02 期間限定、偽りの彼女
クレフティスの浮気相手として振る舞うべく、エイミーは努力を重ねた。領地の未来はエイミーの肩にかかっている。すべては牛と豚と羊、酪農と畜産業の発展のために!
クレフティスが在籍する教室へ赴き、堂々と傍に侍る。
なにあの女、クレフティスさまはアマンダ嬢の婚約者なのに、とひそひそされる予定だったが、見た目で忌避されがちだったクレフティスは、デフォルトで傍にひとがいなかったらしく、エイミーは予定とは違う意味で目立ってしまったらしい。
年下の新入生が、あの孤高の貴公子に笑顔で話しかけている事態。クールで表情を変えないと思われていたクレフティスが穏やかな笑みを浮かべ、小動物のような女子と話をしている珍事。
笑っている、だと?
むしろあの方って笑えたの?
意外と優しい顔してたんだな、クレフティス・エトガル・フォルナーって。
恐ろしい魔物だと思っていたら、じつは温厚な草食動物だったような驚きでもって受け入れられ、エイミーが日々通っているうちに、教室のようすは変化してきた。
扉から覗くといつも片隅でひっそり静かに佇んでいたクレフティスの周囲に、クラスメイトの姿が散見するようになってきたのだ。ひとり、ふたり。次第に数を増やし、一か月も過ぎたころには数名の男子と笑顔で会話をするまでになっていた。
今日も今日とて訪れた教室。なんだかお邪魔したくないなーと思うエイミーが、廊下からこっそり室内を覗いていると、気配に気づいたらしいひとりの男子生徒がクレフティスに声をかけた。
「おいクレフティス、愛しの彼女が来てるぞー」
「ひえ!? わたしとクレフティスさまは、そういう関係では」
「まあまあ、照れるなって」
「エイミー、外へ行こうか」
仲介してくれた先輩に異議申し立てをしていたところ、ほんのすこしだけ不機嫌そうな声色になったクレフティスがやってきて、退室を促した。
せっかくできた友人との語らい。最終学年となって、ようやく普通の学院生活を謳歌できるようになったので、教室での時間を大切にしたいのだろう。これは『あの浮気女ウザイ作戦』を考え直す必要がありそうだ。
「悪かったって、べつにちょっと話をするぐらい、いいじゃないか。ね、子ウサギちゃん」
「は、ウサギ?」
「エイミーちゃんだっけ? 名前を言うとクレフティスが怒るから、俺たちはキミのことを子ウサギちゃんって呼んでるんだ」
たしかに自分はウサギに似ていると思う。この髪色は、領地のそこかしこにいる野兎と同じ毛色だ。
「べつに怒ってなどいない」
「そういうことにしておいてやるって」
なにやら親しそうに会話を交わしたあと、友人さんは手を振ってエイミーたちを見送ってくれた。仲良きことは美しきかな。
「同じクラスにお友達ができてよかったですね」
「そうだな、とても嬉しいよ」
「ところでさきほどの方が、わたしを彼女と言っていたのですが、盛大な誤解が生じています」
「……迷惑だっただろうか」
途端、クレフティスの顔色が曇った。エイミーは手を振って否定する。
「そういう意味ではなくて、わたしの役どころは、婚約破棄の原因となった、高位貴族男性に媚びを売る男爵令嬢のはず」
「思ったのだけれど、それはアマンダ嬢にとってそうであってほしいという立ち位置だよね。僕が婚約者をないがしろにして、アマンダ嬢を不遇の立場に追いやったという証拠がいる」
「ええ、そうですね。それが大衆が望む形です」
これぞ、みんなが楽しい婚約破棄だ。
「どうして僕がアマンダ嬢が望む舞台を整えるんだい?」
「え?」
そういえば、そうかもしれない。つい観劇的な視点から考えていたが、クレフティスは、他の女性によろめいた不埒な男という烙印を背負うことになるのだから、彼にとってはメリットがない。浮気相手と結ばれたら、真実の愛を貫いたということで(全面的ではないにしろ)許容される可能性はあるけれど、これはいっときのお芝居。あっさり男爵令嬢を振ってしまえば、女性に醜聞を背負わせた公爵令息は女子の反感を買うことだろう。彼の今後、進退にかかわる。
「作戦の変更をしなければなりませんね……。あ、だから彼女なんですね。なるほど。偽装の恋人、期間限定の偽りの彼女、これも鉄板ネタです。心得ました!」
「……あ、うん」
「しかしながら、アマンダさまに動きがないのが気になりますね」
「単に僕に興味がないだけじゃないのかな。他の婚約者を見つけようとしてるのかもしれないし」
未練はカケラもないのか、クレフティスはのんびりと答える。
フォルナー公爵家としては、ショーン侯爵令嬢との婚約解消は痛手にはならない。あの破棄宣言のあと、両親に自分の意思を伝えたところ納得され、むしろよかったと言われたらしい。押しつけのような形になっていたことや、アマンダがクレフティスの容姿について周囲に愚痴めいたことを漏らしていたことなど、さまざまな噂は耳に入っており、息子に申し訳なく感じていたようだ。
新たな相手を選定するのはやめ、しばらくはゆっくりすればいい、結婚も無理強いはしないと、約束してくれたのだと言うクレフティスは、肩の荷が下りたように、安堵の表情を浮かべている。
よかったなあと、エイミーも嬉しくなった。ひょんなことから知り合ってしまった青年だが、王都の高位貴族らしからぬ純朴な人柄は、エイミーにとっては馴染み深く好ましい。
「僕はともかく、エイミーはいいのかい?」
「わたしのなにがいいんですか?」
「えっと、君だって貴族のご令嬢なのだから、婚姻を結ぶ相手が必要だろう? 王都へ来たのはそれを探すためでもあるんじゃないのかな」
「一般的にはそうかもしれませんね。ですがうちは間借り領地なので、跡継ぎがいなければ返却するだけです」
サンソン男爵が治めるソロン領は、古くは王家が所有していた土地。都からは遠すぎて旨味がないため、長年放置されていた地域だが、数世代前から別荘地として売りに出された。しかしその区画からも外れてしまったのが、サンソン男爵が住まうエリアだ。別荘が立ち並ぶ都市への食糧庫として機能しているので、それなりに重要なポジションにはいるはずだが、きらびやかな空気とは縁がない。
「任せてもらっている、といえば聞こえはいいんですが、ようするに雇われ管理人的な立場でして。住んでいる土地の名義人もころころ変わっていて、わたしがこちらに来るまえに、また変わりました。たしか、なんとかっていう子爵さま」
憶えていないのはちょっと失礼かもしれないが、それぐらい管理する上役貴族が変わるのだ。税金対策かな? とエイミーは考えている。
「だからまあ、わたしも結婚に関してはあきらめているというか、両親も無理はしなくていいよっていうかんじです」
「そうか、決まった相手はいないんだね」
「あ、そうですよね、もしもわたしに婚約者がいたとしたら、クレフティスさまが間男ってことになってしまいますもんね、心配ですよね。安心してください、男の影も形もありませんから!」
「そういう心配ではなかったんだけど、そうか、安心したよ」
クレフティスはなにやら嬉しそうだ。
そうか、結婚できそうにない仲間がいて、嬉しいのか。
これが物語ならば、〇歳までお互い独り身だったら結婚しようか的な展開がお約束だが、自分とクレフティスには当てはまらない。あれは、それなりに同格な相手だから成立する。身分も年齢も離れている自分たちには適用されない。
残念だな。
ふとそう考えてしまったことに気づいたエイミーは、自分を戒めた。勘違いはよろしくない。
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