水無月るおんの大失態。

壱単位

第1話 水無月るおんの大告白。


 きた。


 予定どおりだ。


 廊下の角にひそむ水無月みなづきるおんに、視線を送る。

 るおんもあたしを見て、うん、とうなずく。背中の真ん中あたりまでのまっすぐな黒髪がふわんと揺れる。大きくて少し切れ長の、お人形のような目。


 大丈夫、るおんは今日も、可愛い。自信をもって。

 目でそのように告げる。でも、すごく緊張してるのが伝わってくる。


 胡桃崎くるみざき先輩は美術準備室を出て、こちらにむかって歩いてくる。

 先輩は、美術部の部長。今日は文化部の部長どうしの連絡会があって、遅くまで残っているという情報を事前につかんでいたのだ。


 そして先輩は、連絡会のときはいつも閉校時間ぎりぎりに、顧問の先生に鍵を返しにゆくという。それがまさに、いま。


 ……るおんと先輩の距離、およそ二十メートル。

 あたしの計算によれば、あと十五秒で接触する。

 どくん。心臓がはねる。いやあたしが緊張しても意味ないけど。

 るおんとの、あの特訓の日々。

 毎日あたしの家で、なんども、なんども、練習した。

 その成果がいま、試される。


 硬派の男子に対して絶対的な威力をもつという、手作りのマドレーヌも持たせた。可愛いラッピングも、男子が持ち歩くのに恥ずかしくないような落ち着いた色の紙袋も、そして、手紙も。完全装備だ。


 十メートル。

 るおんが、ふぅ、と息をはく。

 足元をみながら、なんどもくちを動かしている。手をきゅっと握り、胸にあてながら、二人で相談して決めたあのセリフを、なんども、なんども、呟いている。

 先輩、ずっと見てました。これからもそばで、見させてください。大好きです。

 直球勝負。そして、勝負は、一瞬だ。


 七メートル。

 先輩はなにかのプリントに目を落としながら歩いてくる。

 足音が近づく。

 るおんがマドレーヌの紙袋を抱きしめる。


 五メートル。

 るおんとあたしの視線が、もう一度、合う。

 大丈夫だよ、と、わたしは口を動かした。

 るおんの頬が、ふわっと、桃色に染まる。


 三メートル。

 大丈夫。あたしも、自分に言い聞かせる。

 あれだけ、練習したんだもん。絶対、大丈夫。絶対に。


 二メートル。

 るおんは、きゅっと目を瞑り、廊下の角から歩み出た。 

 先輩の正面にたつ。

 先輩も、えっ、という表情で足を止める。

 息を吸う。

 顔をあげる。

 さあ、いま。

 大丈夫、さあ、るおん。大丈夫。


 「……」


 るおんの頬が、桃色をこえて、すもものような鮮やかな赤になった。

 瞳が潤んでいる。

 まずい、と、あたしは思った。

 飛び出すべきか。いや、でも。

 と、迷っていると。


 「……た、たの……」


 るおんが、声をだした。


 ああ。

 おわった。


 「たのもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 るおんは紙袋を両手で前に突き出し、マンガなら瞳がうずまきで描かれるようなかおで、大声で、叫んだ。

 あたしはしゃがみ込み、頭を抱えた。


 「せせせ拙者せっしゃ、みみ水無月家の息女そくじょ、るおんと申すもの、ゆゆゆゆえあって、貴殿のごごご尊顔そんがん、立ち居振る舞い、常々遠くより拝見しており申した、とと当家とうけふるくは源三位頼政げんざんみよりまさのながれを引くもの、武士もののふたるもの口上こうじょうにては尽きぬことがらなれば、いざ、いざ、尋常じんじょうに立ち会いまいらせえええええええいいい!」


 叫び終わり、紙袋を突き出したまま、硬直しているるおん。

 硬直しているのは先輩も同様だった。

 できればそのまま、時間が止まっていて欲しかった。


 先にうごいたのは、るおんだった。

 硬直したまま、目の端から、ぽろっと涙をこぼした。


 「……も、申し訳もござらぬ……せ、拙者、頭に血がのぼり参らせると、父祖伝来ふそでんらいのさむらいの物言ものいいとなり……かかる仕儀とあいなりてそうろう……う、うう……かくなる上は……っ!」


 ぐっ、と、先輩の胸に紙袋を押し付け、目元をぬぐって、くるっときびすをかえして走り出した。


 「あっ、るおん、待って」


 あたしは声をかけて後を追おうとした。が、いきなり異次元に放り込まれた先輩のフォローをしておかないと、と思い直した。

 教室のスライドドアをがららと引き開け、先輩の横に出る。あたしは教室のなかに隠れて様子を見ていたのだ。

 恐る恐る、先輩に近づく。顔を見上げる。先輩は背が高い。百八十センチ以上あると聞いてる。

 顔も、こわい。細身でとても整った顔立ち、笑えば優しそうなのに、絶対、笑わないのだ。女子とは口を聞かないという噂もあった。


 「……あの……あたし、あの子……水無月るおんの友人で、神成美桜かんなり みおっていいます……あの、今日はほんとに、すみま」


 せん、と言おうとしたが、最後まで言葉がでなかった。

 先輩ががっしりとあたしの両肩を掴んだのだ。


 

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