再還 トラントの渓谷・2

 瘴気域へは以前来た時と同じ川辺から侵入した。渓谷の名の通り、川をたどることで深部へと行くことができるからだ。


「新しい装備はどう? 問題なく歩けそう?」


 隣を歩きながら周囲を警戒しているアキラがこちらの様子をうかがってくる。彼も私も前回来た時とは装備が変わっているためだ。


「うん、自動で足を動かしてくれるというか、足に疲れがたまりにくい……みたいな感じ」


 私が履いているのは『いかずちの触り』という名前の付いたブーツ型の魔道具だ。これには雷の魔法が込められていて、微弱な電気で歩行などを補助してくれる。歩きながら電気マッサージを受けているような感じで、若干の疲労回復効果も持っているらしい。


「動きの補助をしてくれるのは結構いいな。俺のブーツも似たような感じだけど、疲れにくいってのはこういう冒険時にはアドだよな」


 ブーツの他にも詩片サームや他の防具も新しいものだ。しかし、これらは遺構や瘴気域で私たちが見つけたものではない。


「気に入ってくれたみたいでなによりだよ。買い手もなかなか見つからなくて、しまっておくしかなかった魔道具たちだからね」


 ジョルジュさんの大楯が私たちに影を作る。私たちの会話を聞きつけてやってきたらしい。というのも、魔道具を貸し出してくれると提案してくれたのは他でもないジョルジュさんなのだ。


「変な意地を張って、半端な準備でユーシェを助けには行けませんから。お金もきっと返しますんで」


 本来の私たちなら、これらを揃えるのに何年かかっていたのだろうか。遺構では使い道の分からない謎の魔道具が見つかることもあるが、今回借りているのはどれも実用性のあるものだ。興味本位で推定総額を聞いたら、冗談抜きで目玉が飛び出すところだった。


「期待しないで待っておくよ」


「それにしても、皆さんが自身で使うっていう選択肢はなかったんですか?」


 今履いているブーツやそれ以外の防具はどれも何かしらの使い道を見出せる。できることなら、倉庫にあったそれらすべてを持って来たいくらいだった。


「魔法の親和性っていうのは教えたよね。それと同じように個々人にも合う合わないや好き嫌いがあるんだ。説明を聞いただけでどの魔道具も使いこなせる君たちみたいな人は珍しいのさ」


 そういうものなのか。しかし、そのおかげで身の丈に合わないほどの装備を身に着けることができている。あとはこれらの性能に振り回されないようにしなければ。


 気合を入れなおしたところで、斥候を務めていたフーラさんが警戒の声を上げる。


「前方、植物系の魔物が複数が道を塞いでいるみてえだ。アキラとノゾミで左の三体、残りは俺らでやる。しくじるなよ?」


「モチです!」


 数は合計で十体ほど。一見すると立木のようだが、伸ばした根で私たちの進行方向を妨害している。


「準備OK?」


「誰に聞いてんの? 私はいつでも準備できてるわよ」


「悪い悪い。行くぞ」


 私が着ているポンチョのような形の青い外套の内側には、ポケットがたくさんついている。私はそのすべてに詩片を入れていた。さっそくそのうちの一枚を取り出して髪留めの天使と共に構える。


 明は姿勢を低くしてナイフを構える。そして、詩片をブレスレッドにつがえて魔法を発動させた。


【コード:ウインド=エクシード】


 私たちの戦い方の基本形は明の突撃から始まる。それを追いかける形で私の魔法で彼の隙を埋めることでリスクを減らすのだ。


 破裂音と共に明の姿が消える。それと同時に魔法を発動させた。


【コード:ファイア】【コード:ファイア】【コード:ファイア】


 火の魔法を三連発動。無数の火の玉が私の周りを飛び回る。植物系にはやはり火だ燃やしてしまえば、本来は厄介な再生速度も問題にならない。

 魔道具の補助のおかげで複数使用も格段に制御しやすくなっている。


 魔物も飛んでくる明に気付いて、反撃となるツタを触手のようにして飛ばしてくる。しかし、明は進路を変更せず最短距離を飛んでいく。


「させない!」


 明の後を追った火の玉がそれらを撃ち落としていく。火の玉の一つが撃ち漏らしても次弾がそれを撃ち落とす。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるってやつだ。


 明の刃が、三体のうちの真ん中の木の魔物に届く。彼の持っているナイフも前回まで使っていた店売りの量産品ではない。本来なら刃こぼれするような硬度を持った奴らもバターみたいに抵抗なく切り裂いてしまった。


「一つ!」


 意識を切り替えて、飛んでいった火の玉を一つに纏め上げる。寄り集まった火は炎の波となって明の背後から魔物たちへと迫っていく。


「明!」


「あいよ!」


 返事をした明はこちらを振り返ることなく、魔物による横なぎの攻撃を上に飛ぶことで回避した。攻撃が空を切った魔物の群れへ間髪入れず炎の波濤が押し寄せた。


 炎を振り払おうと魔物は身をよじらせるが、元からそれほど動きの速くない植物型だ。身じろぎする間に炎は全身へ燃え移っており、しばらくしたら動かなくなった。


 炎華の獅子もさすがの討伐スピードで、私たちが倒した倍の魔物を一掃し終えていた。


「はい、これ」


 魔法の切れた明が隣に着地して、私に使用済みの詩片をさり気なく手渡してくる。


「みんなが集魔石を集めるのに集中している今がチャンスだ」


 言われなくても分かってるわよ。と、張り合っても仕方ないのでそんな言葉は内心にしまい込む。


 外套の下で空の詩片に魔力を集める。さて、今回はどんな詩片ができるのだろうか。魔力が詩片に流れ込み、手の内で何かが出来上がる感覚があった。


「【コード:ファイアシード】? 炎の種かぁ……ゲームみたい」


 木と火の組み合わせは相性がいいのか悪いのか。使ってみないと分からないが、炎華の獅子の人たちがいるところでは使えないだろう。そのため、ワームもキュウキも今のところ使う気はない。


「アキラもノゾミも腕はなまっていないようね。けれどまだまだ先は長いわ。気を引き締めて行きましょう」


 集魔石も集め終わったため、私たちは瘴気域のさらに奥へと進んでいく。


 本格的な瘴気域の探索は今回が初めてだ。遺構に比べて魔物との交戦回数は気持ち多いように感じる。


 明の持つ魔道具『番いの陰陽・陰』は未だに最深部を指し示している。頭に浮かぶ最悪の想像を頭を振って振り払う。今は信じて進むしかない。


 周囲の視界確保が困難なほどに暗くなったところで、一日目の探索は終了した。地図を読むのは苦手だが、大雑把に三分の一ほどを進んだところだろうか。ともかく明日も早い。さっさと寝てしまって体調を万全にしなければ。



***



 二日目。これだけの人数がいれば寝ずの番の交代に余裕があって、睡眠時間の確保が簡単だ。


 やっぱりもっと仲間がいるよね~冒険者をするなら。


 同じようなことを以前の野宿でも考えた気がするが、私たちの事情をどうにかできないことにはどうしようもない。


「ここからはアキラとノゾミにおおいに頼ることになると思います。他の者はサポートに徹して損耗を最小限に」


 出発前の簡単な打ち合わせ。サーシャさんの言葉は、瘴気域での冒険の厳しさを端的に示していた。


「頼られるのは構わないですけど、瘴気って俺たちに頼らなくちゃいけないくらいきついんですか?」


 あれだけ強い人たちが私たちに頼るなんてよっぽどだ。そんなタイミングがやってくるだろうとは、話を聞いた時から考えていたが、二日目からとは思わなかった。


「僕やタウセット兄弟は比較的瘴気耐性が低くてね。絶対安全を確保するなら片道三日くらいの深度が限度なんだ」


 そういって笑うジョルジュさんはわずかに顔色が悪く、肌も少し荒れていた。まだまだ余裕はあるだろうが、かといって無理はさせられない。


 不意に肩が重くなった。話題にあがったタウセット兄弟の兄であるロビンさんが、並んで立つ私と明に肩を組んできたのだ。


「そういうこった。頼んだぜ弟分、妹分! っていうかお前ら高低差ありすぎんだろ!?」


 ロビンさんは身長差のある私たちを両脇に抱えるように肩を組もうとしたため、上体が斜めになっていた。その滑稽な姿にみんなから笑いが起こる。


「兄さん、あんまりはしゃいでもいられないですよ。今日も歩き通しになるんですから」


 朝食を食べて探索を始める。何度か魔物との交戦があったが、三戦目くらいからサーシャさんの言葉を実感するようになってきた。


 殲滅速度が落ちてる?


「明」


「分かってる。さっさと倒して助太刀に行くぞ」


 サーシャさんやフーラさんの動きに劣化は見れない。しかし、それ以外のメンバーの動きがイマイチ精彩を欠いているように感じるのだ。そしてそれは気のせいではなく、実際の殲滅速度が落ちていて、私たちの受け持つ魔物の数が次第に増えている。

 

 ベテランの冒険者だけあって、危なげない立ち回りで大した怪我もなく敵を倒している。しかし、それだけの経験があっても十全に動ける私たちの殲滅速度とどっこい程度まで効率が落ちているのだ。


 瘴気というものが改めて恐ろしく感じる。そして、それを感じられないという現状は別の意味で怖いような気がしてくる。


 ってそんなこと考えてる場合じゃない。この体質のおかげでユーシェを追いかけることができるのだ。見えないリスクには今は目をつぶっておくしかない。


 休憩も多く取ったが二日目も無事に切り抜けた。私たちが動けるというのが想像以上にアドバンテージのようで、休憩を加味しても一日目と行軍速度はあまり変わらない。うまくいけば明日には最深部へとたどり着けるらしい。


「ここからはアキラとノゾミ、私とフーラで行きます。クレア、三人の体調を見ながら私たちの帰りを待っていてくれますか」


「ええ、任せてください」


「それにしても、あいつらどこまで行きやがんだ。アキラ、魔道具に変わりはないんだな?」


「はい。魔道具の針は全然動かず、先を示し続けています。まず間違いなくユーシェは最深部にいると思います」


 休憩の度に進路を確認していたが、指し示しているのはほぼ一点だった。最初の予想では、黒陽の理想郷は渓谷の浅いエリアで潜伏しているのだと考えていたが、奴らには最深部に行くだけの技術がある。どうにも厄介な相手だ。


「それにしてもなんでわざわざ瘴気域の奥に……人の目を避けるなら、もうちょっと瘴気域の外にも出やすい場所にいればいいのによ」


「多分……」


 クレアさんが顎に手を添えて考えながら言葉を続ける。


「ユーシェは姫と呼ばれていた。そうですよね、アキラ」


「はい、大切な姫だって」


「それでいて生け贄だったということは、それに釣り合うだけの魔物の所へ連れて行くのではないでしょうか」


 お姫様と釣り合うといえば王子様とか一国一城の主とかの言葉が思い浮かぶ。


 ……主? 主か!


「つまり、瘴気域の主の所?」


 おずおずと聞いてみると、クレアさんは険しい顔で頷いた。


「その可能性はとても高いです。下手したら、主と教団員の両方を相手取ることになるかも……」


「そうなったら倒せばいいだけだ。なあ、サーシャ」


 思考が悪い方向へ向かいかけたクレアさんの言葉を遮ってフーラさんが割り込んできた。話を振られたサーシャさんもそれに力強く頷いて同意を示す。


「ええ、瘴気域の主だって倒せます。私たちならね」


 自信に満ちた彼女の言葉に場の空気が緩んだ。作戦会議はひとまず解散となって各々が雑談を始める。すると、クレアさんがこちらにやってきた。


「ノゾミ。これを持って行って」


 渡されたのは一枚の詩片。【コード】でも【ブースト】でもないまた新しい冠詞のそれは底知れない魔力をそのうちに秘めているように思えた。


「どうして? 皆さんの身を守るために使ってあげてくださいよ」


「優しいのね。だけど大丈夫。ここら辺の魔物はこれがなくても倒せる奴らばかりだから、あなたたちが無事に帰ってくるお守りだと思って受け取ってちょうだい」


「それなら、ありがたく受け取ります」


 思いがけない戦力増強だ。大切に使わせてもらおう。


 明もタウセット兄弟からなにか受け取っているようだった。それくらい私たちのことが心配なのだろう。


 月が煌々とあたりを照らす眩しい夜は、ほのかな緊張と共に更けていった。

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