第5話

「あぁ、尻が痛い……」

 馬車の揺れから解放された俺は、痛む尻を抑えながら小さく呟く。

 異世界の馬車というのは、俺が想像していたよりもずっと乗り心地が悪かった。

 舗装されていない道はガタガタで、木製の車輪は衝撃をほとんど吸収することなくダイレクトに伝わってくる。

 そうやって少し休んでいると、荷物を抱えた男が後ろから声をかけてくる。

「大丈夫か? 慣れないと結構辛いだろう」

「はは、確かに。しばらく馬車には乗りたくないね」

「そうだな。俺も最初のうちは二度と乗るかって思ってたよ。まぁ、慣れりゃあ気にならなくなるさ」

 慣れれば、かぁ……。

 はたして俺に、慣れるほど馬車に乗る機会が来るのだろうか?

 笑いながら俺を追い越していく男に苦笑いを浮かべながら、俺はノエラさんの元へと近づいていく。

 テキパキと指示を出していたノエラさんは、俺の接近に気が付くと笑顔を浮かべる。

「どうした? 尻はもう大丈夫かい?」

 見た目は美人なノエラさんの口から尻という単語が出たことにちょっと動揺しながら、俺は彼女に笑みを返す。

「なんとか大丈夫そうだよ。それで、良かったら荷物を運ぶのを手伝おうと思ってね」

「おお、それはありがたいね。それじゃ、よろしく頼むよ」

 嬉しそうに笑ったノエラさんの指示で荷物を担ぐと、想像より重かったそれに少しふらつきながら歩く。

「気をつけなよ。危なそうだったら無理しなくていいからね」

「大丈夫……。心配いらないよ」

 見栄を張るように答えて、気合を入れて身体を動かす。

 長い間の社畜生活に比べたら、こんな運動なんて大したことない。

 そう自分に言い聞かせながら、他の人たちと一緒に積み荷の間を何度も往復する。

 だいたい一時間くらいかけて、やっとすべての積み荷を運び終わることができた。

「みんな、お疲れ様。お兄さんも、手伝ってくれてありがとうね」

 他の人が平然としている中で、俺だけが肩で息をしている。

 そんな俺たちに労いの言葉をかけたノエラさんは、懐から包みを取り出して俺に差し出してくる。

「これは?」

「ちょっとした謝礼だよ。受け取っておくれ」

 言われて受け取った包みの中を確認してみると、そこには数枚の硬貨が入っていた。

 異世界常識のスキルが、その硬貨たちのおおよその価値を教えてくれる。

「いやいや、こんなに貰えないよ。馬車にも乗せてくれたし、手伝いはそのお礼のつもりでやったんだから」

「なに言ってるんだい。恩人をタダ働きさせるなんて、そんな恥晒しなことできる訳ないだろう。いいから、黙って受け取りな」

 拒否すれば強い口調で押し付けられ、結局俺はその包みを受け取ってしまう。

「それじゃ、ありがたく頂いておくよ」

「そうそう。若い子は素直が一番さ」

 いや、ノエラさんも俺と歳はそんなに変わらないよね。

 とはいえ、今日会ったばかりの女性に年齢を聞くのは失礼だろう。

 なので、少し無理やり話題を変えることにした。

「ところで、この街で仕事をしようと思うんだけど、どこへ行けばいいかな?」

「うん? そうだねぇ……。お兄さんは、例えばどんな仕事に就くつもりなんだい?」

 それは、考えてなかった……。

 いったい、どんな仕事が俺に向いているのだろうか。

「とりあえず、戦ったりとかはできそうにないからそれ以外で」

「それなら商人とかかな。なんだったら、このままウチで働くかい?」

 冗談っぽく勧誘されて、俺は微笑みながら首を振る。

「それは魅力的な提案だけど、できれば最初は一人で気楽にやりたいかな」

「そうかい、残念だね。気が変わったらいつでも来ておくれ」

 たぶん社交辞令だけど、それでもそう言われて悪い気はしない。

「しかし、一人でやっていくなら商人ギルドで登録しなくちゃね。許可なく商売をすると、衛兵に捕まっちまうからね」

「許可が要るのか。それじゃ、まずは商人ギルドに行くべきか」

「そうだね。それと、宿も探しておいた方がいいよ。いざ夜になって寝る場所がないなんて、笑い話にもならないからね」

 確かにそれは大事だ。

 野宿なんてしたことないし、治安がいいのか悪いのかさえ分からない街でそんなことをするのは危なすぎる。

「分かった。商人ギルドに行った後で、ちゃんと宿もさがしてみるよ」

「そうすると良いよ。私たちもしばらくはこの街に居るから、何か困ったことがあったらいつでもおいで。できる限り力になるよ」

「ありがとう。何かあったら頼りにしているよ」

 どうやら俺は、ノエラさんにずいぶん気に入られたらしい。

 もしかしてこれが、魅了(微)の効果なのだろうか。

 だとしたら、非常にありがたいスキルだ。

「それじゃ、そろそろ行くよ。色々とお世話になりました」

「いやいや、こっちこそ助かったよ。さっきの勧誘も、気が変わったらいつでもおいで」

 頭を下げて歩き出すと、ノエラさんを筆頭にそこに居たみんなが俺に向けて手を振ってくれる。

 その暖かい雰囲気に、このままここでお世話になるのもいいかもなんて、ついそう考えてしまう。

「いやいや、それはいくら何でも甘えすぎだろ。それに、できればもう人に使われる仕事はやりたくない」

 社畜は前の世界でもうこりごりだ。

 俺はこの世界で、自分の力だけで生きていきたいんだ。

 甘い考えを頭から振り払い、俺は迷いを捨てるように歩みを速めた。


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