第22話 マルコシウス、再び落ちる

 屋根の上に降りた祝は、鈍色の竜の姿をしていた。体長3mほど、羽のない東洋竜タイプで、銀のたてがみの中からにょきりと二本の角が生えている。大ぶりの鯉のような鱗が、冬近い晩秋の陽光をピカピカと反射した。


「マルたんマルたん、応援に来たよ〜」


 二階建ての滋ヶ崎の家に乗り、囃すように鳥の脚のような手を叩く祝。ぶんぶんと振った尻尾が屋根に当たり、バキリと音がした。


「あっ」

「おい祝!」

「なんでもない! なんでもないから! ちょっとぶつかっただけだから!」


 これは絶対に瓦が割れている。必死でそっぽを向く祝を見上げ、後で見に行かなくては、と滋ヶ崎は頭を掻いた。それから目の前、ゴザの上に座って黙りこくっているマルコシウスに目をやる。


「ほら、つーわけで救助要員も来たから。これで上空から落ちても平気だろ」

「そ、そんなの必要ありませんし……」


 マルコシウスの手には前腕部と同じ長さくらいの木の棒が握られている。昨日湖畔堂から引き取ってきたばかりの新品の魔法の杖で、これから魔法の試し打ちをするのだ。せっかくなのでできると豪語していた飛行魔法を披露してもらうことにした。


(まあ、多分無理なんだろうけど)


 マルコシウスはあらぬ一点を見つめている。ここまでも散々「この草の敷物はじゅうたんではない」だの「空気中の魔法濃度が」などとぐちゃぐちゃ言っていたが、「あ? この前できるって言ってただろ。まあ無理ならいいけど」と返したところ「は? そんなこと言ってないでしょう!」と逆切れをかましてきたのだ。今更無理だなんて言えるはずがない。


(どうして自分の首を締めに行くかね)


 このまま飛行魔法に失敗して墜落死、というのはさすがにちょっとかわいそうなので祝を呼んだ、という経緯である。あれでも竜なので落ちてくる人間を受け止めるくらい朝飯前だし、式神だっている。いざとなったら角の先でもちょっと削って飲ませればいいのである。


「ほら、さっさとしろよ高貴なるヘレネス」

「っ……」


 爪先で小突くと、目を閉じて大きく息を吸ったマルコシウスは杖を構え直した。


「と、飛べ飛べビュンビュン!」


ゴザの縁あたりを睨みつけながら、相変わらずのクソ呪文を叫ぶ。

 予想に反して、ゴザはふわりと宙に浮いた。エイのようにパタパタと羽ばたきながら、座ったマルコシウスを乗せてゆっくりと上昇していく。

 滋ヶ崎の目線を超え、一階の庇を超え、二階よりも高く浮く。


「おお……」

 屋根より高くなったゴザを見て、何だやればできるじゃないか――そう滋ヶ崎が言いかけたとき、突然ゴザが大きく波打った。いきなり加速し、あっちこっち右往左往しはじめる。


「うわ、わ、わああああ!」

「あ、マルちゃん!」


 屋根の上から祝が飛ぶ。制御を失ったゴザは急旋回を繰り返した後、くるりと大きく空中に円を描いた。逆さまになったゴザからマルコシウスが剥がれて落ちてくる。


「きゃああああああああああああああああ!」

「ほい! 大丈夫だよ、落ち着いて〜」


 金切り声を上げながら落ちてくるマルコシウスを祝がキャッチし、ゆるゆると地上に下りてくる。滋ヶ崎の目の前に下ろされたマルコシウスは、ぺたりとそのまま地面にへたり込んだ。


「おい、お前やっぱできねえんだろ、空飛ぶの」

「うう……」


 横に滋ヶ崎がしゃがみ込むと、震えながらマルコシウスは両手で杖を握っていた。筋の浮き出た手も、涙でいっぱいになった顔も蒼白である。


「しゃーねーな、もう」


 これではもう飛行魔法どころではない。普段より小さく感じるマルコシウスの体を荷物のように担ぎ上げ、滋ヶ崎は上空を飛ぶ祝を見上げた。


「ダメだダメだ、撤収すんぞ!」

「滋ヶ崎、ゴザどうするー? どっか飛んでっちゃったよ!」

「ああ? 知らねえよ、好きに飛ばしとけ!」


 どうせ花見のときくらいにしか使わないゴザである。なくなってそう困るものでもない。

 人型に戻った祝を連れて室内に戻る。胡座を組んだ膝の上にマルコシウスを乗せてしばらく撫でていると、やがてべそべそと泣きはじめた。


「お前ホントすぐ泣くよなー。子供か?」

「生理前じゃない?」

「あー……ホルモンバランスとかあんのかね、やっぱ。あ、てか祝、コイツが発情期以外にも排卵してるかどうかってわかる? 排卵してないんだったら普段は生」


 抱えていた腕を、マルコシウスにがぶりと噛まれた。


「ってえ! 馬鹿野郎!」

「今のはマルちゃんでも怒るよねえ」


 絶対に祝にだけは言われたくない。滋ヶ崎が睨みつけていると、勝手に冷蔵庫と棚を漁った祝はお茶とクッキーを持って戻ってきた。


「まあまあ、甘いものでも食べたら落ち着くって」

「やれやれ……」


 カミツキガメのようにひっつくマルコシウスの鼻先にクッキーを持っていく。ひらひらと動かすと腕から歯が離れ、ぱくりとクッキーにかじりついた。何枚かそのまま食べさせると、杖を膝においたマルコシウスがお茶に手を伸ばした。滋ヶ崎もクッキーをかじる。


「不思議なんだけどさ、なんで翻訳魔法だけはマトモに使えるんだよ」


 マルコシウスの髪に落としたクッキーのカスをはたきながら滋ヶ崎は首を傾げた。ここまで何回も魔法に失敗してきたが、一番最初にかけられたこれだけはずっと継続しているし、きちんと働いているように見える。


「……神学校で、習ったので」

「え? あ、あーお前なんか宣教師とか言ってたなあ最初」

「だから……布教のための魔法だけは、ちゃんと勉強できたんです」

「あーそういうあれね」


 確かに国外での布教に翻訳魔法は役立つだろう。とはいえこんなやつに教えを説かれても誰も入信しねえだろ、と思ったがまた噛まれそうなので黙っておく。


「えー、じゃあ他には何習ったの?」

「光明魔法とか、浄化とかですかね……」


 興味丸出しの祝に、再びクッキーをかじりながら、もそもそとマルコシウスが答える。


「えっマジ!? じゃあ今度僕の代わりにお祓いしてよ! もうさー、お正月とか人来すぎて無理なんだけど」

「いいのかよそれ」

「結果が一緒なら過程なんてなんでもいいでしょ、本職だし」

「いや神社でこいつが出てきたらビビるって」

「大丈夫だよ、竜が出てきたってみんな平気な顔してるんだから」

「そうかな……そうかも」


 滋ヶ崎と祝が話していると、また一口お茶を飲んだマルコシウスは滋ヶ崎の胡座から降りた。滋ヶ崎の膝の上に頭を置き、ころりと丸まって目を閉じる。

 すうすうと寝息を立て始めたマルコシウスを見て、祝は首を傾げた。


「ありゃ、疲れちゃったのかな」

「体力ねーんだよ、こいつ」

「かわいいねえ」


「確かに、寝てる時が静かで一番いいわな。起きてるとうるさくてかなわん」


 言いながらクッキーをつまむ。


 しばらくして、「やべ、足しびれてきた」と滋ヶ崎は後ろ手をついた。


「えー、どれどれ」

「や、やめろボケっ、あーっ」


 つんつんとちゃぶ台越しに足をつついてくる祝に声をあげながら、滋ヶ崎も畳の上に転がる。逆さまになった窓ガラスの向こうに、ちぎれたような雲とトンビが見えた。

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