第3話 滋ヶ崎、二度見する
滋ヶ崎が微かな違和感に目を覚ましたのは、次の日の早朝のことだった。
(な、なんだ……?)
地震が来る直前のような、そわそわした空気。布団の中でじっとしていると、案の定グラグラと家が揺れ始めた。
「おおお」
結構大きい。ミシバキと家じゅうが音を立てている。本棚から中の本が飛び出して来るのを見て、滋ヶ崎は自らの命の危機を感じた。築60年である、よくわからないしこれまで不都合もなかったからメンテナンスなんてしてこなかったが、きっと脆いに違いない。
外に出たほうがいいのだろうか。だが地震の時は揺れが収まってから外に出る……んだったような気がする。滋ヶ崎が悩んでいるうちに揺れは徐々に小さくなり、やがて静かになった。
「ふう……」
そっと布団の外に這い出す。ふと、あの珍客は大丈夫だったかが気になった。隣の部屋で寝ているはずだ。
できれば関わりたくないが、朝になってタンスの下敷きになっているのが発見されたりしたら嫌だ。やれやれと思いながら立ち上がった滋ヶ崎は、襖をあけて縁側に出た。外に見える庭はまだ薄暗く、黒々とした葉に覆われている。
「……は?」
窓の外に広がる葉を滋ヶ崎は二度見した。なぜ窓の外が一面の葉っぱと空になっているのだ。庭はどこに行った。
そうっと縁側の扉を引き戸を開ける。細長い葉が家の下にまで広がり、その間から白っぽい実が顔を出していた。更にその向こうにちらちらと見えるのが民家の明かりだと気づいた時、滋ヶ崎はようやくこの事態を飲みこんだ。
「おいおいおいおい……えええええええ…………なんでぇ?」
桃の木が、恐ろしいほどに成長しているのだ。
滋ヶ崎の家を、その上に乗せて。
高さは……どれくらいだろうか。比較対象がないのでよく分からないが、下に見える家はミニチュアサイズだ。村の真ん中にある山がいやに低く見える。さっき揺れていたのは地震ではなく、桃の木に家が持ち上げられていたのだろう。
「今頃魔法が効いて来たのかぁ……いや時間差やめろよ」
さやさやと揺れる葉っぱと、その間から見え隠れする桃の果実を見て、呆然と滋ヶ崎は呟いた。ジャックと豆の木かよ。
ユグドラシルもかくや、というサイズになってしまった桃の木からは、生身で降りられる気がしない。救いは田舎ゆえに隣の家との距離が離れていて、巻き込まれたのは自分たちだけだということだ。多分だけど。
どうしたものか、と眺めていると、後ろの部屋からぐす、と声が聞こえた。は、と忘れかけていたマルコシウスのことを思い出す。
「おい、おいおいおいヘレネスさんよ、えらいことになったぞおい!」
慌てて背後の襖を開けると、部屋の中央には見慣れぬ煌々とした球が浮いていた。魔法のなにかだろう。魔法の主はどこだ、と頭を巡らせると、部屋の隅にある掛け布団の塊からダークブルーの目が覗いていることに気づく。
「なっ……何ですかバルバロイ! いいですか、他人の部屋に入るときはおとないを入れるのが人としての」
「うるせえお前の部屋じゃねえだろ! いいから来い!」
布団を被って小さくなっていたパジャマ姿のマルコシウスの腕を引き、無理やり縁側へと引っ張り出す。大きくなりすぎてしまった桃の木を指し示して叫んだ。
「お前これ、大きくなりすぎなんだよ! どうすんだよこれ!」
「な、え……わぁ……」
不思議そうに縁側の外を見下ろしたマルコシウスの顔が引きつる。すぅ、と深呼吸をして滋ヶ崎に振り向いた顔が青白いのは、月明かりのせいだけではないだろう。
「っ、ど……どうです!? あなたもこれで光の神の素晴らしさを思い知ったでしょう!?」
「てめえのポンコツさを思い知ったよクソヘレネス!」
「なんですって!」
「いいからなんとかしろよ」
滋ヶ崎が縁側の外を指し示すと、ふん、とマルコシウスは鼻を鳴らして部屋の中に戻った。掛け布団の中に落ちていた枝を拾って戻ってくる。
縁側の端、滋ヶ崎の横に立ち、引き戸の外に向かって枝を振った。
「ええと、『小さくなれ小さくなれムーギュムギュムギュ!』……こんなもんでどうでしょうかね」
「さあ、いいんじゃねえの?」
相変わらず何も起きない。きっとまた時間差でくるのだろうと思った滋ヶ崎は二度寝することにした。
朝焼けの中を部屋に戻って、また布団に潜り込む。
眠りに落ちる前、啜り泣きと祈りの声が聞こえたのは、気のせいだと思うことにした。
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