おしょうらい

苦悶

おしょうらい


 私の住んでいる地域には昔からお盆になると行う「おしょうらい」という儀式があります。


簡単に説明すると、先祖の霊を迎えるときやあの世に送る際、麦の藁を束にしてその中に杉の葉を詰めた、およそ大人用の傘ほどの大きさの松明を 


「しょうらい しょうらい おしょうらい」 


と唱えながら松明の炎が消えるまでぐるぐると回し続けるというものです。


私の家庭では、7月15日の盂蘭盆会うらぼんえにて先祖の霊を迎え、8月15日のお盆にあの世に送るため、計2回のおしょうらいを行います。


 つまりその間の1か月は家の中にご先祖様がいらっしゃるということになります。


その期間は、家の中で多少不思議なことがあっても両親は


「ご先祖様がいるからね~」

「仕方ないね~」


と済ませてしまうことが多かったです。


私自身、多少のいたずらやつまみ食いを「ご先祖様がやっちゃったのかも!」

と冗談を言って難を逃れたこともあります。(今思うとバレバレだったと思いますが)


 そして8月15日のおしょうらいは夏が終わってしまうという思いと同時に、1か月間一緒に過ごしていた目には見えないけど、私の奥深くで基礎になっているようなご先祖様とのお別れで、子供ながらにしんみりとしていました。




 数年前のことです。


 私も一人暮らしをするようになり、久々の実家で親戚と飲み会やら人狼ゲームやら夜遅くなるまで騒ぎ散らかしていました。また、田舎の親戚特有の「恋人はいるのか」「結婚はまだか」というような絡みを受けている従兄弟を見て、来年は我が身だなと感じていました。


 ひと段落ついたところで「おしょうらいやるよ」と母親に声をかけられました。

ただ、その時の私にとってのおしょうらいは子供の頃とは違い、特に考えることや物思いにふけることはなくただの恒例行事でしかなくなっていました。


家族、親戚、みんなで輪になり


「しょうらい しょうらい おしょうらい」


と唱えながらぐるぐると松明を回し、ある程度回し終えると隣の人に交代する。

それを繰り返し、火が消えるまで続ける。


そのはずでした。かなり酔っぱらっていた叔父が炎の熱さから松明を手放してしまい、地面に落ちた松明を炎はあっという間に覆ってしまいました。


 従兄弟の1人が「大丈夫け?」といいながら念のためバケツに貯めておいた水を松明にかけ、消火したものの代わりの松明はもうありませんでした。また、その日は全員でお泊りの予定だったので運転できる者も、全員お酒を飲んでしまい代わりの松明を買いに行けませんでした。


そのため今回のおしょうらいはこれで終わりということになりました。


なんとなく消化不良だなと感じながらも、みんなでクーラーの効いた家にそそくさと戻り、飲み会の続きを始めました。


 次の日、親戚が次々と帰るため「次会えるんお正月だねー」とか「今度switch持ってきて通信しよう」だとか、たわいない話をしながら見送りをしました。


次に集まったのは従兄弟の葬式でした。その次に集まったのは、叔父の葬式でした。



 こんな短期間に、しかもおしょうらいの時の2人が亡くなるなんて、私は偶然なのか何なのか分からず、それとなく両親に聞いたりしましたが亡くなった理由については教えてもらえませんでした。



 ただ、両親も親戚も「仕方ないね~」と言っていました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おしょうらい 苦悶 @kumo_no_ito

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説