第2話 掏摸(スリ)

<文中の「妻」とは10年前に離婚しております。>


「夏が来れば思い出す」

ある年の8月、鎌倉鶴岡八幡宮・ぼんぼり祭りでの出来事です。


晩の7時頃、(元)妻と私は連れ立って、歩いて15分ほどの鶴岡八幡宮へ行きました。

「ぼんぼり」とは、大きな提灯(ちょうちん)のようなものです。蠟燭(電球)の光にぼんやりと浮かぶ、数百もの大小様々な形のぼんぼりが広い境内に散在している様は、いかにも日本的な、静かで温かみのある、やさしい夏の夜の風情です。

様々な紙(質)や布地に描かれた個性的な絵や文字には、それを制作した人の人生観や境涯が表現されていて、養老孟司さんや「なだいなだ」さんといった有名人のぼんぼりを見つけては、ああだこうだ話しながら約1時間ほど境内を散歩しました。


鎌倉駅前のサイゼリアまで行き、帰りは駅からバスでということになりました。お祭り中ですのでかなり混んでいたのですが、幸運なことに数分で着席でき、小一時間ほど祭りの余韻を会話で楽しみました。


さて、会計をするために席を立とうという時に、妻が突然、強い口調で「無い !」と叫びます。

「何が ?」と尋ねる私に「財布よ !」と、妻。

(この時点では、周囲のお客さんたちは、ほぼ無関心を装っていました。)


「落としたのか ?」と聞く私に、彼女は一段と声を大きくしてこう叫びます。「スリよ !」。

その瞬間、周りに座るたくさんの女性たちは、対面に座る人と話をしながらも、みな手元にあるバッグやリュックに手をかけ・引き寄せます。


本来であれば「そんなバカな」なんて、軽くいなすところですが、周りの人たちの(警戒心を露にした)反応に影響されて、つい「どこで ?」と尋ねます。


「決まってるじゃない、八幡様よ。」「ぼんぼりに気を取られている間に、スラれたんだわ。養老さんのぼんぼりを見ていた時にやられたのかしら・・・。」なんて、(養老さんに悪いのですが)さっきまでの彼女の明るい表情は暗黒に沈んでいます。


店を出ると、私は言いました「警察に届けてもまず見つかることはないだろうけど、別の犯罪でつかまった者が余罪として(スリを)自白するなんてこともあるので、被害届だけでも出しておこう」と。

当時のサイゼリアからは、30メートル位の所に交番があったのです。


ところが、行ってみると交番の中には誰もいない。

机の上に電話が置いてあり「○番に電話してください。鎌倉警察署」という立て札が。

電話をかけ「家内がスリに遭ったんです。」と言うと、「ぼんぼり祭りで警察官が出払っているので、鎌倉警察署まで来てくれ。」なんて言う。


ここで私の怒りが爆発。

「私たちがスリに遭ったのは鶴岡八幡宮だが、その届け出が駅前の交番でできないのでは、交番の意味がないではないか。」

「祭りで人が多いこんな時こそ、あちこちに警官を配置しておくべきではないのか」と、若干大きな声で訴えましたが、電話の向こうでは

「とにかく、鎌倉警察署まで来て戴きたい。」の一点張り。


妻にその話をすると、今度は沈みきっていた妻が、やおら怒り出す。

「私は知ってるのよ ! (彼女は建長寺が創建された800年前に、蘭溪道隆という中国の坊主にお供としてついてきた中国人の末裔で、記録に残るだけでも元禄時代から鳶職をしてきた家ですから、あの辺りでは神社仏閣の関係者や出入りの職人等に顔が広い。)」


「鶴岡八幡宮では警護に来た警察官に、一人1万円御祝儀を出すのよ。頭数が多ければ多いだけ警察は儲かるから、鎌倉だけでなく逗子や葉山の警察署からも警察官がわんさと応援に来るのよ。」


「でも、境内にはほとんど警察官の姿は見えなかったぜ。」と私が言うと、「木陰や社務所に隠れてるのよ。」

「私が物心ついてから今まで(約35年間)、神社でケンカする人間なんかいなかったし、スリを取り押さえたなんて話も聞いたことがないわ。」

「フン、300名警護に参りました、なんて言って、しばらくすると100人残してみんな帰ってしまうんじゃないの」なんてまで言い、プリプリしている。


それを聞いて、今度は亭主の私が激昂。

「クッソー、1万円のために本来の業務を放り出し、用もない八幡宮で時間潰しをしているのか。けしからん !」。


その交番から(当時の)鎌倉警察署までは歩いて3分くらいなのですが、署の階段を上る時の二人は、スリの被害者としての「悲しみ」ではなく、警察官への「怒り」で頭がカッカしておりました。


階段を上りきり、大きなガラス張りの戸口の前に立つと、中は真っ暗でガラスの扉も動かない ???。

顔を近づけて中を窺いながら、少し強く扉を押すと「ガラガラ、ガッシャーン」という大きな音を立てて、扉の内側にバリケードのように二段重ねで積み上げられていた会議用の長い机が転げ落ち、その瞬間、パッと電気がついて明るくなる。


すると、「どーも、どーも、ご苦労さまです !」なんて言いながら、制服姿の課長さん?らしき御仁が、ペコペコしながら横から飛び出してくる。まるで、昔あったテレビ番組「どっきりカメラ」のようです。


ロビーの半分を占める事務所部分には、机が30くらい並んでいますが、座っているのは2人しかいない。つまり、課長さんを含め3人だけが、この時の鎌倉警察署の番をしているらしい。

確かに妻の言う通り、警官だろうが刑事だろうが事務員だろうが、とにかく頭数を増やすために出払っている、というのは本当らしい。


唖然とする私たちでしたが、課長さんが「あッ、奥さんですね、被害に遭われたのは。どうぞこちらで書類にご記入下さい。」と、妻を事務所の机に誘(いざな)う。


そして、ロビーにの壁に掲示されている各種案内や広告をブラブラ眺めている私に向かって後ろから「ご主人様も、こちらにご記入下さい。」なんて言う。


「??? 被害に遭ったのは妻なのに、なんで私までもが名前や(携帯の)電話番号を記入する必要があるんだね ?」と、強い口調で言うと「ごもっともです。誠に失礼しました。」なんて、再びペコペコしながら引き下がる。

ロビーは、ぴーんと張りつめた空気に包まれています。


その時、「・・・」という、聞き慣れた妻の携帯の着信音が、静まり返った警察署の中に響きわたる。

掲示板を見ながら、後ろ向きで何気なく聞いていると。


「もしもし、お母さん ?」

「ちょっと今、忙しいからまた後にしてくれない ?」

「うん、そう私の財布のことで・・・?」

「エッ、私の財布 ? ・・・。」

「それ、本当に私の財布なの ?」

思わず振り返ると、そこには机に前かがみになり電話をする妻の姿があったのですが、その周りの3人の警察職員の耳が、まるで「ダンボ」のように巨大になっているのを私は「見た」。


後で妻から聞いた話では、その時、妻の母親は「そうだよ、あんたの財布よ。さっき、祭りに行く前に(妻の実家の)台所で町内会の会費を私に渡した時、そのまま置き忘れて行ったんだよ。○○子(妻の妹)が、お姉ちゃん困ってるかもしれないから、知らせといたら、と言うんで、電話したんだよ。」ということでした。


妻が電話を切った途端、まるで深い海の底から海女が水面に出た時のような、フーッという大きなため息が3人の職員から出る。

そして、全員から「いやー、よかったですねー」なんて、空々しい歓声が挙がりました。


こうなると、妻も私も居場所がない。

早足で出口へ向かって歩き出す私に妻が合流しようとする瞬間、3人の刺すような視線に居たたまれなくなった私は、妻に怒鳴りました「土下座しろ !」と。

妻は後ろを振り返ると、まるでイスラム教徒がアラーの神にお祈りをする時のように、大仰に両手を上に伸ばし、本当に土下座をしようとします。

すると、その瞬間、さすが課長さん「まあ、まあ、よろしいじゃないですか」と、やさしく言いながら、妻に手をかけるような仕種をします。

そして、ちょっと語気を強めた言い方で、私の後ろから仰いました「本当に無事でよかったですねー」と。


署の階段を降りるまでは普通の足並みだったのですが、スクランブル信号が赤になったばかりの交差点を、妻は脱兎のように、バスターミナルと反対の方角へ駆け出します。

後を追う私が追いつき、「バスで帰るんじゃないのか ?」と叫ぶと、「警察から離れたバス停から乗るのよ !」と言うので、鎌倉駅から一つ目のバス停まで二人で早足で歩きました。そこは、慶応の経済を出たという、彼女の小中時代の同級生の家(酒屋さん)の前にあるバス停でした。


そして、しばらくして来たバスに乗り込む頃には「あんた、交番に警察官がいないのは、けしからんとか怒鳴り散らして、絶対に警察のブラックリストに乗るわよ」なんて言うので「バカ者、もとはと言えば、お前がスリだなんて、とんでもない事を言うから騒ぎになったんじゃないか。」と、ケンカになるくらいまで、妻の平常心は回復していました。


しかし、鎌倉警察署で行なわれた、あの「バリケード」とはいったい何だったのだろうか。もし、私たち以外の人が、あの時署を訪れたら「なんだ、きょう警察はお休みなのか ?」なんて、驚くか呆れるのではないだろうか。


もっとも、社会心理学的には十分説明がつく行為なのです。

つまり、「警察がターゲットにした者に対し、意図的・計画的に『犯罪を犯させる』ことで、ターゲットに自虐・劣等意識を持たせ、自分たち警察サイドが相手よりも精神的に優位に立とうとする」という手法です。

「容疑者を責めたてて、無理やり『虚偽の自白』をさせる」という日本警察特有の「犯罪捏造手法」の一環といえるでしょう。

警察に批判的な新聞・雑誌記者や、あくどい政治屋に反対する優秀でまじめな官僚を、痴漢冤罪・万引き冤罪によって精神的に『凹ませる』、なんていうのと軌を同じにする手法です。おそらく、江戸時代、「柳生宗のりの隠密警察」由来でしょう。


30年前に警察官の課長になるくらいの人間であれば、バカではない(新聞を見ると、課長試験の漏洩は最近日常化しているようなので、日本の警察官の課長というのはそれほど価値がないかもしれませんが)。

それなのに、あんな姑息な手法(バリケード)で問題解決をしようとする日本の警察官。

それは彼ら個人の問題ではなく、外来種偽日本人によって、日本の警察組織というものが精神的に歪められてしまっているからなのでしょう。個人的には優秀でも、警察組織が外来種日本人によって変質化させられているために、純粋日本人としての本来の能力を発揮できない。


こう私が考えるのは、「台湾の警察」では、個人としてのみならず組織として、あんな姑息な手段は使わないだろう、と思うからです。→ 「台湾の警察とヤクザ(の問題解決能力)」

彼ら台湾人(中国人)は韓国人とちがい、ウジウジしていない。スカッとした男らしさ、明るい人間性がある。


江戸時代から日本に存在する「外来種的なる暗さ・陰湿さ」は変えられない。

ただ、こういう「外来種の偽日本人性」が、個人において・組織として目につくようになってきたとは、現代の日本社会が80年前の「天皇支配暗黒時代の日本」に逆戻りしているということであり、この危険な事実はよく認識しておいた方がいいのではないでしょうか。


2023年7月15日

V.1.1

平栗雅人


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