【01】
【01】
物事には必ず因果があって、なにもかも筋道がちゃんとあるような感覚に陥る。物理の法則。歴史の変遷。証明や数式。でも、人間って錯覚することのが多い。そもそも脳はストーリーが大好きなので、なにかしら物語を作りたがる。寝ているときにみる夢も、被害妄想も、世の中を見る目も。すべてに物語がある。本当はストーリーなんてない。そして矛盾は同居しうる。すぐそばで。
例えばの話をしよう。
精神的に傷を受けて、脳がダメージをくらって、身体が命の危機を察知して、エネルギーを作らねばと食欲を増進させる。今日嫌なことがあったんでドカ食いします、はこうしてストーリーが作られるのだけど、過食は身体に悪いのでやめたほうがいい。肥満は更なる自己批判を生む。世のダイエッターが陥る罠だ。貯金を減らしてまで脂肪を蓄え、自ら率先して生活習慣病になりにいく必要性は、どこにもない。そんなことは、誰だってわかりきっている。
「今日嫌なことがあったんで」と「ドカ食いします」に接続はない。「今日嫌なことがあったんで」のあとには「筋トレします」でも「早く寝ます」でも「宇宙飛行士を目指します」でも、なんでもいいわけだ。ストーリーの切断をすれば、まやかしの因果に気付く。
そんなことを語る夜詩くんを見ていれば、矛盾は同時に存在しうるんだなあとよくわかる。
「じゃあ夜詩くん、ドカ食いやめなよ」
「無理」
夜詩くん、今けっこういいこと言ったと思うんだけどなあ。僕に買ってこさせたミスタードーナツの人気商品を、ゆっくりとした動作ではあるものの、休まず食べ続けるおじさんにお茶を差し出す。せめてもの、ヘルシア。夜詩くんは中年だけど、夜詩くんと中年肥りは接続しない。
「今日はなにがあったの」
「怖い夢を見た」
「いつもじゃん」
「そうだけど。そうだけど。違う」
「違うの」
「怖くて起きた」
「いつもじゃん」
「違う。今日のは本当に。怖かった」
「どんな夢?」
「…………………………………………………………………………………………………」
夜詩くんの目がぼんやりしだすので、これはよくないなと気付く。これはよくないのだ。だから、僕は話を反らす。
「結局、エンゼルフレンチが一番美味しいよね」
「………………………うん。一番美味しい」
「夜詩くん、甘いの好きだよね」
「甘いの好き」
「うん」
「うん」
「幸せだねえ」
「幸せ」
反復。
次第に夜詩くんは戻ってきて、夢の後遺症、とぽつり呟いた。
「夢の後遺症はね、……………どうしようもないね」
「どういうこと?」
「引きずる。でも夢だから…………。その日一日が駄目になる」
「嫌な夢見ただけで?」
「朝は動けない」
「そうなの?」
「…………つらい。………………つらかったのでドーナツが必要でした」
「必要でしたか」
「うん」
「うん。でも、駄目ってこと、ないと思うけどなあ」
「……………………………死にたい…………」
「今も?」
あ、単語間違ったな。
画面の固まったパソコンみたいな夜詩くんを、僕は慎重に連れ戻す。バンバン叩くのは良くない。いろんなところをいじるのも。
「ゴールデンチョコレート」
黒いわっかに黄色の粒がびっしりついたドーナツをつまんで、ドーナツの穴から僕は夜詩くんを覗く。
「夜詩くん、夜詩くん。あのね、コップとドーナツって仲間なんだよ」
「トロポジー」
「あ、やっぱ知ってたか」
「うん、………………………………………」
「夜詩くん」
「…………………うん」
「ゴールデンチョコレート好き?」
「好き」
「知ってる」
「うん。……………つらい。絶望する。事実がどうあれ動けなくなる」
「今動けてるんだから、大丈夫だよ」
「大丈夫かなあ」
「大丈夫だよ」
夜詩くんは本当は駄目なのだ。
夜詩くんは子供のとき、誘拐されたそうだ。なにしろたいていのことはなんでも出来たので、どこの分野でも将来有望だと注目され始めていた。テレビにも少し出たことがある。数学、科学、考古学、音楽、絵画、陸上、少年野球、エトセトラ。海外だったらもっと人の目を集めていたんだろうけど、ここは飛び級なんてない日本だし、親もまったく英才教育には興味がなかったので、夜詩くんは突出した才能を持ちながら平凡に過ごしていた。ジュラシックパークの恐竜に夢中になり、にんじんを嫌い、ボッティチェリの完璧な模写を落書き帳に描いた。無名でウェブに投稿した環境問題への改善案は即座に採用され、運動会ではリレーのアンカーになり、蝉の脱け殻を引き出しいっぱいに集めて、それを見つけた姉が恐怖と混乱で泣き叫び、彼は親に叱られた。夏は海で遊んだ。クラスの男の子と喧嘩した。誕生日にもらった恐竜のぬいぐるみといつも一緒に寝ていた。そして、10歳のときに誘拐された。将来の夢は発明家と宇宙飛行士と冒険家だった。
発見されたのは更に5年後のことで、そこから26歳になるまで、夜詩くんは7回自殺未遂をする。
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