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「待ってください、ルフェルニア嬢!」
来客が立ち去る足音が聞こえた直後、ベンジャミンが廊下に向かってあげた声に、ユリウスは即座に書類から目を上げた。
(やってしまった!やってしまった、やってしまった、やってしまった!!!)
ユリウスはすぐに廊下へ飛び出し、寮までの道を急ぐ。
「申し訳ございません、どのようにすべきか迷ってしまい…。」
ベンジャミンが申し訳なさそうに、廊下を走るユリウスに付いてきた。
ユリウスは、仕事を早く終わらせてルフェルニアに会いに行くつもりだった。
それなのに、こんな日に限って、次から次へと面倒な仕事は積み重なっていくし、終業時間を迎えた頃には、ノア公国の馬車が植物局の局員を迎えに来た、という噂まで耳に入ってきた。ユリウスは積みあがった書類をすべてなぎ払ってぐしゃぐしゃにしてしまいたい気持ちだった。
まずは一刻も早く仕事を終わらせるために、誰にも邪魔をされたくなかった。
だから、ベンジャミンが一瞬対応に迷った時間すら惜しくて、すぐに後ろから声をかけてしまったのだ。
「いや、いい。部屋に戻って、施錠しておいてくれないか。君はもう帰っていい。」
「承知しました。」
ユリウスはベンジャミンを帰すと、引き続き寮への道を急いだ。
(おかしい、そんなに時間を空けずにすぐに部屋を出たはずなのに、後ろ姿さえ見えない。)
ユリウスは違和感を覚えたが、ルフェルニアが寮以外に向かう場所は他に考えられなかった。
ユリウスは女子寮に着くと、寮母にすぐ声をかけた。
「夜分にすみませんが、ルフェルニア・シラー嬢を呼んでほしい。」
「かしこまりました。確認して参りますので少々お待ちください。」
寮母がルフェルニアの部屋を確認しにその場を離れると、ユリウスは落ち着かない様子で腕を組む。ユリウスは少しの待ち時間がとてつもなく長く感じていた。
ユリウスは手持無沙汰な時間ができたので、改めて考えを巡らせる。
先ほどは追いかけることに必死で気づけなかったが、自分の足音以外に他の足音が聞こえていただろうか、と疑問に思う。ユリウスの中で違和感が大きくなっていると、寮母がひとりで戻ってきた。
「申し訳ございません、ルフェルニア・シラー嬢はご不在でした。仲の良いミシャ・フォートナー嬢に確認したところ、夕飯の時間もいなかったようなので、恐らく今日は戻っていないのだと思います。」
「わかった、ありがとう。もしルフェが帰ってきたら教えてほしい。」
ユリウスは「やはり」という思いでため息を吐くと、急いで来た道を戻った。
(もしかしたら、どこかの部屋に籠っているのかも。)
ユリウスは決してルフェルニアに向かって「帰れ」と言い放ったつもりはなかったが、今朝のことを引きずっていたので、随分と冷たい声になってしまった自覚があった。
アポイントメントもなしに、自分の要求だけを押し付けてくる貴族が少なからずいるため、今回もその類かと思ったのだ。
(今日中に謝りに行こうと思っていたのに、全然上手くいかない。)
ユリウスは病気から回復してからというもの、凄まじい努力で今の地位まで上りつめた。
苦労も絶えなかったが、概ね思い描いたとおりに歩んできた。
これほど思い通りにならなかったことはない。
仕事でも、社交でも、ユリウスは人間関係についてはいつもどこか冷めた気持ちでいた。感情に左右されないからこそ、仕事を上手く差配できていた、というところもあったかもしれない。
柔らかい態度の方が人付き合いを円滑にできることに気づいてからは、愛想笑いを浮かべるようになったが、心の底から笑えるのは、ルフェルニアの傍だけだった。
ユリウスは、ルフェルニアの傍にいると、いつも暖かい気持ちになれた。ルフェルニアはユリウスの地位に関係なく、ユリウス本人を大事にしてくれていると、実感していたからだ。
だから、ユリウスはできるかぎり長い時間、ルフェルニアの傍に居たかったし、大人になってからもその気持ちは増すばかりだ。
ユリウスはルフェルニアに対し友愛の情を純粋に、そして一心に注いできたつもりでいた。それなのに、ルフェルニアは遠ざかっていくばかり。
ユリウスは初めて感じるこのもどかしくて胸の痛い思いに、どうしたら良いのか分からず困り果てていた。
ユリウスは来た道を戻りながら、鍵のかかっていない部屋をすべて開けたが、どこにもルフェルニアはいない。
ユリウスは大きな声でルフェルニアを呼んで探したい気持ちだったが、庁舎内はまだちらほらと明かりの灯っている部屋がある。遅くまで頑張っている局員の仕事の邪魔はしたくはない。
(このまま、口もきいてくれなくなっちゃったら、どうしよう。)
ユリウスは焦る気持ちで全ての部屋を確認したが、ルフェルニアはどこにも見当たらない。
ユリウスはうろうろと落ち着かない気持ちで庁舎内を彷徨い続けた。
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