幕間 打ち上げ

「乾杯!」


 初めての依頼を終えて帰ってきた夜、私とアキラは酒場でちょっとした打ち上げ会を行っていた。といっても、目の前に並ぶ皿の数は慎ましいものだ。


 詩片サームや装備を買い揃えたら思っていたより手元に残らなかったため、こんな形になったらしい。私は計算がそれほど得意ではないので、お金の管理は明に任せてある。


 この世界はどうだか知らないが、私たちは未成年だからお酒は飲めない。その代わりに果実を絞ったジュースを一気にあおる。


「ん~! 美味しい!」


 柑橘系に似たさっぱりとした口当たりを私はかなり気に入っていた。


「サーシャさんたちも来れたら良かったんだけどな」


「ええ、そうね」


 組合で依頼の報告を終えたら真っ先にサーシャさんたちのところへも報告へ行った。その時に食事にも誘ったが、明日には新しい任務に赴くのだと断られてしまったのだ。


「というか、もうちょっと私たちのこと怒ってもいいと思うのだけど」


 どうしても抱えきれないモヤモヤを言葉として吐き出してしまう。


「フーラさんも言ってたろ? 何はともあれ俺たちは帰ってきたって」


「それでも……私たちは命を危険にさらしたわけで……もっと厳しく言われてしかるべきよ」


 私たちの初任務の結果報告……というか反省会を聞いた彼らは、予想に反して全員がねぎらいの言葉をかけてくれた。


 最後の最後、明の判断ミスに端を発して私たちは命を落としかけた。


 もっとしっかりお説教を受けると思っていたし、受けて当然だとも思っていたので、肩透かしを食らったようでちょっとだけ釈然としない気分だ。


 明も頷いてはいるが、私ほど思い悩んではいないらしい。


「確かに俺たちも反省すべき点は大いにある。けどそれは次に生かせばいいんだ。詩片の使い方自体は悪くないって言ってくれたしな。あんまり気落ちしないで次に生かせってことだよ」


「む~」


 それでもやっぱり脳内反省会を止められないが、ジュースの甘酸っぱい風味で無理矢理飲み込んでやる。少なくとも今日はお疲れ様会だ。


「おかわり!」


 お気に入りのジュースと美味しいご飯を食べていると、次第に気分は良くなってくる。思っているより自分も単純なようだ。


 この酒場『トーマスの止まり木』は冒険者組合の直営店ということもあり、いつ来ても繁盛している。そのため、たまに面識のない客と相席になる。そして今日もそんな日だった。


「すまんが、相席いいかい?」


 今日声をかけてきたのは、しゃがれた声で線の細い、仙人みたいな長いひげを蓄えたおじいさんだった。足がそれほど良くないようで、腰ほどの長さの杖を突いて歩いている。


 反射的に明の方を見る。自分で言うのもなんだが、私はかなりの内弁慶だ。

 相手が明とか、この世界だと炎華の獅子の知人とかとは普通に会話できるが、初対面が相手だとどうしても緊張してしまう。


 明はこちらの視線に気付いたようだ。ちょとだけ呆れたような表情をしている。


(私だってどうにかしたいと思ってるわよ……!)


 思えば、この世界に来た時も明が窓口になってサーシャさんたちとの会話をつないでくれていた。高校生活で周りに壁を作りすぎたせいで人と関わるのが下手になっているのかもしれない。


「……おっと、すみません。俺たちは気にしないんで、こっちの席にどうぞ」


 不思議そうに私たちを交互に見る老人に、明は慌てて着席を促す。


 私としてもわざわざ断るほどの理由はない。丸いテーブルのおかげで対面や隣同士にならない席なのもコミュ障としては安心要素だ。


「いきなり声かけて悪かったね。今日はどの席も空いてねえようだったからよ。お前さんたち冒険者だろう? 駆け出しの」


 老人はお酒を注文しながら歯を見せて笑う。かなりお年を召しているように見えたが、覗いた白い歯は欠けることなく全て生えそろっていた。足以外はずいぶんと元気なご老人らしい。


「俺ァ、ラムドってもんだ。お前さんらは?」


 ラムドと名乗った老人に続いてそれぞれ自己紹介をする。


「俺は深見明フカミアキラっていいます。アキラって呼んでください」


志麻シマ……望海ノゾミ。私もノゾミでいいわ」


「アキラとノゾミか。変わった名前だが、二人とも冒険者だろ? 良かったら話を聞かせてくれよ。その分、飲み物とかは奢るからよ」


 どうやら話好きな人のようだ。我ながら現金な考えだとは思うが、お金を出してくれるのなら話をするくらいどうってことない。


「いやいや、そんなの悪いですって。お金のことはいいですから良かったら、俺たちの方からも色々話を聞かせてくださいよ」


 明はスムーズに談笑に移行している。恐れというものを知らないのだろうか。


 昔は私と同じくらい人見知りだったくせに、数年でずいぶんと変わったものだ。


 明の新たな一面に感心しながら、二人の会話に耳を傾ける。ラムドさんもかなり話し上手のようで、しばらくしたら私も自然と会話に加わっていた。



***



「二人組でやけに腕の立つ冒険者ってのはお前さんらのことだったのか!」


 ソーカス遺構の話を聞いたラムドは長いあごひげを撫でながら感心したように言う。


「腕が立つってどこの情報よ、それ」


 私たちは昨日初めて遺構を探索した。昨日の今日で広まる噂ではないような気がするけれど……。


「お前ら、十人ちょっとの冒険者と遺構の中で会っただろう?」


「ええ、貴重な詩片も明にくれたっていうし、集魔石も山分けしてくれたみたい」


 考えてみれば気前のいい人たちだった。

 集魔石があんな抱えるほどのサイズだったとしても、ソーカス遺構で最もお金になるのがあの詩片だったはず。

 私が重体だったとはいえ、何の交渉もなしで渡してくれたのは今考えるとずいぶんと思い切った判断だ。


「やっぱりなぁ。昨日の夜ここで一緒に飲んだんだが、えらくお前らに感謝してたぜ」


 どうやらあの人たちも無事に帰ることができたらしい。


 内心でほっと胸をなでおろす。共に危機を乗り越えた相手が帰ってきていないなんていくらなんでも寝覚めが悪い。


 私たちよりも先に遺構を出たとはいえ、なぜ昨日のうちに帰ることができたのか聞いてみたところ、街道周辺は獣や魔物も少ないので夜も気にしない冒険者がほとんどだからだそうだ。それならさっさとついていけば良かったとも少し思う。


「そいつら、この近くの村から来た出稼ぎの若い衆なんだ。冬になる前に蓄えを作ろうとソーカス遺構に入ったらしいが、手強い魔物が出たんだってな?」


「そうですね。デカいカマキリとアリの部隊が混合で」


 冒険者は他の仕事に比べても稼ぎがいいと聞いたが、それはあくまでハイリスク・ハイリターンということ。出稼ぎであんなのと戦う羽目になるとはあの人たちも運がない。


「助けられた連中はあくまで出稼ぎだ。戦闘に関しては素人だったから、実はかなり危なかったんだとよ。そのうえ、回復の魔法で全員の傷を癒しもしたらしいじゃねえか。アクゥイル神の御使いだって涙を流す奴までいたぜ」


「治した自覚はないんですけど……」


 照れて困ったように明は頭をかく。


 彼の『超越』を受けた回復の詩片が治したのは私だけにとどまらなかったようだ。当の本人は私を治すのに無我夢中で気が付いていなかったようだが。


「俺、あの時は望海を助けるので精いっぱいで何が何だか自分でもよく分からなくて……」


「私たちミスして死にかけたんだもの。神様の御使いなんて買いかぶりだわ。ここに五体満足でいるのは運良く奇跡が起こったからよ」


 言わなくても良いことを言ってしまったと思いながらも、先ほどの沈んだ気分がぶり返す。


 望海の言葉を聞いたラムドは、それを聞いてなぜかニヤリと笑う。


「終わったことの反省はたしかに大事だが、それが奇跡だったって思うならアクゥイル様に感謝してればそれで十分さ」


 ワインのような暗い赤色のお酒を気持ちよさそうにあおってラムドは問いかける。


「この国の国王が冒険者だったって話は知ってるよな?」


 国王が冒険者として築いた財で、このルダニアを作ったというのは有名な話だ。この世界に来たばかりの私たちにも、王の武勇伝は耳に入ってくる。


「ええ、もちろん」


「俺が思うに、そいつは一番男だ。もちろん、一番強い男でもあるだろうがな」


「……国王に対してそいつなんて言っていいの?」


 その内容ももちろんだが、どうしてもツッコミを入れなければいけない気がして思わず声を上げてしまった。


「おう、俺ァそいつのことをよぉく知ってるからな」


 悪びれることなくラムドは続ける。


「運良く奇跡を掴めたやつってのは、結局のところ奇跡を掴みに行ったやつだけだ」


「アキラをノゾミが間一髪で助けられたのも、逆にノゾミの怪我をアキラが治してやれたのも、お前らが最善を尽くしたからだ。そういう自覚がないわけではないだろう?」


 私たちは奇跡を掴みに行った側と言いたいのだろう。確かに、私は明を助けるために潰されかけた彼を突き飛ばしたし、彼も私を助けるために全力で魔法を使ってくれた。

 あっちの世界にいたころのやさぐれていた私なら、ラムドさんの慰めすら突っぱねていたかもしれない。しかし、どこか実感のこもったその言葉には説得力があった。


 話好きのおじいさんくらいにしか思っていなかったが、少し評価を改めて居住まいを正す。


「……ありがとうございます。ひとまず切り替えて次の依頼につなげることにします!」


「おうおう、そうしろそうしろ! 冒険者なんて後悔してもし足りない職業だ。開き直って次の仕事に向かうのが一番なのさ」


 ガハハと豪快に笑ってラムドがテーブルの上に差し出したのはこの店のメニュー表だった。


「よーし、こっからはお前らの生還祝いだ! なんか頼め!」


「それじゃあ、これとこれとこれで」


「ちょ、早い早い」


「いやいや、いい頼みっぷりじゃねえか!」


 こういう好意を断って得することはない。ラムドさんもその程度で機嫌を損なうような人柄ではないのはなんとなく察せていた。


 せっかくだからと内容が分からず躊躇していたメニューを数点注文する。


 明が終始何か言いたそうだったがあえて黙殺する。思った通りラムドさんも全然気にしてないみたいだし。


 運ばれてきた食べ物はどれも美味しく、私たちは揃って舌鼓を打った。



***



「ごちそうさまでした!」


「ラムドさんのお話も面白かったわ。また今度、話をしましょう」


「オウ! またな!」


 望海たちは部屋を取っている宿の前でラムドと別れた。曲がり角で彼が見えなくなるまで見送る。


(そういえばあっちって炎華の獅子の屋敷がある……?)


 高級住宅街があった方面だ。やけに金払いがいいと思ったら、そもそもそれなりにお金を持っている人だったようだ。


 お酒も入って上機嫌なラムドは、ご飯をおごってくれた後も彼自身の冒険話を二人に色々と教えてくれた。そして、次に行くべき場所のアドバイスも。


「喋る武器とかあるんだな……」


 ラムドが手に入れたと語る不思議な大剣の話を、明は目を輝かせながら思い出す。


「この国にはいないけれど、やっぱりエルフもいるみたいね」


 隣国の魔法国家と、そこに住む耳長の種族の話も聞かせてもらった。


「ねぇ」


「なぁ」


 二人同時に呼びかけ合う。考えていることはきっと一緒だった。


「次は瘴気域に挑戦しよう」


 明の言葉に肯定の頷きを返す。


 ラムドがくれたアドバイス。それは、瘴気域の瘴気に自分がどれだけ耐性を持っているのかを知るというものだ。


 元々、遺構探索を生業としていた冒険者は瘴気に挑んだことが無く、それ故に自身がどれだけ瘴気に耐えられるのかを知らなかった。限界が分からず、瘴気域で力尽きる冒険者も多く居たらしい。


「サーシャさんとフーラさんは一週間くらい瘴気の中にいても平気なんだっけ」


 特にサーシャさんは四日目までは運動パフォーマンスを落とさずに瘴気域内で活動できるそうだ。ちなみに、瘴気に慣れていない一般人は二日ほどで体調を崩してしまう。


「俺たちもそれくらい……とまでは言わなくても三日か四日はい続けても問題ないくらいじゃないと、活動がままならないからな」


 帰ってくるまでの日数も合わせて見極めねば、また私たちは命を危険にさらすことになるだろう。


「さっそく、明日から行くの?」


「ああ。善は急げって言うし、さっさと依頼をこなさないと生活すら回らなくなる」


 私の詩片を生み出す能力があることを前提としても、明は詩片の消費が激しい。さっそくナイフを一本ダメにしたというのもあって、二人の懐事情はそれなりにひっ迫していた。


 宿の中に入ると屋内の温かさもあって一気に眠気が襲ってきた。さっさと寝てしまおうと宿の階段を足早に駆け上がる。


「それじゃあ、明日は朝イチでこの町を出ることにしましょ。私はもう寝るから、また明日ね。おやすみ」


「おやすみ。夜更かしすんなよ」


「そっちこそ。遅刻しないでよね!」


 踊り場の一歩手前で振り向いて見た明の表情は、満腹と眠気で緩み切っていた。とてもじゃないが、昨日私が死にかけてぐちゃぐちゃに泣いていたとは思えない。


 自分の部屋に戻ると鼻にツンとくる冬の寒さが居座っていた。備え付けの火の詩片を使って暖炉に火をつける。


 そういえば、明はどうやって火をつけているのだろう。必死に火打石を打ち付ける姿を想像して頬が緩む。


「帰るかぁ……」


 誰にも聞かせるでもない声量でなんとなく呟く。


 現実に帰る。いまだに方法すら見つからないが、それが私たちの決めた方針だ。


 前までは帰りたくないなんて思っていた。現実の方が地獄だったと。だけど、今は多分違う。


「あんな悲しい顔見たくないよね~」


 大人っぽくなったと思っていた幼馴染の昔のような脆い表情。あれをこれ以上見たくなかった。だけどこの世界に居続けたら、あの顔を見る機会は何度も訪れるはずだ。


 魔法が使える夢のような世界だけれど、この夢は醒めなければいけない夢なのだ。


「まあ、難しいことはまた今度考えよう……」


 私の寝ぼけた頭で考えられるのはそこまでだった。ベッドに倒れこむと同時に意識が闇に落ちていく。



 ***



「どうでしたか、例の新人は」


 機嫌よく鼻歌を歌うラムドの背後に、すらっとした長身の老紳士が現れて声をかける。変わらず上機嫌のラムドは、その人物を振り返るでもなく返事だけをする。


「ああ! サーシャとフーラが拾ったっていうから見に行ってみたが、ありゃ面白い奴らだな! これからが楽しみだ!」


 そう言って杖を肩に担いだラムドの姿は、少しずつ変化していた。


 少なかった髪の毛は、短く刈り揃えられたワイルドな髪形に。


 細い枝のようだった手足は丸太のように。


 仙人か何かのように長かったひげは、まるで元からそこになかったかのように消え失せる。


 そして、引きずっていた足は自信にあふれた歩き方へ変化した。


 折れ曲がっていた腰がしゃんと伸びると百九十センチを超える偉丈夫がそこにはいた。


「いきなり見に行くと仕事を放り出して出ていった時は何事かと思いましたが、満足されたならなによりです、


 ラムドは銅像の横を通り過ぎる。姿の横を。


 ドラム・ルーダニア。ルダニア国初代国王にして、伝説の冒険者。それが魔道具で姿を変えていたラムドの正体だった。


「この魔道具『姿替えの杖』の調子を見るために久々に使ってみたが、思ってもない大収穫だ。あいつらは必ず、何かを成し遂げる。俺が言うんだから間違いねえ」


 ラムド改めドラムは、顎を撫でながらニヤリと笑う。その後ろを彼の執事が無言で付き従って歩く。


 通行人がいれば平身低頭していただろうが、冬の夜には人っ子一人歩いていない。

 静まり返ったその道には、しばらく彼の鼻歌が響いていた。

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