第7話 一歩前進

 姫だと思っていた相手が王子であっても、本当の伴侶になりたいというミティアスの気持ちが揺らぐことはなかった。そもそも姫だから好きになったわけではなく、ミティアスにはもともと恋愛の対象に男女の区別がない。それが兄たちを困らせ姉たちから心配される種ともなっていたのだが、本当に気にならないのだから仕方がなかった。

 問題は性別ではなく、人質の姫が第一王子だという点だった。

 長く続いているアンダリアズ王国とタータイヤ王国の関係だが、過去に何もなかったわけではない。周辺国との小競り合いが起きるたびに、アンダリアズ王国内では厄介で大事なタータイヤ王国を併合すればよいという意見が何度も出た。タータイヤ王国側も、岩塩の取引を介して別の国と接近したことが何度もある。それでも二国間の関係が変わらなかったのは共に生きるほうがそれぞれの国にとって有益であったことと、代々の国王の判断に寄るところが大きい。

 ところがいま、アンダリアズ王国内にタータイヤ王国の第一王子がいる。男性が優先的に王位継承権を与えられるタータイヤ王国の、次代国王にもっとも近い存在が手元にあるのだ。

 たとえタータイヤ国王がキライトは正式な第一王子ではないと主張したとしても、すでにタータイヤ王国内の主要な王侯貴族は王子の存在を知っている。王子を突き出し大国の力をちらつかせれば認めざるを得ないだろう。そうなれば、アンダリアズ王国は穏便かつ容易にタータイヤ王国を手に入れることができる。キライト王子をタータイヤ王国の傀儡王に据えるだけで、岩塩を持つ国がすべて手に入るのだ。


(そんなことに気づきもしないで人質に出すなんて、愚かにもほどがある)


 そう思うミティアスだが、数百年に渡って生き長らえてきた小国の王が愚策に気づかないわけがない。周辺の貴族たちが止めないはずがなかった。それでもキライト王子がメイリヤ姫としてやって来たということは、施政者としての判断を覆すほどタータイヤ国王の憎悪が大きかったということだろう。


「ま、国が滅ぶときは大抵が呆気ない理由だって歴史も語っているくらいだしな」


 タータイヤ王国がどうなろうとミティアスには興味がなかった。国同士のことは父王や兄たちに任せておくのが一番いい。それでもあれこれ考えるのはキライトが関わっているからだ。


(父上や兄上たちはいいとして、宰相がどう考えるかが問題か)


 キライトの存在が露呈すれば、あの宰相なら何かしら行動を起こすだろう。いまだに諜報員を使ってタータイヤ王国を調べているのは、隙あらばどうにかしようと考えているからだ。

 今回、王族とは思えない人質がやって来たことで、多くの王族や貴族はタータイヤ王国に侮辱されたと感じている。キライトが到着したとき、大広間では兵を差し向けるべきだという意見が出ていた。その後も兵を送る話は何度か出ているとミティアスも耳にしている。となればいくら国王がよしとしなくても、キライトの存在を最大限利用してタータイヤ王国を手中に収めようする勢力が出てきてもおかしくない。

 それにタータイヤ王国側の動きも気になった。宰相に疑われるような何か、もしくは動きがあったとしたらどうだろうか。もし愚かな現国王を排除しようとする動きがあるのなら、キライトの存在はますます重要になるだろう。


(それは何としても防ぐべきだな)


 キライトが餌食にされるのを黙って見ているわけにはいかない。好きな人が政争の道具にされるかもしれない道は早々に潰しておくに限る。


(ということは、やっぱりキライト殿下の性別その他のことは隠し通すのが一番か)


 いつまでも隠し通せるとは思えないが、安寧の場所を確保するまでは隠し通す必要がある。そう考えたミティアスは、最大の理解者であり共犯者になってくれるであろうダンに事の真相を打ち明けることにした。


「なるほど、承知いたしました。では、今後はシュウク殿ともよく相談するようにしましょう」


 何の疑問も抱かず即答するダンに、ミティアスの眉がわずかに寄る。


「いかがしました?」

「そんなにあっさり承知されると、何か裏があるんじゃないかって疑いたくなる」

「それは勘ぐりすぎというものです」

「経験上、こういうときのダンは油断ならない」

「我が名と剣に誓って、そのようなことはありませんよ」


 にこやかに笑う姿は、三十七歳の男とは思えないくらい若く見える。男臭くも爽やかな笑顔は貴婦人たちが惚れ惚れとする類のものだが、その笑顔こそが油断ならなかった。

 そう思ったミティアスがさらに眉を寄せれば、心外だと言わんばかりの顔でダンが主人あるじを見返す。


「わたしは心底惚れるお相手に殿下がめぐり逢えたことを大変喜ばしく思っているのです。これでもう、根無し草のようにフラフラしては誰彼かまわず泣かせることもないでしょうからね」

「泣かせたことなんてないはずだ」

「殿下に本気で惚れた方々は、裏で皆泣いていたのですよ」


 ダンの言葉に、ミティアスの眉がますます険しくなった。


「それに、どうやら本命の御方は簡単には振り向かないようですし、何でも簡単に手に入れてきた殿下にとっては良い薬になるでしょう」

「……僕への薬以外にも楽しみがありそうだけど、あえて聞かないでおいてやるよ」


 フッと笑ったダンを睨みながらも、ミティアスは壮年の男と麗しき侍従の未来を少しばかり応援することにした。

 こうしてミティアスはダンとシュウクを無事味方にすることができたが、キライトとの仲がそう簡単に進展することはなかった。これまで何事も思うままに振る舞ってきたミティアスも、さすがにキライトの過去を考えると慎重にならざるを得ない。そうなると積極的な行動は取りづらく、中途半端な距離感をどう詰めたらよいものか図りかねていた。


(いままでなら笑いかけたりキスするだけでよかったのになぁ)


 そんなことを思ったところでどうしようもない。ミティアスは生まれて初めて地道に努力する道を選ぶことにした。

 まずはキライトの興味をもっと引かなければと考え、あれこれ贈り物をしたり話しかけたりした。いままでどおり硝子の燈火ランプには興味を示してくれるものの、それ以外で大きな変化はない。以前よりも言葉を交わす回数は増えているが、友人と呼べるほどの状態でもなかった。これでは、いつになったら伴侶の親しさになれるのだろうかと途方に暮れてしまう。

 そんな二人の様子が少し変わったのは、メイリヤ姫がキライト殿下だということを聞いてしばらくしてからだった。


(前よりも視線が合うことが増えたような……?)


 話しかけると必ず美しい瞳で見てくれるようになった。そばにいるときの距離が少し縮まったような気もする。言葉をかけると、少ない言葉数ながら毎回返事をしてくれるようにもなった。

 もしやと期待に胸をときめかせたミティアスは、シュウクにそのことを報告することにした。「それは……」と少し言いよどむシュウクに、「何でも言って」と先を促す。


「ミティアス殿下にすべてお話したことを、キライト殿下にお伝えしたからかもしれません」

「……なるほどね」


 信頼する侍従が自分の正体を明かした相手だとわかれば、少しばかり対応が変わってきたことにも頷ける。納得はしたものの、それならもっと早くに話してくれればよかったのにと少しばかり不満に思った。

 ミティアスがキライトのことを聞いたのは先月だ。それから変化が見られるまでの十日の間、どうやって距離を縮めようか真剣に悩んだ。ほとんど変わらないキライトの様子にモヤモヤが募って仕方がなかった。

 シュウクにとっては大事な主人のことだから、様子を見ながら少しずつと思っていたのかもしれない。しかしミティアスにとっては経験したことのない努力の連続で、どうにも落ち着かない日々だった。

 これまでのことを思い出しほんの少し眉を寄せたミティアスは、男臭く笑う護衛側近の顔を思い出した。


(……まさかとは思うけど、ダンの仕業じゃないだろうな)


 真相を打ち明けたときの「良い薬」というダンの言葉が蘇る。それにシュウクとの関係も良好なようだし、何かしらを言い含めた可能性は捨てきれない。

 そのことにムッとしながらも、ミティアスはハァと小さくため息を吐いた。


(それだけ、いままでの僕はろくでもない人間だったってことか)


 いまさらながらミティアスは反省した。おそらくダンは心の底からの反省を促そうとしたのだろう。すべては自分を思ってのことだろうから甘んじて受け入れるしかない。そうして反省したうえでキライトと向き合えばいい。

 新たな決意を胸に、ミティアスは新しい硝子の燈火ランプを眺めるキライトの横顔を見た。じっと見つめていると、燈火ランプを見ていた瞳がミティアスへと移る。


燈火ランプは好きですか?」

「はい、好きです」


 こんな些細なやり取りだけでも心が温かくなった。少しずつ縮まっていく距離感を愛おしいと思う。いまはそれだけで満足すべきなのかもしれない。

 そう思いながらも、ミティアスはもう少しだけ会話を楽しみたいと口を開いた。


「殿下とお話できること、とてもうれしく思っています」


 思いを込めてそう告げる。抱いている気持ちが届き、もっと距離が縮まればいいのにと願いながら見つめると、稀有な瞳が何度かパチパチと瞬いた。そうして「話したら」という小さな声が聞こえてくる。


「殿下?」

「……話したら……いけないと」


 銀色に輝く眉尻がほんのわずか下がっている。笑顔ではないものの表情を変えたことに感動しながら、ミティアスは慎重に言葉を選んだ。


「話をしたら困ることがあったのですか?」

「……王子だと、わかるから」

「話をするとご自分が王子だと露呈すると考えていたのですか?」

「……はい」


 肯定する姿に、ミティアスはなるほどと思った。シュウクが話していたとおり、キライトは自分の置かれている状況をきちんと理解しているのだろう。心を閉ざし感情に乏しかったとしても判断力がないわけではない。


「……間違い、ですか?」


 小声で問いかけるキライトの姿はあまりに頼りなく、ミティアスは不安がらせてはいけないと努めて優しい笑顔を浮かべた。


「いいえ、よい判断だったと思いますよ」

「……よかった」


 ホッとしたような声とわずかに緩んだ頬の動きに胸の奥がざわりとした。安堵させることができた喜びを感じながらも、逆の表情も見てみたいという仄暗い感情にドキッとする。


(僕はいったい何を……)


 感じたことのないおかしな劣情に戸惑うミティアスを、澄み切ったキライトの瞳がじっと見ていた。抱いた感情を後ろめたく思いながら、「よくお考えになりましたね」と微笑みかける。


「……困ると、思って」

「困るとは、ご自分が王子だと露呈すると、タータイヤ王国が困ると思ったのですか?」


 こくりと小さな頭が動く。


「大事な人が困るのは、嫌だから」


 シュウクから話を聞いた限り、キライトが祖国のことを大事に思う要素は一つもなかった。それなのにタータイヤ王国のことを思い黙っていたのだろう。それは健気としか言いようがないが、ミティアスは憐憫とは違う気持ちを抱いていた


(大事な人の中にはシュウクも入っているのだろうな)


 再び仕えることになったシュウクのことも心配したに違いない。そう思うとモヤモヤとしたものが胸に広がっていく。


「殿下は、シュウクが大事ですか?」


 気がつけばそんなことを口にしていた。我ながらなんて子どもっぽいことをしているのだと思わなくもないが、それでもミティアスは聞かずにはいられなかった。


「……はい」


 小さいながらも、はっきりと肯定する声に「やっぱりな」とため息が出た。わかりきったことを聞いた自分を笑いたくなる。やめればいいものを、つい負けたくないという気持ちがわきがってしまった。


「じゃあ、僕のことはどう思いますか?」


 キライトの瞳は真っ直ぐにミティアスを見ている。あまりにも純粋無垢な様子に「何を期待しているんだ」と自嘲しかけたときだった。


「……ミティアス様は、とても優しい、です」

「それは、ありがとう」


(まぁ、悪くはないか)


 本当は大事だと言ってほしいところだが、わずかでも頬を緩めた顔でそう言われるのは悪くない。


(それに、こうして目を見ながら会話が続くようになったのも一歩前進ということだろうし)


 焦りは禁物だとわかっている。いろいろ反省もしたし、新たな気持ちでキライトと向き合おうと決意もした。それなのに、どうしても早く特別な気持ちを抱いてほしいと欲をかいてしまう。

 ミティアスが抱いている恋情は情欲を伴うもので、清廉に慕うだけでは満足できない。かといって下心を剥き出しにしては、キライトに過去の嫌なことを思い出させる可能性がある。それはミティアスの望むところではなかった。

 だから、キライトが自分を特別な存在だと思ってくれるまで待とうと考えた。そう思っているのに、キライトの心が少しずつ解けていくにつれてうれしさと悶々とした気持ちがせめぎ合い切なくなる。


(どうしたものかな)


 こうしてソファに隣り合って座るようになったのは、ほんの数日前からだ。腕が触れ合うほど近くに座ったのは今日が初めてだった。この距離感はシュウクを心配させているようで、チラチラ向けられる視線をずっと背中に感じている。


(このくらいは触れ合いのうちに入らないよな)


 そう思ってしまうのは、やはり焦っているからだろうか。


「ここから先が問題だよなぁ」

「ミティアス様……?」


 つい漏れ出た愚痴に何か感じたのか、美しい瞳がミティアスをじっと見つめる。

 シュウクの言うとおり、キライトは周囲の感情に敏感に違いない。まったく反応しなかったのが嘘のように、ミティアスの些細な仕草や態度にもこうして反応するようになった。


(だからこそ、早く変わってくれるかもしれないと期待してしまうんだ)


 その期待が焦りとなりミティアスを困らせる。少しずつと思っているのに、つい手を伸ばしたくなる。

「早くもっと触れ合いたい」などと考えていたからか、気がつけば銀糸の頭を優しく撫でていた。「しまった」と思い慌てて手を引こうとしたが、キライトの瞳が怯えていないとわかると手を止められなくなる。


(頭を撫でるくらいはどうってことないよな。このくらいは子どもにだってすることだし)


 これでは伴侶や友人以前で、甥っ子たちにしていることと大差ない。そういう穏やかな触れ合いもいいとは思うが、いかんせんミティアスの中には恋人との穏やかな接触という考えは存在しなかった。

 反省し決意したこともすっかり放り投げ、ムクムクとわき上がる「触れ合いたい」という欲望のままに、ついその先を求めてしまう。


「キライト殿下は、もう少し食事を召し上がられたほうがいいですね。ほら、ギュッとすると僕の腕がひどく余ってしまいます」


 穏やかに話しながら、ミティアスは十分な下心を持ってキライトを抱きしめた。前回のように衝動に任せるのではなく、意識して腕を動かす。それでも怖がらせないようにと、甥っ子を抱きしめるときと同じ腕の強さに留めた。


(少し早かったかな……いや、このくらいは平気だろう)


 心の中であれこれ言い訳しながら、少し力を緩めて腕の中のキライトを見る。


(……まぁ、そうだよな)


 腕の中のキライトは、こてんと首を傾げるような仕草をしているものの美しい瞳はミティアスを見ているだけだった。頬を赤らめることもなく、喜びを見せることもない。

 そんな姿を残念に思いながらも、抱きしめた温かさには十分満足できた。そう思ってミティアスが腕を解こうとしたとき、今度はキライトがギュッと抱きしめてきた。


「……え?」


 予想もしなかった出来事に、間抜けにもそんな声を出してしまった。


「ミティアス様は……大きい、です」


 そう言って、ゆっくりと華奢な腕が離れていく。それと同時に、背後でカシャンという音とバサバサと軽いものが散らばる音がした。


(シュウクが花茶の茶葉でも落としたかな)


 頭では冷静にそんなことを思っているのに、キライトから視線を外すことができない。ミティアスの全神経が眼前の華奢な存在に囚われていく。


「……わたしも大きく、なれますか?」


 キライトの囁くような問いかけに、ミティアスはハッとした。


「ええ、と、そう、ですね。大きくというか、抱き心地よくというか、うん、大丈夫ですよ」

「……よかった」


 そう言ってわずかに口元をほころばせた表情は凶悪なほど愛らしかった。とくに柔らかく光る紫色と淡い碧色の瞳は目が離せないほど美しく、いつまでも見ていたくなるような不思議な魅力を放っている。


(なるほど、これが魔性の目ってやつか)


 本人にそういう意識がなくても魅入られてしまう輩は多かったに違いない。自分もその一人だという自覚はある。思い起こせば、無作法にもベールの中を覗き込んだときに二つの瞳にすぐさま魅入られてしまったのだ。


「殿下、これからもずっと一緒にいましょうね」

「はい。……うれしい、です」


 小さいながらはっきりと聞こえた言葉にミティアスは再び動きを止め、シュウクは感極まったのか小さく感嘆の声を上げた。

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