03 第二王子殿下

 エイミーがアマンダ・ショーン侯爵令嬢を学院内で見かけたのは、クレフティスと今後の方向性について修正と再確認をした話し合いから、一週間後のことだった。随分ひさしぶりに姿を見たけれど、いままでなにをしていたのだろう。

 しかしながら、あいかわらずの美貌である。クレフティスと婚約関係を解消したところで引く手あまただろうに、一度得た『公爵家嫡男の婚約者』に釣り合う新しい肩書を探すのは、やはりむずかしいのだろう。

 綺麗でまっすぐな金髪をなびかせ颯爽と歩いていた彼女は、ぼーっと見つめているエイミーの姿に気づくと、驚いたように目を見張る。あのときの浮気女だと気づいたのかもしれない。

 カツカツとヒール音を響かせながら、姿勢よく近づいてきたかと思うと、棘のある口調でまくしたててきた。

「貴女、あのときの子よね」

「クレフティスさまのことでしたら、そのとおりですショーン侯爵令嬢」

「ひとつ忠告をしておいて差しあげるわ。クレフティス・エトガル・フォルナーと一緒にいても、未来はないわよ」

 アマンダのいう『未来』とは、寿命の話ではなく、貴族として社交界で暮らしていくにあたっての立場のことだろう。

 フォルナー公爵家は二男一女で、クレフティスには姉と弟がいる。跡継ぎは、長男であるクレフティスが順当だと思われていたが、四歳下の弟の才気が注目を浴びつつあるという。十四歳となって社交界にも顔を出すようになると、瞬く間に話題をさらった。あの・・クレフティスの弟。兄に似ず、王都民らしい整った容貌に目を奪われる令嬢が続出したのだとか。

「あ、なるほど。つまり、同じ公爵家なんだから、弟のほうにコナかけておけばよかった的な後悔をなさっていらっしゃるのですね」

「はあ!? わたくしに対して失礼な発言は慎みなさい田舎娘。成人とはいえ彼はまだ十四歳ですよ」

「年下には興味がないと」

 エイミーは十六歳だ。十八歳の奇人クレフティスより、将来を嘱望される弟のほうに鞍替えしたほうが実入りがいいのでは? というアドバイスか。

「貴女のことは調べました。地方の、なんの特色もない過疎地を押しつけられているそうですね。公爵家の男性を捕まえたいお気持ち、よくわかりましたわ。ですから、貴女はクレフティスさまの弟君になさい。そして傷心のクレフティス様をわたくしが慰めてさしあげます」

 兄を捨て、見目麗しい弟のほうに乗り換える、尻軽な男爵令嬢。落ち込む男を「許してさしあげるわ」と受け入れる寛容な婚約者。そういう筋書きらしい。

 アマンダの作戦に乗るのならば、義理の姉妹になるということなのだが、できれば遠慮したいとエイミーは思った。筋金入りの貴族令嬢であるアマンダは、本当に徹頭徹尾、結婚をドライに考えている。相手への愛情はなく、あるのは自己愛のみ。

 教室で級友と話をするクレフティスのことが脳裏に浮かんだ。

 エイミーが来るまで、彼はずっとひとりだったらしい。

 つまり、婚約者であるアマンダは、一度たりとて彼のもとには訪れていないということ。形だけの婚約関係にしたってちょっと冷たすぎだよな――と、クレフティスの友人になった生徒たちは、こっそりエイミーに語っていた。彼らにとっては、名ばかりの婚約者より、たとえそれが横恋慕の略奪愛だったとしても、クレフティスが笑みを浮かべ、嬉しそうに話をしているエイミーのほうを応援したくなるのだそうだ。

 頑張れよーと言われても、愛想笑いを浮かべるしかない。エイミーとクレフティスの恋人契約は、ベルナール殿下がアマンダに気持ちを打ち明け、なにかしらの決着がつくまでだ。クレフティスの目算では「肩書を重んじるアマンダは、王子妃の地位に惹かれるはず」と言っていたけれど、アマンダ自身はまだクレフティスの婚約者の座を捨てる気はなさそうである。エイミーに彼の弟を推すぐらいなのだ。

 公爵夫人としては、アマンダぐらい貴族然とした女性のほうがふさわしいとは思いつつ、エイミー個人としては、あの心優しいクレフティスが日々穏やかに暮らせる空間を作ってくれる女性を妻として欲しいと願ってしまう。

 この気持ちはなんだろう。年上の男性に保護欲が生まれるとは、不思議な話だ。やはり彼がウサギに似ているからだろうか。エイミーが住む地方には野兎がたくさんいるが、中でも白いウサギは神聖視されていて、神さまの御使いと言われている。

 森で動物狩りはしてもいいけれど、白いウサギだけは別だ。見かけても決して射っていけない。ソロン地方の護り神なのだ。

 学院を卒業して領地へ戻ったとき、あの白ウサギをみるたび、自分はクレフティスのことを思い出すような気がした。



     ◇



 高位貴族は国内にお金をばらまくことも嗜みのひとつ。経済をまわすのは、貴族の務めだし、発展のためにちからを貸すのも仕事のうちである。

 フォルナー公爵家が支援する商売のひとつに、隠れ家的な喫茶店があった。これはクレフティスの姉が積極的に取り組んでいるもので、彼女は都の女性たちに極上のスイーツを提供することに意欲を燃やしている。美味しいもののためなら労力を厭わない。

 その結果、この喫茶店で提供されるスイーツは常に話題沸騰だ。広い店ではないため予約を取るのも難しい。エイミーも名前だけは知っている名店である。

 今日はそんな店の個室にクレフティスとともに訪れていた。

 婚約破棄のキッカケとなった第二王子殿下との顔合わせが、ようやく実現したのだ。エイミーが協力してくれていることを話したところ、是非会いたいから一緒に連れてこいと打診があったという。ひどく申し訳なさそうに帯同をお願いしてきたクレフティスに快諾の返事をし、エイミーは胸を躍らせながらここまでやってきた。

 だが、これは予想外。

 田舎育ちのエイミーは、国王にふたりの王子がいることは知っていても、年齢までは把握していなかった。


「大儀である。おまえがクレフの愛人だな」

 偉そうにふんぞり返ってそんなことを言ったのは、十歳ぐらいの子どもだった。

 なにこの偉そうなガキ。

 うっかりくちに出そうになった言葉を、エイミーは飲み込む。偉そうっていうか偉いのであった。王子殿下であらせられるのである。

 そんな殿下をクレフティスは諫めた。

「こらベルナール。エイミーは愛人ではないよ」

「うむ、そういう役割だったな」

「こちらがお願いしているんだ。そんな言い方はよくない」

「まったくおまえは固いな。兄上が留学しているからゆっくり羽を伸ばしておるというのに、おまえまで兄上のような小言をぶつぶつと。うるさくてかなわんぞ」

 ぶうと頬を膨らませ、卓上に置かれている果実水を飲み干す。お皿の上にオシャレに配置されているシュークリームを手づかみにすると、それも頬張り、顔をほころばせる。なんとまあ、ずいぶんとざっくばらんとした食べ方であった。

 混乱しているエイミーを察してクレフティスが説明をくれる。

 ベルナールは御年十三歳。来年に迫った王族成人の儀を控え、夜会へも短時間の参加が許されるようになったばかり。そんな少年は、先だっての夜会でアマンダを見初めたのだそうだ。

 アマンダは十七歳。大人になれば些細な年齢差だが、十代半ばにおける四歳差はかなり大きなものではなかろうか。アマンダはクレフティスの弟のことを、対象外と称していたぐらいだ。望みは薄そうである。

 ましてベルナールは童顔だった。アマンダが大人びた顔をしているものだから、余計にその年齢差が際立っている。

 でもまあ、おねショタには一定の需要がありますしねと、エイミーは考えを改める。有りか無しかでいえば、『有り』だろう。


「殿下はアマンダさまのどこに惹かれたのですか?」

「ふむ、あの気の強そうなところだ。クレフを踏み台にしか思っていなさそうなところが、じつにいいぞ。屈服させ甲斐があるというものだ。楽しみだな」

「え?」

「……ベルナール、それは初めて聞いたんだけど、どういう意味なのかな」

「言ってはおらぬからな。よいではないか、あれはぼくのおもちゃにするんだ、邪魔をするなよクレフ」

「ベルナール!」

 お子さまが、お子さまらしからぬことを言い、常に穏やかなクレフティスが声を荒らげた。

 エイミーは考える。

 これはつまり、ベルナール殿下は、殿下なりにクレフティスのことを案じて、彼をトロフィー彼氏にしているアマンダにぎゃふんと言わせてやろうと奮起した、ということなのだろうか。

 クレフティスは、ベルナールの兄であるランベールの乳兄弟ときいた。ベルナールにとっても、兄同然の存在なのだろう。

 あれ、意外といい兄弟愛なのでは?

 エイミーがひそかに感心したとき、ベルナールはクレフティスに反論する。

「クレフも知っているだろう。ぼくは、ああいうのが好きなんだ。鼻もちならない奴を調子に乗らせて、最高潮に達したときに落とす。じつに気持ちがいい。何度やってもたまらないぞ」

 前言撤回。このお子さまは性格が悪いだけだった。

「前科がおありになるので?」

「前科とは失敬だな偽愛人。ぼくは王子だから、罪はもみ消せる」

「罪は罪では?」

「あいにくとぼくはまだ子どもなんだ。王族成人は十四歳でな」

「なるほど。成人前、最後に特大級のことをやっておきたいわけですね」

 うわー、確信犯。

 エイミーが逆の意味で感心していると、ベルナールは満足そうに笑った。

「おいクレフ。おまえとちがってこの女は話がわかるな。気に入ったぞ」

「ベルナール!」

「お褒めいただきありがとうございます殿下。ですがどうぞわたしのことは捨て置いてくださいませ」

 気に入られておもちゃにされて、社会的に死ぬのは御免である。

 そのあとは作戦会議となった。茶会を開き、そこへアマンダを呼ぶことにする。名目は、クレフティスとの婚約について。舞台はここ、フォルナー公爵家所有の喫茶店。クレフティスの姉がオーナーなので、そのあたりは自由がきく。弟を虚仮にされた姉は怒っており、全面協力を申し出ていた。ちなみに店で出している生クリームは、エイミーが住むソロン領の牛乳を使っているらしく、クレフティスからは「姉が直接買い付けがしたいって言っていたよ」と伝言をもらった。これについては、実家へ手紙をしたためる予定である。

 互いの両親は呼ばず、あくまで個人的な話し合いということで、クレフティスの姉がアマンダを招き、貴族の婚約について改めて説明する。考え直すように説くのだ。そこへ第二王子が個人的に遊びにきて、意中のアマンダを見つけて熱烈に愛を告げて交際を申し込むという刺激的な展開だ。

 文字どおりの茶番劇だが、婚約を破棄された傷心の娘が王子に見初められる展開は美味しいので、悪くないとエイミーも思う。

 一足飛びに婚約の申し入れとしないのは、十三歳のベルナールが国王に内緒で、そんな大事なことをくちにするわけにはいかないから。過去に似たようなことをやらかしたこともあったらしく、口約束だったとしても余計なことは言うなと、きつく叱られたらしい。

 青い顔のベルナールが「ばあやのおしりペンペンは鞭のようだった」と言っていたが、鞭で打たれた経験がおありで? とはさすがに聞けなかったエイミーである。SとMは表裏一体。


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