3:杖を突いた美少女

 オリエンテーションのクラブ活動紹介が、僕と森小路瑞稀センパイとの初めての出会い。

 今にして思えば……この出来事が僕の高校生活にとってターニングポイントになっていたんだな。

 当時の僕は、そのことに気付きすらしていなかったけど。

 だってさあ……



   *



 右手に杖を持つインパクトのある登場をしたことにより、新入生全員が注目する中、壇上に上がった彼女がマイクに向かって第一声を発した。

 のか?


「あのっ。演劇部です……」


 小柄な体躯に相応しい……

 いや、そんな可愛らしいレベルじゃない。それは瀕死の蚊が鳴くがごとき絶望的な小声だった。

 かろうじてマイクに声が乗っかってはいるが、耳をそばだてないと聞き洩らしてしまうような弱々しさ。

 当人は一生懸命語っているようだが、いかんせん声が小さすぎて何を喋っているのかさっぱり解らない。早い話が何も聞こえないのであった。


「掴みはパーフェクトだったのにな……」


 まるでダメ出しするかのように滝井が小さく呟く。口調に「惜しい」とあるが、内容は手厳しくて批判的。


「せっかく出だしで目立ったのに、後がグダグダだもんな。あれじゃ、ダメだ」

 

 まるで審査員のような顔つきで問題点を指摘する。


 まあ、言わんとすることは納得できる。

 見た目のインパクトも台無しなほどの小さな声。一生懸命喋っているようだが、如何せん声が小さすぎて何を言っているのかさっぱり不明。

 故に舐められてしまったのか、話を聞く者のはロクにおらず、それどころか私語も甚だしい。

 あまりの姦しさにたまりかねた生徒会長から「私語は止めて静かにしなさい」と注意が飛ぶが、一度こうなると自制が効くはずもない。ざわつく連中には糠に釘というか暖簾に腕押しで、まったくもって効果がない。


「ほら、な」


 当然の帰結と言わんばかりに滝井が肩をすぼめる。

 状況を汲んだ的確な分析なんだが、何故だろう? 

 ツーカーの友人なのに、この件に関して指摘されると妙に癇に障る。


「仮にも先輩に向かって、その言いかたは良くないだろう」


 ムッとしながら滝井の非礼を指摘すると、意外にも「そうだな、失礼が過ぎた」と打って変わって素直な物言い。。


「是非はともかく、一生懸命さは伝わってくる」


「だろう」


「ただ悲しいかな、絶望的なまでに声が小さい」


「……それは……」


 こればかりは弁明の余地もない。

 滝井の指摘通り本当に声が小さく、聞く気をもって耳を傾けても話の内容は殆ど不明。時おり聞こえる「だから……」や「あの……」しか耳に残らない。

 しかも周囲のざわめきや私語は一層大きくなり、ただでさえ小さい声が完全にかき消されているという悪環境。


「そして時間だけが刻々と過ぎていく」


 部活の数が多いだけに、各クラブの持ち時間は2分と決められている。ステージに出てきて既に半分以上の時間が経過しているのだが、分かったセリフは「あの」と「その」だけ。

 その分、新入生が勝手に喋る私語だけが目立ちに目立ち、もはや体育館内はドップラー効果も加わって、まともな講演やガイダンスなどもはや不可能な状態と相成った。

 さすがにこれはマズイと感じたのか、注意だけでは埒が明かないと感じたのか、目が三角になった守口が足音も荒く壇上へ駆け上がると……

 咆えた。


「全員黙りなさい!」


 カリスマとはこれを言うのか。

 生徒会長の一喝で新入生たちが一斉に息を飲み、次の瞬間体育館は静寂に包まれた。


「瑞稀が……あなたたちの先輩が一生懸命に演劇部を紹介しているのに、それを私語で邪魔をするってのは、どういう了見なの!」


 苛立ちに我を忘れたのか、新入生を相手に「あのさ」と半ばケンカ腰。

 つり目が印象的な美人顔だけに睨みつける威圧感もハンパなく、女生徒の何人かは「ヒッ」と引きつった者まで出るありさま。何せあのチャラい滝井までが「すげー」と唸ったほどであるから、剣幕のほども分かるというもの。

 しかも守口の怒りは、この程度の説教ではまだ収まらない。


「私語をゼロにしろとは言わないけど、クラブ紹介の声をかき消すレベルなんて何を考えているの? 高校生にもなって空気を読むスキルもないの?」


 と、言葉使いこそキレイだが、中身は罵詈雑言のオンパレード。

 あまりに苛烈な剣幕に、当事者である瑞希と呼ばれた少女までが「いくらなんでも、言い過ぎだよ」と止めに入ったくらいの凄まじさ。

 さすがに度が過ぎたと察したのか「私が所属している部でもあるんだから、お喋りなんかしないでキチンと傾聴しなさい」の捨て台詞を残すと、守口が怒りの矛を収めると壇上から降りた。

 それでも体育館の空気が凍り付いたことは事実。


「これはこれで、ハードル上がったな」


「そうなのか?」


「騒がしいの論外だけど、物音ひとつしないってのもやり難いぞ」


 滝井の指摘は的を得ていた。

 守口にお膳立てしてもらったにもかかわらず、場の空気にあてられて、またもや「えっと」「あの」に逆戻り。

 すると必然というべきか、さもありなんと称するべきか、焦る沈黙に比例するかのように館内のざわめきは再び大きくなっていくという悪循環。


「ほら。なるべくして、そうなる」


さもありなんと滝井が呟き、いたたまれなくなった典弘も視線を逸らそうとしたその時。


「お願いします!」


 館内の空気を震わすように、凛とした声が体育館全体に響き渡る。

 いったい誰が、こんな声を? そんな考えが一瞬頭に過るが、舞台に居るのは瑞稀と呼ばれた足の不自由な先輩ただひとり。

 壇上で悲壮な覚悟を決めて、彼女が声を出したのだ。


 そのひたむきな姿は、小柄で華奢な体躯からは信じられないような存在感が放たれていて、典弘の視線は壇上の美少女に釘付けとなったのであった。

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