39:それから
イロイロあったランニングの一件から、土日を挟んで明けた月曜日の放課後。
僕は部活に参加するべく、演劇部の部活のある体育館への渡り廊下を歩いていた。
たった3日しか経っていないのに、休日を挟んだせいか部活が久々に思えてしまい、早くセンパイ成分を補充しないと枯渇しちまいそうだ。
それもこれも森小路センパイ会いたさというのが、我ながら下心満載で呆れるところ。
ではあるが、それはそれとして……
*
渡り廊下を愛用の杖をつきながら、ゆっくり歩く瑞稀を見かけた。
身長が低いから身体が背中で背負ったリュックに隠れてしまい、頭の髪の毛だけがピョコピョコと上下に揺れるいる。
小動物ぽい愛らしい動作に思わずほっこりするが、リュックに加えて左手に手提げカバン、更にはショルダーバッグまで抱えているのは少々荷物の持ち過ぎではないだろうか。
というか、無理しすぎ。
よくもまあこんな大荷物で部室に行こうなんて思ったものだ。
「森小路センパイ!」
声をかけて近づくと、いきなりで驚いたのか、瑞稀が一瞬ビクリとしながらふり返った。
ふりり向くと同時に揺れる黒髪、小さく開いた口元から漏れる吐息と相まってハッとさせる美しさ。
ただし中身は至ってポンコツ。
「あっ、あう。こ、こんにち」
返事をしようとするも、呂律が回らずに噛み噛み。
それでも精一杯応対しようという姿勢はけなげ。典弘も元気いっぱいに「こんにちわ」と挨拶を返す。
そして本題。
「それにしても、すごい荷物ですね。重くないですか?」
これだけの大荷物。
小柄な体に負担はないのかと尋ねたら、少し恥ずかし気に「ちょっと」という返事。
そりゃ重いだろう。
「一度に、持って、き過ぎた」
トラックだったら立派な過積載、一度になんてレベルではない。
「重いでしょう? 持ちますよ」
「それは……」
言葉足らずだが、雰囲気から察するに固辞しているよう。
「体力は売るほどありますから」
「でも……」
なおも遠慮を崩さない瑞稀に「オレも1個持ちますよ」と、いつの間にいたのか滝井も荷物持ちを買って出る。
って、このヤロウ。余計なお節介をするんじゃない!
越権行為にイラッとする典弘の矛先を制するように、滝井が「まあ、待てよ」と耳元で囁く。
「いくら善意からの申し出でも、いきなり「カバン持ちます」では森小路センパイが警戒するって。ふたりして「持ちます」と言えばハードルが下がるだろう?」
言われて見れば確かに。
瑞稀の困惑度は下がったように見受けられ「どうしようか?」と悩んでいるような様子。あと〝もう一押し〟があれば達成できそうな様子。
その一押しを「森小路さん」と、後から来たイケメンセンパイ土居が担ってくれた。
「荷物重いでしょう? 持つよ」
「ありがとう」
但し、付き合いの差=信用度。
「じゃあ、お願い」
「任せて」
土居が瑞稀の荷物をスマートに受け取ると、美味しいところもちゃっかり持っていかれたとさ。
*
体育館の準備室に併設……もとい間借りをした演劇部の扉を開けると、外の喧騒とは裏腹に静寂が支配する……早い話が誰もいなかった。
「ひょっとして、僕たちが1番乗り?」
左右を見回しながら呟く典弘に「そうみたいだね」と土居が追随。
「もう部活を始める時間なんだけど」
時計を見ながら「集まりが悪いね」と付け加える。
「弛んでるよなー」
呆れ声な滝井の「時間くらい守れないでどうするんだ」と、未だ来ない同輩を非難するように扱き下ろしたところに「それはムリな注文でしょう」と遅れてきた守口のセリフが被る。
「だって、みんな辞めちゃったんだもの」
「ええっ!」
ユニゾンで驚く典弘と滝井に「そこ。大声出さない」と注意しながら守口が長机に書類の束を広げる。
「コレ全部、退部届?」
目を丸める土居に守口が「そう」と言って肩を竦める。
「全員、辞めたの?」
瑞稀まで会話に加わり、収拾がつかないと思ったのだろう。
「あっちこっちから、ごちゃごちゃ言わない! ちゃんと説明するから聞いて」
両手を叩いて「黙って傾注しろ」と促す。
勢いに圧されて皆が聞く姿勢になってやっと納得したのか、ひとつ咳払いをして「さてと」の前置きから守口の説明が始まった。
「まず退部届の束だけど、ついさっき職員室の前を通ったら顧問の北浜先生から渡されたのよ「全部、受理したから」って」
「ということは、顧問の了承済み?」
茶々を入れた典弘をひと睨みしながら「そうよ」と答える。
「手順はちゃんと踏んでいるし自由参加の部活動だから、辞めたことは別に良いわよ。困ったのは退部した1年部員全員の〝連判状〟のようなものまで添えられていて、中身を読むと『理不尽にランニングを強要されたから』なんて書いてあることね」
呆れるようにというか、実際呆れながら守口が退部届と連判状を「これがそうよ」とみんなに見せて回る。
「う~ん。これは酷いね」
退部届には目もくれず、連判状もどきの文面を読んだ土居が顔をしかめると、続けて読んだ瑞稀が無言で押し黙る。
1年生のふたり。滝井も呆れるように「マジか?」と唸ると、典弘もまた「うわあ」とあまりの酷さに目を疑う。
さもありなん。
連判状と称する文面には演劇部に対する罵詈雑言が、これでもかというくらい書かれているのだ。
全員がひとしきり目を通しただろう、読みあがるタイミングを見計らうように守口が「で」と言って視線を集める。
「職員室で私は北浜先生に訊かれたのよ」
大量の退部者が出たのだ。そりゃ質問くらいするだろう。
「先生は何て?」
「演劇部はそんな体罰もどきの特訓をしているのか? って」
アレが体罰なら、運動部の練習は拷問だな。スキップレベルのランニングでヒーヒー言っているのだから、マジの持久走なら悶絶死をするやも知れない。
そんなことを思い浮かべていたら、机をバン! と激しく叩いて瑞稀が立ち上がる。
「浩子ちゃんが、そんなことする訳ない!」
耳を覆いたくなるほどの激しい絶叫。実際、頭がキーンと響くほどの大声に、当の守口が「どうどう。落ち着いて」と窘めるほど。
激昂した瑞稀のボルテージが下がるのを待って、守口が「先生が訊いたのは事実確認なんだから」と叱責目的でないことを強調。
「浩子ちゃんは生徒会長なんだから、暴力なんか振るわない」
「使うに値しない相手だから、落ち着いて」
もう一度宥めて「もちろん事の次第は、ちゃんと説明したわよ」クギを刺し、改めて話を再開。
経緯をなぞる守口の説明には過不足がなく、事の始まりから「という訳なのよ」と終わりまで、事実が客観的に説明されていた。
「それで、北浜先生は何と仰ってたの?」
これがいちばん気になるのだろう。守口の説明をひとしきり聞いた後、土居が小さく挙手をして顧問の返答内容を尋ねる。
「あー、それね。事件にさえならなきゃ良い。って」
「何ですか、ソレ?」
口あんぐりな滝井に守口が「北浜先生は名義貸しだけだから」と説明。
「部活動をするには顧問の先生が必要なんだけど、生憎となり手がいなくてね。北浜先生が「迷惑をかけない」ことを条件に引き受けてくれたんだ」
土居の付け加えで「ああ、なるほど」と納得。本当に名ばかりの顧問だから、部員の入退部もメクラ印をさっさと捺せるんだ。
「そうなると連中の誹謗流言が問題になりませんか?」
あることないこと好きかって書くような連中だ、わが身可愛さに何をするのか分かったものじゃない。
その点を指摘すると、守口がニヤリと笑い「大丈夫」と胸を叩く。
「そんなこともあろうかと思って、事の次第はちゃんと〝録音〟をしてあるのよ」
言うやポケットからスマホを取り出して、再生ボタンをポチッと押す。途端に先週の部活でのやり取りが、一語一句余すことなくスピーカーから流れ出る。
「バカよねー。辞めたいなら退部届を出すだけで十分だったのに」
「こんなものを書いたメリットって、何かあります?」
首を捻りながら問う滝井に守口が「ないわね」とバッサリ。
「むしろ百害あって一利なし」
土居も即答で口添え。
「ヘタに騒げば自分で自分の首を絞めることになるわね。ま、こっちとしては厄介払いの良い口実になるけど」
再度守口がニヤリと笑う。
隅で瑞稀が小さく「浩子ちゃんが辛辣」と呟いていた。
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