月は綺麗だけど君はそうでもないね
曇り空で風が強く、夏服で散歩をするには肌寒い。そんな夜道に怪しげな男が一人、私を待ち構えるように立っていた。まだ人影しかわからないが、こちらをじっと見つめている様子で、私はぞっとして鳥肌が立った。
男は微動だにしない。まるでさもマネキンであるかのように装っている風だった。私を欺こうとする狡猾さの気配があった。
しかし私は、ここで来た道を引き返しては負けな気がして、その男に挑みかかる気持ちで足を踏み出した。私が近付くほどに、男の纏う不気味さは増していく。
そう、その時には既に、私は色々な事を後悔していた。深夜にこっそり家を出て散策なんかしようと思った事を。
引っ越して間もない馴染みない土地なのにぶらぶらと出歩いてしまった事を。スマホがあれば大丈夫と思っていたのに肝心のスマホの充電が残り5%なのに気付かなかった事を。
男の顔がようやく判別できるくらいまで近付いた時、すぐ傍の切れかけた街灯がちょうど直って、スポットライトのように、私たちを照らし出した。
「だめ……やだよ……」
「え、寝言?」
なんと直立不動の怪しげな男は、道のど真ん中で腕を組ながら仁王立ちで眠っていた。予想より随分と若く、下手をしたら同年代くらいだった。
まず私は、男の睫毛が長いのに目を引かれた。それから鼻の高さ、整った眉、綺麗な輪郭、柔らかそうな唇に。バランスが良すぎてもはや正解とも言える顔の配置に、私は心の中で正解顔と名付けた。
男の人の寝顔をこんなにまじまじと見たのは初めてだった。
「さむい……」
「寒いんだ。帰ればいいのに」
私は背が高い方だったが、男の方が割りと高かった。恐らく180センチメートル以上だ。
私の頭から不安や恐怖は取り払われ、心配と好奇心が濃く残った。
この人はこんなところで寝ていて大丈夫なのだろうか。いやそもそも本当に立ったまま寝ているのか。とりあえず私は彼を起こしてみる事にした。
「あの、起きた方が良いと思いますよ。車に、轢かれますよ?」
言いながら気付いたが、いくら深夜の住宅地とはいえ車道の真ん中で立ったまま寝るなんてどうかしてる。その時急に男が動き出し、私は全身が凍りついた。
「え。ああ、寝てた……」
「ひいやあぁ~。本当に寝てたんか~い。ビビったぁ良かったぁ~」
まだ体が震えている。彼が寝たふりをして近付いた所を襲うタイプの変態じゃなくて、心の底から安堵した。よく考えたら立って寝たふりをする奴はいない。
「ごめんなさい、怖がらせちゃって。大丈夫なんでお構いなく」
「大丈夫じゃないですよ。なにしてるんですか」
「お恥ずかしながら、人を待ってて寝ちゃってたみたいで。来てました?」
「来てたら起こしてくれてるんじゃないですか?知らないですけど」
「ははは、そっすよね~」
彼は薄手のロングTシャツ一枚だけで、寒そうに腕をさすりながら笑った。首もとにかかっているカプセル型のペンダントが一緒に揺れる。
「誰を待ってたんですか?」
「いやまあ彼女……、ではないんだけどみたいな人を待ってて」
「はあ」
「いやほんとに!怪しくないから警察とか呼ばないでね」
別に疑っている訳ではないのだが、彼は必死に弁明した。疑ってはいない、ただ限り無く胡散臭いとは思っている。
私も未成年でこの時間に外出しているのだから、警察を呼ばれるのは困るという点で彼と同じだった。
「はぁ……。ぶっちゃけるとさ、その子の家で遊んでたんだけど彼氏さんが乱入してきて、向こうに彼氏がいるなんて聞いてなかったのに問答無用で閉め出されてさ」
「うわあ修羅場」
「ケータイ以外の荷物とか全部その子の家に置いて来ちゃって、ほとぼり冷めたら返すから一旦家の近くで待ってて、って言われたから待ってるんだけど」
「待てど暮らせど来なかったと」
これは彼氏持ちに手を出した彼が悪いのか、彼氏がいるのに彼と遊んでいた彼女が悪いのか、どちらにせよ憐憫の情が湧いてくる。
「もう今何時だ?何時かわかる?」
「生憎スマホが死んでて」
「ははは一緒一緒」
彼のスマホの充電も底をついてしまっていた。
「君、家ここら辺?」
「そうだと思いたいです」
「ははは帰れないんだ、一緒一緒」
スマホが使えなくなって帰れないからといって、私は道の真ん中で眠ったりはしない。情けを知らない冷たい風が私たちの間を吹き抜けて、私たちはほぼ同時にくしゃみをした。
「あはは。一緒ですね」
「だね。君がいるから一人じゃないわ」
彼の正解顔で微笑まれると、胸の奥が、確かにじんわりと温かくなる。でも彼は分かりやす過ぎる程に、好きになってはいけない匂いを放っていた。
「僕、室戸玲護。『カフェ&バー零号』って店でオーナー兼マスターやってるから、よかったら今度一息つきに来てよ」
「レイゴさんだから零号」
「死んだ父親が付けた名前でさ、僕は二代目なんだ。継ぐ気無かったけど」
外見は少し若く、カフェバーの店長にはとても見えない。さっきまで女の人と遊んでたらしいが、お店は今日は閉めてるのか。
「というかなんか、僕の事喋り過ぎだね。普段滅多に話さないのに、どうしてだろ」
私が相手だと話しやすいから、と言わんばかりだった。お洒落な店内でこんな風に相対していたら、簡単に落とされてしまうかもしれない。ここが車のくの字も無いような暗い車道で良かった。
「ああ勿論、来るなら昼間にね。見たところ君、お酒飲めないだろうから」
「はい。無事に家に帰れたら」
「そうだね。まずはお互いお家に帰らないと」
とりあえず彼は彼女の家を訪ねてみるそうで、私も家探しを再開することにした。私たちは別れの挨拶もそこそこに、互いに背を向け去っていく。けれど二人とも当てが外れれば、またこの道で出会すかもしれない。その時はその時だ。
私が歩き出そうとすると、ちょうど、雲の切れ間から月明かりが差し込み、辺り一帯照らし出された。見上げると大きな満月が、38万キロメートル先で奇跡みたいに輝いていた。
「月が綺麗だねぇ」
「え?」
「あっ、ああいや。月は綺麗だけど君はそうでもないね」
無意識に零れた気障ったらしさを消すための彼なりのジョークなようだ。悪戯っぽく笑った彼の顔があまりにも可愛かったので、私は思わず悪態を吐いた。
「うっさいですよ!突っ立ったまま寝てる変人のくせに!」
「はっははは!」
見慣れない町並みは一見冷たく感じたけれど、月の光を浴びて少し柔らかく、よそよそしさの壁が崩れていくような気がした。
なんだかこの町でもうまくやっていけそうな気がする。そう思えた。
水谷穂香15歳。私が高校生になる前の春の夜の出来事でした。
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