58:朴念仁は気付いていない

 いったい何がどうなってるの?


 牧野アンナとのテス勉帰りに森小路センパイとバッタリ出くわして、なぜか先輩が回れ右して無言で立ち去っていく。

 反ると何故か牧野が「ゴメンね、何か悪いことしちゃって」と謝ってくるし、気にしなくていいよと言ったら「本当に?」と疑いの目で訊いてくる始末。

 どういうことだ?

 解せん!



  *



 瑞稀たちが喫茶店で夕食を食べながら気炎をあげている頃。

 もう一方の当事者である典弘はというと、滝井と自宅近くのお好み焼き屋に来ていた。

 昼間は近所のオバちゃんたちの社交場、夜遅くは同じくオッちゃんたちが管を巻く場と化す狭い店舗は、夕飯時が意外と空いている穴場時間帯。


「オバちゃん、豚玉とイカ玉ひとつづつ。焼きソバは持ち込みするから、モダン焼きにして」


 滝井の自由奔放なオーダーに店の女将が「アンタらフリーダム過ぎるよ」と呆れつつ、持ち込んだソバ玉を面倒くさそうに受け取る。


「まったく。ソバの持ち込みなんてふざけた裏技、いったい誰が言いだしたんだろうね?」


 愚痴る女将に滝井が「アンタだ、アンタ」とツッコミを入れる。


「店でモダン焼きをオーダーしたら焼きソバ代で2百円アップするけれど、僕たちが持ち込んだソバ玉を一緒に焼くのなら、材料費がかかっていないから価格は据え置くって言ったのはオバちゃんだよ」


 むかし交わした取り決めを暗譜するような典弘の注釈に、女将が「ムダに記憶力が良いよね」とこめかみを抑えながら唸る。住宅街にある個人経営の店だからこそできる裏技サービスだ。


「高校生に麵だけで2百円の価格アップは痛い」


「ハイハイ。一緒に載せて焼くだけだから、手間はさして変わんない。高校生からお金取ったりしないわよ」


 ブチブチ言いながらも鉄板に生地を流して、その上に受け取った焼きそば麵を載せていく。この道(推定)20年の料理人が魅せる熟練の技だ。

 油がはじけてジュージューと音を立て香ばしい匂いが立ち込める中、フライング全開で右手に箸を持つ滝井が「それで?」と主語抜きで訊いてくる。


「そうだな。せっかく豚玉とイカ玉をオーダーしたんだし、ここは仲良く半分づつシェアをして……」


「てい!」


 言い終わるより早く、典弘の手の甲に滝井が割り箸で叩いた。


「痛いだろうが!」


「安心しろ。峯打ちだ」


「割り箸に表も裏もあるか!」


「まあ、それは置いといて」


「置くな」


 典弘の文句も刺さることなく糠に釘。聞く耳を持たない滝井が「そんな事よりも」と強引に話を捻じ曲げる。


「牧野アンナとテス勉をしたんだろう? 典弘。オマエ、牧野に乗り換えるのか?」


 予想だにしなかった質問に典弘は「ぶっ!」と喉を詰まらせる。

 幸い何も食していなかったので固形物の飛散はなかったが、飛沫が飛ぶのはどうにもならず、慌てて掌で覆うことで辛うじてお好み焼きへの被害が避けられた。

 噴きだした典弘に滝井が「汚ねーなー」と文句を言うが、元はと言えばオマエがヘンなことを訊くからだ!


「乗り換えって。牧野とは一緒にテス勉しただけだし、森小路センパイとは部活で一緒になるだけだぞ」


 とんでもない言いがかりだと典弘は否定したが、滝井の反応はというと「本当にそうなのか?」と端から懐疑的。

 

「無意識でしているのかも知れないけれど。典弘って部活しているとき森小路センパイを視線で追っているし、部活以外のプライベートでもよく顔を合わせていないか?」


 滝井の問いに「そりゃ、駅が同じところに住んでいるからな」と典弘は答える。


「スーパーとかコンビニなんかで偶に会うしな。知らぬ間柄じゃないのだから会えば挨拶もするし、知っての通り杖で片手が塞がっているのだから荷物持ちをくらいはするぞ」


 良好なご近所付き合いをするためにも、それくらいはやって当然だろう。

 人付き合いするうえで常識だろうという感覚で典弘は答えたが、滝井の考えはそれとは真逆。


「いやいや、そんなことはないから」


 両手を左右に激しく振って真っ向否定。


「いくら顔見知りだからって会釈や挨拶云々ってのはともかく、ふつうは駅前のスーパーで会ったからって荷物持ちまでしたりしない」


「えっ、そうなのか?」


「そこまでしたらお節介の押し売りだろう」


 キョトンとする典弘を、呆れるような口調で滝井が断言する。

 いや、でも、しかしと典弘は逡巡する。

 赤の他人ならともかく、相手は顔見知りどころか部活の先輩。偶然にせよ出会ったのなら、荷物持ちくらい買って出て然るべき。

 それに、だ。


「そうは言っても。森小路センパイはケガで足が少し不自由なんだから」


「だから。そこに思い至る時点で、ふつうじゃないんだけどな!」


 繰り返すような典弘のセリフに、〝コイツ、天然か?〟とでも言うように滝井もまた同じセリフを繰り返す。


「……まあ、荷物持ち自体は森小路センパイを慮っての善行だろうし。オレが文句を言う筋合いじゃないけどな……」


 奥歯の挟まったような滝井の物言いに典弘は苛立ちを覚える。


「なら、何だよ?」


「まあ、いいや。それで、牧野とテス勉をしたきっかけは何なんだ?」


 奥歯に挟まったような口調はそのままに、滝井が牧野とテス勉に至った経緯を訊いてくる。


「アイツが泣きついてきたんだよ。今度の中間テストで200位以下だったら、せっかく抜擢されたバレー部のメンバーから降ろされる。って」


 その時の様子をかいつまんで説明すると、滝井が「ああ、なるほど」と得心の表情。


「スポーツ特待枠の生徒を除けば、レギュラー選手の成績維持は至上命題だからな。そりゃ必死にもなるか」


 自身もテニスでスポーツ特待枠に推薦されたことから、運動部の実情というか方針には帰宅部を目指していた典弘よりも遥かに詳しい。


「土居センパイから聞いた話だと、特待枠以外のレギュラー選手は成績落ちたら選手から降ろされるから、定期テスト前になると誰も彼もが必死の形相らしいぞ」


「牧野もそうだったな」


 面白おかしく語る滝井の言動から、典弘に頼み込んだ時の牧野の表情を思い出す。


「土下座でもするんじゃないかっていう勢いで頼み込んできた」


「ああ、だろうな」


 もっとも滝井にとって切っ掛けなどどうでもよいこと。彼が知りたいのはその先。


「で、どうだった?」


 焼きあがったモダン焼きを口に入れつつ、割り箸を振り回しながらその先のことを訊いてくる。


「地頭は悪くなかったからなあ。点数がいまいちだったのはケアレスミスが多いからで、それさえ無ければもっと上位に食い込める。問題文をちゃんと読むように徹底したから、中間テストはそこそこ期待できるんじゃない?」


 問われたことに「そうだな」と思案しながら典弘は答えたのだが、半分も話していないうちから何故か滝井が頭を抱える。


「オマエ、それ。マジで言ってる?」


「訊かれたから、ちゃんと答えたぞ」


「いや、質問に主語は入れてなかったけど……分かるだろう。ふつう!」


 訊いてきて解答にキレる滝井に「ヘンなヤツだな」と呆れると、秒で「オマエだ! オマエ!」の反撃。


「親友がここまで朴念仁だったとは思わなかった」


 ガックリと肩を落とす滝井を典弘は改めて「ヘンなヤツ」と呟くのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る