を拒絶したのだ。

 災いを呼んだ事を忌むだけではない、今は本家を凌ぐ権勢を誇る見瀬家に睨まれる事を恐れたのだ。

 跡取りと目される美しい真結の夫となる事を望むものは数多あれど、迩千花の夫になろうという男は今の今まで一人とて居なかった。

 それが、現れたというのだろうか。それならば、何故自分だけではなくこの場に……。


「迩千花。お前の相手は築です」


 怪訝に思いながら答えを待っていた迩千花。けれど齎された言葉はあまりの衝撃だった。

 隣に座っていた築が絶句した気配を感じる。迩千花とて同じだ、あまりの言葉に内容を理解できない。理解を脳が拒む。

 両親は、今何と言ったのか。築……兄が自分の相手であると。自分の子の父となるのは、兄であると、そう言ったのか。

 少しずつ毒のようにその言葉は迩千花の内に染みていく。正気が蝕まれ血の気が引いていく、一筋、そしてまた一筋、汗が背を伝った。

 答えぬ娘に苛立ったように、父は尚も続ける。


「聞こえなかったのか? お前には、築の子を産んでもらうと言ったのだ」

「それは……どういう事……ですか……?」

「父上、母上、悪い冗談はお止めください」


 迩千花の裡に渦巻く疑念を肯定するように言われた言葉に、咄嗟に口にした声は酷く乾いていた。

 何故、そのような禁忌の結論に至ったのかと問いたくても、口中が乾き痛い。続く言葉を紡ぐ事などできはしない。

 我に返った兄が顔を顰めて反論を紡ぐけれど、両親の顔には揶揄う様子などない。いささかの迷いも躊躇いもない。


「冗談でこのような事を言うものですか」

「どういう事も何も。一族の男達は皆揃って見瀬の顔色を窺う腰抜けばかり。このままではお前の夫となる者など現れないだろう」


 大仰に溜息をつきながら母が吐き捨てるように言うと、父はそれにこちらも溜息交じりに続ける。

 つまり、二人は待てども暮らせども現れぬ夫候補を探す事に見切りをつけたのだ。

 しかし子を産ませる必要はある。だから、直系の血を持ち自身も優秀な異能者である築を、迩千花の相手にと。


 ――兄と番えと、言っているのだ。


「子を為す事が出来る時も限られている。これ以上分家に大きな顔をさせるわけにはいかない。だから、お前は築の子を産みなさい」

「世迷い事を……! 私と迩千花は実の兄妹です! そのような事許される筈が……」

「古き時代ではよくあった話だ。異能を失った出来損ないでも、血を強く重ねれば力ある女児を望めるだろう」


 本心から母が忌々しい命令を口にしているのだと気付いた兄は、激昂して拳で床を叩きながら叫ぶ。

 兄が激した様子を見ても、二人に何の動揺も生じない。当然の事を言っているだけ、といった様子をけして崩さない。

 平素声を荒げる事すらない築が怒鳴る声を耳にしながら、迩千花は茫然と呟く。


「そんな、そんな事は……」

「玖珂の血をより濃く受け継いだ女児を設ける事だけが今のお前の存在する意味。拒む権利などありません」


 それ以外に、お前に価値などない。迩千花を見据える温かさの欠片もない眼差しは、そう告げていた。

 その身には、血を繋ぐ以上の存在意義などないのだと。迩千花に命を拒む権利など存在しないのだと、母は言う。

 激する長男と顔色を失い言葉を紡げなくなった長女に再び大仰な溜息をつきながら、母は周囲に居る従者に命令する。

「お前たち、迩千花の服を脱がせなさい。そして抑えつけて」

 迩千花がその言葉に反応するより早く、従者たちが行動を起こす。

 迩千花が我に返るより早く迩千花の両腕を戒め、着物に手をかけようとする。

 築の怒声が聞こえるけれど、逃げなければと思うけれど、凍り付いたように身体が動かない。


「今ここで子を為しなさい。一人でも多くの力ある女児が必要なのです。さあ、早く」


 あまりに人道に反する命令を当たり前のように淡々と下す母に戦慄すら覚える。

 本気で、母は迩千花に兄の子を産めと言うのだ。それも、今ここで、衆目に晒されながら禁忌を犯せと。

 この人は本当に母なのだろうか、迩千花の親なのだろうか。

 何故、こんな。

 胸の裡を満たす破裂しそうな感情が何であるのかすらわからぬまま、迩千花は抗い始める。けれども戒めは揺らがない。

 しかし次の瞬間、旋風が巻き起こったと思えば、抑えつける力が消失した。


「逃げろ、迩千花!」


 築だった。兄がその異能を以て従者たちを吹き飛ばしたのだ。

 普段は人間に対して力を振るう事をなかなか是としない兄が、顔を怒りに染めながら従者たちを尚も打ち据え、吹き飛ばし続けている。

 その姿を見て別人のようだと思いながらも、再び逃げろと叫んだ築の声に撃たれたように、迩千花は乱れた着物を掻き合わせながら走り始める。

 足がもつれるけれど、それでも必死でその場から駆けだした。


「何をしているの! 迩千花を捕まえなさい!」


 背に鋭い母の叫びが突き刺さる。

 迩千花の後を追おうとする者達を、築が立ちはだかり防ぐ。

 広間から逃げ出したはいいものの、母の叫びを聞きつけて現れた人々によって外への道はたちまち閉ざされてしまう。

 何処へ逃げれば良いのか、何処へ行けばよいのか。

 異変を察した者達が更に現れ行く手を阻もうとする。


 その時、目の裏に浮かんだのは一面の紅。

 咲き誇る彼岸花と、その中に立つ緋色の髪の少女。

 迩千花が多くの時を過ごす彼岸花の奥庭と、そこにいう彼女にしか見えず語れない唯一の友。

 そして、そこにある忘れられた小さな祠……。


 奥庭に逃げ込んだとしても袋小路。けれども外への道も、進むべき道も、刻一刻と閉ざされていく。

 叫び声と共に、迩千花へと伸ばされる手が近づいて来る。

 それから必死で逃れるべく、息を切らせながら迩千花は彼岸花の奥庭へと夢中で駆け続けた。

 自分の何処にそこまでの力があったのかと思う程に、迩千花はひたすらに伸びる手を掻い潜って駆け続けた。

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