超越の光
「マルコ爺さん、ちょっと見てもらいたい用件があるんだがいるかい?」
フーラの開けた扉の先は薄暗い部屋だった。
辛うじて採光用の窓から差し込む光が部屋全体を見渡せるようにしてくれているが、乱雑に積まれた分厚い本や書類の山があるせいで奥まで見通せない。
「おう、フー坊かい。今日はどんな珍妙な
のそり。そんな擬音が似合うような動きで書類の陰から人影が姿を現す。
ずんぐりむっくりで毛むくじゃら。身長は俺たちの胸当たりのその人物は、愉快そうな声でフーラさんをからかうようにあだ名で呼んだ。
「残念ながら遺構には行ってねえんだマルコ爺さん。あといい加減、その呼び方は止めてくれっての」
「ガッハッハ! こちとら何年生きてると思ってんだ。お前の歳じゃあまだまだ小僧さね」
「……ドワーフ?」
そう、ドワーフ。アニメや漫画で見るような妖精が目の前にいた。
「その通りだ。それくらいのことは覚えてたか。この人は百三十くらいになる爺さんでな。俺らのことをいつまで経っても小僧呼ばわりしてくるんだ」
「ほうほうほう! また一段と珍しい格好のお客人だ! 坊ちゃん、お嬢ちゃん、名前はなんという?」
「
「
ドワーフのマルコさんはその紹介を聞きながらこちらへ距離を詰めてきた。百年以上生きているとは思えない俊敏さに俺たちは揃って面食らう。
「なるほどのう! あー、みなまで言わんでいい! お前たちの天使を手に入れるために来たんだろ? 見てやるからそこに掛けな……フー坊! そこの書類どかしてくれ!」
フーラさんは小さく文句を呟きながらも椅子の上に積まれた書類をどける。
俺たちがその椅子に腰かけている間に、マルコさんが取り出したのはレンズの大きなモノクル。窓から差し込む光を受けてキラリと薄紫のレンズが光を反射している。
「良かったなお二人さん。ちゃあんと、お前さんらにも天使は宿っとる」
「えっ? これだけでいいの?」
「なんだ、嬢ちゃんはもっと大仰な儀式でも必要だと思ったのか? 昔はそんなのも必要だったが、そんなことしてたら毎日の仕事が終わんなくなっちまうからな。今はこの魔道具で十分なのさ」
マルコはトントンとモノクルを指先で叩く。
『魔道具』。また知らない単語が出てきてしまった。名前から推測するに、魔力や魔法を使える道具といったところか。
「嬢ちゃんの方は、胸のところに入れてる髪留めだ。ずいぶん長いこと大事にしてたみたいだな? 贈り物かい」
胸ポケットを指してマルコさんは言う。彼の使う魔道具と呼ばれるものは赤外線やX線のように天使を透かして見通せるらしい。
「や、えっと……」
望海はポケットから所々塗装の剥げた赤い髪留めを取り出すと、歯切れ悪く口ごもる。
昔のことは話せないため返答に困っているのか、なぜか耳まで赤くなった望海が視線で俺たちに助けを求めると、仕方ないという風にフーラさんが割って入った。
「実はな爺さん。こいつら二人とも、ここに来るまでの記憶が抜け落ちてるらしいんだ。多分、邪教徒どものせいで」
フーラさんはマルコさんへこれまでの経緯を説明してくれる。それを聞いたマルコさんは、もじゃもじゃなひげの奥の地肌を真っ赤にして憤慨してくれた。
「なんじゃあ、そんなことになっとったのか! う~ん。人それぞれの思い出話を聞くのがわしの楽しみなんだがなぁ……いやすまんすまん! 今のは無神経じゃった!」
マルコさんは軽い謝罪を望海にして、今度は俺に向き直る。
「で、坊ちゃんの方は……そのブレスレットかい。記憶が戻ったら、その思い出をぜひ聞かせておくれ」
マルコさんが指さした左手には、子供のころに望海から貰った木製のブレスレット。
別れてからはなんとなくお守りとしてつけていたが、本人を前にして思い入れがあると言われると滅茶苦茶恥ずかしい……。望海が自分の天使をしげしげ眺めていて、気付いていないのが不幸中の幸いか。
「お前さんら、天使を初めて持つんだろ? だったらこれは覚えとけ」
マルコさんは、短くごつごつと節くれだった指を二本立てながら話を続ける。
「一つ。天使っちゅうんは絶対に壊れん! 神様からの贈り物じゃからの。叩いても伸ばそうとしてもびくともせん。経年劣化もしない。だから天使は死ぬまでそいつと共にある!」
「二つ。そんな訳だから、失くしたから次の天使をくれ、なんてことアクゥイル様は認めちゃくれないぞ? 天使と所有者は一蓮托生。紛失なんてしようもんなら魔法も使えん能無しと笑われることになるから絶対に失くすなよ?」
「まあ説明は以上だ。もっと聞きたいことはフー坊に聞いとくれ」
マルコさんは説明を一気に済ませると、懐から出した葉巻らしきものを口にくわえて
【コード:スパークス】
詩片から飛び出た火花が葉巻に火をつける。
どうやら今使った詩片は火花を起こす詩片だったらしい。恐らく火の詩片であるファイアと同系統だが、出力によって名前が変わるのだろう。
「爺さん、教会内での煙草はご法度じゃなかったか?」
「おっとそうだったか? せっかく火ぃつけたんだから一本くらい見逃してくれや」
悪びれた様子がないのは、常習犯ということだろう。フーラさんもそれ以上追及する気がないようで、紫煙が天井にゆっくりと伸びていく。積もる話もあるようで、俺たちそっちのけで二人は雑談を始めてしまった。
「あの……!」
意を決したように望海が手をあげた。好奇心が隠し切れないというような興奮が顔にありありと浮かんでいる。
「どうした嬢ちゃん」
「もしよろしければなんですが、私にも魔法を使わせてくれませんか!」
久しぶりに出会った時からどこか大人びた印象だった彼女の表情が、別れる前の彼女のものと重なる。快活で、いつも俺の手を引っ張って連れ歩いていたあの頃の姿がそこにはあった。
「ガッハッハ! そりゃそうか! 使いたいよなあ魔法!」
マルコさんは豪快に笑うと、先ほどのホルダーを漁って中身を物色し始める。
「待ってろ~最初に使うのはあんま危なくねえやつがいいよな……」
「灯りの魔法なんてどうだ? 結構綺麗で好きだぜ、俺」
「おお、それだ! フー坊は持っとらんか? わしのはちょっと前に切らしちまって手元にねえんだ」
「んー……あったあった。それを自分の天使に擦る感じで使ってみな。どういう光り方が見たいとかを考えながら使うと成功しやすいぞ」
フーラさんは懐から取り出した詩片を望海に渡す。緊張の面持ちで受け取った望海は、赤い髪留めと詩片を構えた。
「……いきます」
【コード:ルミナス】
天使となった髪留めにすり合わせた詩片から、例の無機質な声が聞こえてくる。同時に、仄かに光る光球が望海の周りをフワフワと漂い始めた。
「綺麗……」
「だな……」
思わず同意の言葉がもれてしまうほどにその光景は幻想的だった。
蛍のように光るそれは望海の周りをしばらく漂った後、線香花火のように儚く消えてしまった。
「ちょっと時間は短いが、そこは慣れの範疇か。アキラの方もやってみるか?」
「やりたいです!」
今のを見て遠慮するほど俺は斜に構えてはいない。というか俺も早く使ってみたくてうずうずしていた。
フーラさんから先ほどと同じ詩片を受け取る。手触りは少し硬めの和紙のようで、表面には光というような文字が書かれているのが読めないが読める。書けないはずの字が読めるなんて、都合のいい魔法もあったものだ。
【コード:ルミナス……】
例によって無機質な音声に突然ノイズが走り、音が途切れた。
【……エクシード】
世界を白に染め上げる閃光。薄暗い部屋に太陽が生まれた。
(――眩しい!!)
強い光が視界をホワイトアウトさせる。目を開けていても閉じていても白色が視界を占有していた。
何かが崩れる音がする。光に驚いてあの本の山を誰かが崩したらしい。
「なんじゃ!?」
「爺さん、二人とも! 無事か!?」
「はい……!」
「なんとか!」
未だに回復しない視力のまま無事を伝えるために返事だけを返す。望海もマルコさんも無事なようだ。
「今のは……何だったんだ」
詩片はなぜ向こうの世界の言葉を唱えるのか。そもそもなぜ俺たちはこの世界に来たのか。そんな疑問が湧いては消える。しかし、そんな思考もいきなり来た衝撃にかき消される。
「どぉわ!」
柔らかく温かい感触が胸のあたりに飛び込んできた。パニックになった望海がバランスを崩してこちらに倒れてきたのだ。
「明! ねえ、どこ!?」
「今はお前の下敷き……」
同級生の女の子だ。うかつに触れるわけにもいかず、行き場のない手を漂わせてしまう。
辛うじて回復してきた視界がとらえたのは、こちらの胸のあたりに顔を押し付けて震えている望海の姿だった。
引きはがそうと肩に手を乗せると、抵抗するようにシャツをつかむ力がわずかに強まった。
「…………もうちょっとだけこうさせて」
小声でつぶやく望海に少しだけ面食らう。もう少し気の強い、ガキ大将然とした性格が俺の知っている彼女だったから。
しかたなく肩に乗せた手を移動させ望海の頭を軽く撫でる。
彼女の力が少し緩んだので、ぎこちなくそれを繰り返す。
結局、書類の山に埋もれているフーラさんとマルコさんが這い出てくるまで、延々と頭を撫で続けさせられるのだった。
復帰したマルコさんとフーラさんはどちらも渋い顔で頭を悩ませていた。もちろん、俺たちの今後の扱いだろう。
「二人とも、しばらく俺らのところで色々学べ。特にアキラ、その妙な力のことが分かるまでは詩片は一人で使うなよ?」
「はい……。逆にそこまでして貰ってもいいんですか? 俺たちはよそ者ですよ?」
炎華の獅子の人たちが善人なのは短い交流の中でも十分すぎるほど理解している。しかし、いや、だからこそ引け目のようなものはどうしても消えなかった。
言葉にしてから自身の卑屈すぎる物言いに気づく。そんな卑屈な受け答えに怒るでもなく、フーラさんは困ったように頭をかいた。
「俺とサーシャも元は孤児でな。町の外で野垂れ死にしそうなところをある冒険者に拾われたのさ。その人に色々教えてもらって今じゃ俺たちも立派な冒険者になった。だから、同じことを同じように困っている奴にしてやりたいと思ってたんだ」
フーラさんは照れたように顔を逸らす。
「お前らの親父がお前ら二人を連れてきたときはわしもびっくりしちまったよ」
なるほど、二人にもそんな事情があったのか。納得と共に何か言おうとしたタイミングで、望海が頭を下げた。
「ありがとうございます。今日からお世話になります! 私も明もこき使ってもらって構わないので、この世界のことを色々教えてください!」
まず感謝するという当たり前のことが頭から抜けていた。
何も分からない環境で、変に気を張っていたせいかもしれない。礼儀のなっていない自分を猛省しつつ、望海に続いて頭を下げる。
「おう、いずれはお前らをこの国を代表する冒険者にしてやるよ」
頭を下げた俺たちの頭をフーラさんはポンポンと叩く。大きくごつごつとした戦う人の手のひらだった。
「騒がせちまったな爺さん。煙草は程々にしとけよ? ……よし! 二人とも、頭を上げな。色々案内してやるよ」
フーラさんは、俺たちを連れて部屋を後にする。煙草の火を消しながらやれやれとつぶやくマルコさんの姿が、扉の隙間から目に入った。
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