第9話 元婚約者と秘め事
侯爵令嬢であるメリオラは、婚約者であった時ディルスに不満を持っていた。
悩んだ時、困った時相談をすると、いつも優しく聞いてくれる。しかしアドバイスはくれるものの、明言は避け、相談の最後は必ず決まった文言を言うのであった。
「メリオラ嬢の好きにしていいよ」
それはメリオラの気持ちを尊重した言葉ではあったけれど、彼女としてはもっとぐいぐいと引っ張って欲しかった。
そういう点で言うとキリトはいつも自信に満ち溢れていて、とても男らしく決断を下し、迷ったメリオラに道を示してくれる。
王となるにはこういう強引さや威厳が必要だと思った。
隣国のレグリスがこの国との友好の証として、カミディオンの王子との婚姻の望み、そしてディルスを所望した時には驚いた。
その時のディルスは既に王太子となっていたのに、それを知りつつも名指しをするなんて。
国としてこの提案をどうするか、意見は割れた。
断りを入れてキリトを行かせるか。要望通りにディルスを婿入りさせるか。
当時ディルスが王太子とはなったものの、二人の力にそこまで大きな差はないとされ、ディルスに目立った所もないと随分議論は交わされた。
キリトを有望視するものもちらほらとおり、そしてメリオラにも意見を求められる。
婚姻をし、王太子妃として支えたいならばどちらがいいか問われ、少々悩んだものの、メリオラはキリトを選んだ。
年下のキリトと能力に差がないのならば、キリトの方が有能だろうと思ったのだ。
パッとしないディルスよりはキリトの株が上がっていたのもある。
メリオラの意見が決定打ではなかったものの、ディルスがレグリスに行くことが決定した。
その後に、レグリスでは魔法も使えず剣しか振るえないカミディオンの者を蔑むものもが居ると聞く。
剣の才もそこまではなく、突出した能力を持たないディルスが過酷な生活を強いられるのではないかと心配になったが、後の祭りだ。
案の定エルマに虐げられているとの話を聞いた時は、幾らか同情の気持ちが起きたが、自分にその資格はない。
時折聞こえる噂話に胸は痛むが何も出来ず、ただ案じるばかりだ。
だが実際に会って、彼が不幸ではないと知ってからは複雑な気持ちとなる。
(全然辛そうではない、寧ろ生き生きしている? あれは、誰?)
久々にディルスを見たのは、王女エルマが社交界デビューをした時だ。
記憶の中では冴えない男であったディルスは、今や王女のパートナーとして相応しい人になっていた。
くすんでいた灰色の髪は輝きを取り戻し銀髪に、俯く所為で猫背気味だった姿勢も改善さ所てすっとした立ち姿に、そして曖昧で弱々しかった表情は、今やはっきりとエルマへの好意を存分に表す、豊かなものとなっている。
顔を赤くし、怒るような口調でディルスに話しかけるエルマだが、それが照れ隠しだとはすぐにわかった。
同じ女性だからわかる、エルマもディルスが好きなのだと。
「お久しぶりです。ディルス様」
キリトの隣に連れ添い、エルマへのお祝いと共に隣にいるディルスに挨拶をする。
「久しぶりですね、メリオラ様。息災でしたか?」
あのような別れ方をしたのに、ディルスは嫌な顔一つしない。
隣のキリトは美しいエルマに夢中で、視線はそちらに釘付けだ。綺麗で可愛らしいエルマに目が行くのはわかるが、嫌な気持ちになる。
「えぇ。私よりもディルス様の方が大丈夫でしたか? その、文化の違いもあったでしょうし」
予備知識もなく、異国へ婿入りしたディルスはきっと過酷な生活を送ることもあっただったろう。この時はまだそう思っていた。
いや、認めたくなかったのだと思う。捨てたディルスがレグリスで幸せになっている事実に。
「違いはありましたが、エルマ様が甲斐甲斐しくレグリスの文化を教えて下さったために苦労は少なかったですよ。今では僕の方がレグリスに詳しいくらいです。この前なんてエルマ様は――」
「ディルス! 余計なことは言わなくていいの」
顔を赤くしたエルマがディルスの言葉を遮る。
「申し訳ありません、エルマ様」
ディルスは笑みを浮かべてすぐに口を閉ざし、宥めるようにエルマの肩に触れている。
どう見ても仲睦まじい。
エルマを大事にする様子に、メリオラは昔の懐かしい気持ちを思い出していた。
どんなに忙しくてもディルスは気遣いを忘れず、そしてメリオラの意見を尊重してくれた事を。
それをメリオラは自己がないと思い、うだつの上がらないディルスを見限ってキリトに乗り換えた。
それがとんでもない愚行で、そしてディルスの考えが貴重だというのに気づいたのは、ディルスが国を離れた後の事。
何故ならキリトからそのような事をされた事がない為だ。
今だってメリオラという婚約者が隣にいるのに、キリトの目に映るのはエルマだけ。メリオラには目もくれていない。
これは蔑ろにされてるとしか思えない行為だ。
「キリト。今日はエルマ様のデビューを祝ってくれてありがとう。名残惜しいけれど他にもまだ挨拶があるから。それじゃあね」
キリトの視線から遮るようにエルマを抱いて、ディルスは歩き出す。
「メリオラ嬢もありがとう。少し疲れているのかな? 元気がないように見えるよ、あまり無理をしないようにね」
そんな一言すらも嬉しいと思えた。
確かに最近とても忙しい。
ディルスが受けていた王太子教育を遅ればせながらキリトも受けるようになり、メリオラはそのサポートに追われている。
立太子まで一年余りの為に余裕もなく、絆も深めなくてはならないのに、キリトからの歩み寄りがないのだ。
何事もキリトが勝手に決め、そして女は支えて当然と言わんばかりの態度に、メリオラは段々と不満に思い始めていた。
男らしいと思っていた事は傲慢だと感じられ、意見を聞かず何事も決められるという事に、自分勝手だと思うようになったのだ。
そんな不満の中、エルマに心奪われるキリトを見て笑顔になんてなれない。
「何を不機嫌になっているんだ。感じが悪いぞ」
自分の行動を棚に上げて詰るキリトに、メリオラの機嫌は増々悪くなる。
そうなると自然にディルスの優しさを思い出して、辛くなった。
(甘やかに癒やしてくれるディルス様が懐かしい)
強く言うことも怒ることもないディルスは、今のメリオラの理想そのものだ。
愛しい人の惚気をしつつも気遣いのある振る舞い。
見た目も良くなり、隣に並んで立つのも悪くない身なりになった。優しいだけと物足りなさを感じていたのが嘘のように惹かれてしまう。
(本来なら彼が私の夫だったのよね)
二度と来ない未来に思いを馳せ、懐古の気持ちと淡い希望が胸に飛来し、しばし感傷に浸ってしまう。
無いものねだりではあるが、つい考えてしまった。
キリトへの信頼がなくなってきた翌年、信じられない提案をされた。
エルマをキリトの妻とし王妃に迎え入れて、メリオラを側室にするという話だ。
「兄上達が白い結婚をして間もなく三年経つ。二人はもうすぐ別れる予定だ」
その話は本当だろうか。
メリオラの見立てではそのような事は絶対にない。
「エルマ王女は兄上にしょっちゅう怒りをぶつけ、人前でも虐げている。国から追い出したいのに、しぶとく王宮に居着いているそうだ。でもそれももう終わる、白い結婚も三年続けば離縁もなされるからな。そうなれば兄上はあの国から放り出されるだろう」
そんな事はないだろう。
そもそも友好国となるべく婿入りしたのだから。
仮にディルスが出されたらカミディオン国も困る、嬉々として話すキリトが不思議で仕方なかった。
「三年前は仕方無しの婚姻だった、しかし今度は違う。成人したエルマ王女は自らが選んだ相手と再婚すると聞いた。ならば俺にもチャンスがある」
「チャンスって、どういう事?」
「俺とエルマ王女が結ばれるかもしれないという事だ」
衝撃が走る。
まさかキリトがメリオラを捨てる画策をしていたとは。
表情が凍りつくメリオラを見て、慌ててキリトはフォローする。
「無論、君とは別れない。でもこれは好機なんだ。エルマ王女がカミディオンに来てくれれば国との繋がりはより強固になり、地位も財産も向上するからな」
確かに大国の王女が嫁いで来たら持参金やら援助金で潤うだろう。王女を側室にはさせられないから、メリオラと別れないということは私が側室に、という事だ。
「それに魔法の力もカミディオンに取り込められる。これは大きい事だ」
エルマは精霊姫と言われる程魔法が上手らしい。
馴染みがないためにピンとは来ないが、それはそれは凄いことだそうだ。
「行き場をなくした兄上にも戻ってきて頂いて、政治を手伝ってもらおう。腐っても王家の血のものだ。使い道はある」
その言葉に反応してしまう。
もしかしたら彼とまた過ごせる日が来るかも期待をしてしまった。
それに側室ならば大変な王妃の仕事もしなくて良い。せいぜい補佐的なものだろう。
男児を産めば地位はより安泰になるし。
キリトがエルマを構っている間にまたディルスと親交を深めればいい。
そう思っていた。
だがしかしキリトの言葉が全て信用できるかというとそうではない。念のためと安心したいからという理由で、契約書を作成し、ごり押しでサインをもらう。
自分の地位が脅かされても生活の保障がされるように。
契約書というのはとても大切だ。約束を反故されないように、明確に文字で意思を起こして同意のサインをする。これがあれば安心だ。
キリトが振られようが成就しようがどちらに転んでも良かった。
なのに、秘密の契約書は今、ディルスの手の中にある。
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